私小説『田舎の素麺』(一)

会社の盆休みに長崎に帰省し、朝から玄界灘の海を見ていたら、波間でボラが数度跳ねた。台風が上陸してきたのか黒雲が水平線の彼方からみるみる現れ、西の方角から突如として偏西風が吹いてきてた。スコールのような激しい通り雨が降ってきたので、一目散に後ろの防砂林に逃げ込んだ。

潮風の試練によって曲がりくねった黒松が植えられた防砂林を抜け、300メートルほど目抜き通りを行った駅前にある実家の海産物スーパー「上浦」には、店頭の生簀にフグが数匹泳いでいた。鰺、アゴ、ボラ、タコ、イカなど種々の海産物の干物が早朝から立ち並び、秋に網元の家に嫁ぐ予定の上の妹のしじみが忙しく店を手伝っていた。

「おばあにもらった」。腰が既に少し曲がった白髪の母とともに、都会の喧騒から逃れて田舎の猟師町で生気を回復した息子が、口の周りを真っ赤に濡らしながら、左手にタコの干物を握りしめ、右手に食べかけの西瓜をもって店の奥から出てきた。生簀の鮑の世話をしているしじみの大きな尻に頭突きをしながら無邪気に笑っている。

少年の頃に既に見慣れた十二畳の居間に入ると、亡き父の遺影と先祖代々の位牌の前には、送り午やら迎え盆の支度がすでに堂々としつらえてある。私が東京駅で求めた高級洋菓子や江戸老舗の羊羹、さらには田舎ではまだ珍しいノンアルコールビールも堆く積んであるのだが、それ自体が田舎の空気の中で浮いており、自分自身が都会に逃げ出した異邦人のように感じた。叔父や叔母など親戚筋一同が寄り合いにやって来ていて、アゴで出汁をとった冷汁で少し黒っぽい田舎風の素麺を食べるのだが、毎年のこの恒例行事の時間に何か自分が失ったものが取り戻されているような気がしているのだ。

(竜崎)