中国伝統文化百景(2)

盤古の天地開闢

2015/11/25 07:00

1、混沌たる宇宙

 中国の神話伝説は他の文明のものと同様に、天地が切り開かれたことによって生成したとされている。では、切り開かれた以前の天地はいかなる状態であったのだろうか。

 中国の道家著作『淮南子』は、次のように記述している。

天墬未形、冯冯翼翼、洞洞灟灟、故曰太始。(『淮南子』天文訓)

天墜の未だ形あらざるとき、冯冯翼翼、洞洞灟灟たり、故に太始と曰ふ。

 文中の「冯冯翼翼、洞洞灟灟」とは、いずれも無形の貌(高誘『淮南子注』)ということである。本書ではまた次のような記述もある。

天地未剖、陰陽未判、四時未分、萬物未生、汪然平靜、寂然清澄、莫見其形。(『淮南子』俶真訓)

天地未だ剖れず、陰陽未だ判れず、四時未だ分れず、萬物未だ生ぜず、汪然平静、寂然清澄にして、其の形を見る莫し。

 このように、天地宇宙が未だ切り開かれていなかったときは、陰陽や四季や万物がなく、「冯冯翼翼、洞洞灟灟」「汪然平靜、寂然清澄、莫見其形」という混沌の状態であった。

 屈原は『楚辞』天問の始めに「遂古之初」を「上下未形」「冥昭瞢暗」「馮翼惟像」とし、『淮南子』と同様な宇宙観を現している。屈原はさらに、「曰遂古之初、誰伝道之」とし、すなわち太古の初めに誰がその道を伝えたのだろうか、と天に問うたのである。

2、盤古の誕生、天地開闢

 『淮南子』にはまた次のような記述がある。

有二神混生、經天營地。孔乎莫知其所終極、滔乎莫知其所止息。於是乃別為陰陽。離為八極、剛柔相成、萬物乃形。煩氣為蟲、精氣為人。

(『淮南子』精神訓)

 二神有りて混生し、天を經し地を營す。孔乎として其の終極する所を知る莫しく、滔乎として其の止息する所を知る莫し。是に於て乃ち別れて陰陽と為り、離れて八極と為る、剛柔相成し、萬物乃ち形す。煩気は蟲と為り、精気は人と為る。

 この記述は、ただ宇宙誕生についての説明であり、屈原の問う「誰が道を伝えたのか」、すなわち、宇宙がどのように誕生し、道(どう)は誰が伝えるのかの答えにはならない。

 三国時代の呉の徐整が、著書『三五暦紀』『五運歴年紀』の中に盤古が天地を切り開いたことを記述した。これは史料おいてもっとも早期の記述である。

 天地は最初には卵のように混沌であり、盤古がその中に生まれ、1万8千歳生きた。彼は天と地を分けて、清い陽気が天となり、濁る陰気が地となる。盤古は天と地の間に立ち、1日9回身体が変化し、それとともに天が1日に1丈高まり、地が1日に1丈厚くなり、盤古も1日に1丈伸びる。このようにして、2万2千年を経ち、天が極まり高くなり、地が極まり厚くなり、盤古は極まり身体が伸びた。のちに、三皇が生まれた。数は一から始まり、三に立ち、五に成り、七に盛り、九に拠る。ゆえに、天と地の距離は9万里である。(『三五暦紀』)

 その後、盤古の身体が分化して、息は風雲となり、声が雷霆となり、左の眼が太陽となり、右の眼が月となり、四肢と五体が四極と五岳となり、血液が江と河となり、筋と脈が地の脈となり、肉が田地となり、毛髪と髭が星辰となり、皮膚が草木となり、歯と骨が金石となり、精髄が珠玉となり、汗が雨となった。(『五運歴年紀』)

 宇宙の誕生過程を記述する二つの話は、通常前者を宇宙誕生の「卵生型」(「天地の分裂型」)、後者を宇宙誕生の「身体化成型」(閻徳亮、『中国古代神話文化尋踪』、人民出版社、2011年10月)とされているが、しかしその内容から考察すると、この二つの話は宇宙誕生に関する別々の話ではなく、いずれも盤古が宇宙を切り開いたものであり、ただそれらは異なる段階のことを描いたのみである。

 換言すれば、前者は太古時代から伝わってきた宇宙観である陰陽の学説によるものであり、無極から太極が生まれ、太極から両儀が生まれ、両儀から四象が生まれ、それによって万物が生まれる。後者は前者を踏まえ、さらに盤古の死によって天地間の万物が形成される構図となり、詳細な記述をもって万物形成を具体化し、そしてこの宇宙、天地、自然に関するほぼすべてのものの生成を説明し、無形から有形へ、単純から複雑へと変化する宇宙の原理を述べ、生命、物質が経歴する全過程である「生成→存続→死亡→転化」を記述したのである。

3、他の盤古の天地開闢についての記述

 南朝梁の任昉が撰した『述異記』にも、盤古の宇宙開闢についての記述がある。

 「秦漢の俗説によれば、盤古の頭が東岳となり、腹が中岳となり、左手が南岳となり、右手が北岳となり、足が西岳となる。また、盤古の涙が江河となり、息が風となり、声が雷となり、目が稲妻となった。古説によれば、盤古の喜びが晴れとなり、怒りが曇りとなる。呉楚の間の説では、盤古夫婦が陰陽の始めであるという」(『述異記』)

 これまでの伝説に比べ、『述異記』における盤古の宇宙開闢についての記述はより詳しくなり、内容も豊富になった。この話には、注目すべき点は三つある。第一、記述は、「秦漢の俗説」「先儒」「古説」「呉楚の間の説」という伝説の情報源を示している。第二、体や感情が自然の物に化した具体的な内容を示し、それらの相互対応関係が明確である。第三、「盤古夫婦」という説をはじめて持ち出し、かつ二人が「陰陽の始め」と記していることである。

 明代の周游が撰した『開辟衍繹通俗志伝』の中では以下のように盤古の天地開闢が記述されている。

 「盤古が体を伸ばすと、天は次第に高くなり、地は沈んでいく。天と地がつながる所はあるが、盤古は左手に鑿をとり、右手に斧を持って、そのつながる所を切り開いた。そして、天と地が分かれ、清らかなものは天となり、混濁のものは地となった。これにより、天と地が形成された」(『開辟衍繹通俗志伝』)

『開辟衍繹通俗志伝』の付録『乩仙天地判説』では、盤古の天地開闢をさらに次のように記述している。

 「天地が、まるで瓜のように真丸く閉じており、その中に万物が含まれていた。1万8千年の間、すべてのものがその中に溶け込んでいた。金、木、水、火、土がその中に含まれており、青、黄、赤、白、黒の五色もその中に溶け込んでいた。久しく閉じたまま開かないが、盤古が現れ、左手に鑿、右手に斧を持って、まるで瓜を斬るように二つに切り開けた。上の半分は次第に高く浮き上がって天となり、含まれる青、黄、赤、白、黒が五色の祥雲となり、下の半分は次第に下へ沈んで地となり、含まれる青、黄、赤、白、黒が五色の土石となった。天に昇った硬いものは、人々が星と見ており、地上の硬いものは石となる。星と石は同一のものである。もし信じなければ、今に星が地面に落ちたら、掘って見てごらん、いずれも地上の石と同じである。天下にも泉があり、留まるところがないため、人間に流れてきて海に注いでいくのである」(『開辟衍繹通俗志伝』付録『乩仙天地判説』)

 『開辟衍繹通俗志伝』と付録『乩仙天地判説』は、盤古の天地開闢についての記述はかなり異なるが、周游はわざと相違の内容を付録としてつけたのか、それとも後人が付け加えたのかは、まだ判明できていない。他の視点から天地の開闢と誕生を記述し、五行説や天上の物質と地上の物質が同じであるなどを取り入れたのが興味深い。

 『広博物志』には、『五運歴年紀』の記載を引用して次のように記述されている。

 「盤古は、龍の頭と蛇の身体を有し、嘆息すれば風雨となり、吹けば雷電となる。目を開けば、夜明けとなり、目を閉じれば夜となる。死後に骨が山林となり、体が江海となり、血が淮河となり、毛髪が草木となった」(『広博物志』)

 ここでは、体が自然の形象に化した内容がやや異なるし、初めて盤古が龍の頭と蛇の身体を有することを記した。これは同じく『五運歴年紀』からの引用というものの、内容上では『開辟衍繹通俗志伝』の記載と異なっている。その原因として、作者の杜撰または誤写などは考えられず、異なる底本が存在した可能性があると考えられる。

 晋の著名な道学者である葛洪は、著書『枕中書』の中で、「玄都太真王」という「真神」から授けられた『真書』にも、盤古の天地開闢に関する記述がある。

 「昔、二義が未だ分れず、混沌たるもので形にならず、天地、日月も未だ備えず、その形は卵のようであった。混沌玄黄の中で、盤古真人がすでにおり、それは天地の精であり、自ら元始天王と号して、その中を遊んでいた。この混沌たる宇宙が八劫を経て、両儀がはじめて分れた。また二劫を経て、太元玉女が生まれた。太元玉女は生まれてすぐものを言うことができ、生まれながら美貌をもち、つねに厚い大地の間を遊び、太元聖母と号する。元始天王が下に降りて彼女を見て、彼女と気を通じ、精を結んで上宮に招いた。その時に、陰陽が調和するようになった。一劫を経て、太元聖母が十三人の天皇を生み、3万6千年天地を治めた。また九光玄女を生み、太真西王母と号し、西漢の夫人である。天皇が地皇を生み、地皇がまた人皇を生む。それから「八帝」(大庭氏、庖羲、神農、祝融、五龍氏など)や「三王」(夏禹、殷湯、周武)が生まれた」

 上記記述の外、また複数の史書に盤古、または盤古の天地開闢に関する記述があるが、主流の記述ではないので割愛する。

(文・孫樹林)

 

 

 

 

 

 

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