中国伝統文化百景(12)

伏羲と「先天八卦」

2016/01/19 07:00

1、「先天八卦」

 一般的に、伏羲が画いたとされる「八卦」を「先天八卦」とし、文王が画いた「八卦」を「後天八卦」としている。「八卦」はまた「河図」と「洛書」とも関係しており、四者の関係については幾つの説があるが、ここでは主に伏羲の「先天八卦」を概観してみる。

 「先天八卦」の先天とは普通、陰陽が未だに分けておらず、形質が未だに未成であることを言う。これに対し、「後天」は陰陽の二気が相互に交わり、万物ができることを指す。『易経証釋』は、「先天の不変に対し、後天の重きは変にあり。先天の不用に対して、後天の重きは要にある。道に由って言えば、先天は主であり、後天は従である。人事に由って言えば、皆後天にあり、先天に至ると所為は無し。」と述べている。また、「先天の易は常に静まり、後天の易は常に動く。しかし、静まる中には動くがある。故に先天は必ずや後天を生む。そして、動くにも静まるがある故、後天は先天を離れない。」とする。この解説により、「先天」と「後天」の相違点と相互関係は明らかである。

 天地自然に象って卦を作った伏羲「先天八卦」の順序は、「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤」となり、これを「伏羲八卦次序」ともいう。一方、文王が人々に倫理道徳を示すために「先天八卦」をもとにして作った「文王後天八卦」を「文王八卦次序」とも称され、その順序は「乾・坤・震・巽・坎・離・艮・兌」に変わり、卦辞を作ったものである。

2、「伏羲八卦」と「河圖」、「洛書」

 人類文明史的視点から見れば、伏羲の最大な功績は「八卦」を画いたことである。問題は、伏羲は如何にして「八卦」を画いたのか、すなわち彼はいかなる啓発を受けて「八卦」を画いたのか、ということである。この問題に関しては様々な説がある中、「河圖」と「洛書」からヒントを得て画いた説がもっとも信憑性が高く代表的である。

 『易経』繋辞伝上には「天垂象、見吉凶、聖人象之。河出圖、洛出書、聖人則之。」(天、象を垂れ、吉凶を見す。聖人これに象る。河は圖を出し、洛は書を出す。聖人これに則る。)とある。ここの聖人とは「八卦」を画いた伏羲と見なされている。『論語』子罕にも、孔子の言葉として、「子曰、鳳鳥不至、河不出圖、吾已矣夫。」(鳳鳥、至らず。河は図を出さず。吾、已んぬるかな)とある。

 龍馬が河から現れ、神亀が洛水から現れ、その背にあった文がいわゆる「河圖」と「洛書」である。「河出圖」の場所については諸説あるが、河南省孟津県の古い城の西北に位置する黄河の岸という説がもっとも信憑性が高く一般的である。そして、「洛出書」の場所は、河南省洛陽市洛寧県長水郷の玄滬河と洛河が合流したところであると言われる。

 伏羲が観たとする「河圖」と「洛書」の原型は未だに不明であるが、宋代になって「河圖」と「洛書」は図像化され、陰陽を表す黒点・白点の数と方位およびその配置によって表されるようになった。「河圖」はまた「十数圖」とも言い、「洛書」はまた「九数圖」とも言う。そして、伏羲が卦を創案した時の原理を表しているとされる図、または伏羲が龍馬と神亀から観たものに基づいて画いたとされる圖を「先天圖」という。『易経』十翼の中の「説卦伝」では、「洛書」における数と方位、「小成八卦」との対応関係についての解説があるが、その「説卦伝」による方位、「八卦」と数の対応関係を表すものは「後天圖」と呼ばれている。

 この他、『易経』繋辞伝下ではまた、「古者包犧氏之王天下也。仰則観象於天、俯則観法於地、観鳥獸之文、與地之宜、近取諸身、遠取諸物、於是始作八卦。」(大昔のこと、包犧氏が王として天下を治めたときに、仰いでは、「象」を天に観、俯しては法を地に観、また鳥や獣の様態と土地ごとに異なった草木が生い立っている様を観て、近くはこれを自分の身にひき比べて考え、遠くは万物の上について考え、さてこそで、「八卦」を作った)と記し、すなわち、伏羲が自然万物を観察することによって「八卦」を画いたとする。

 「八卦」の起源に関する前記の二つのルーツは「繋辞伝」で併記され、異なる側面から創案の二ルーツの特徴を記している。後者の素朴的、現実的、唯物的、人間的な創造という特徴に対し、前者は天地、神明と一体化され、その優れた文明の成果は自ら考案したのではなく、神明から授けられた賜物であると位置づけられている。前者の人間的な英雄のような色彩を有するのに対して、後者は神授したことによって、伏羲および「八卦」の神聖性と権威性が確立されたのである。

 同じ「繋辞伝」にある「伏羲八卦」に関する解説は、一見して矛盾のようであるが、実は二者は同一事物に対する解説の内容と側面が異なっているのみであり、必ずしも矛盾ではない。したがって、孔安国、馬融、王粛およびそれ以後の数経学者たちはみな「繋辞伝」と同様の解釈をしている。つまり、伏羲は「河圖」と「洛書」を観た後、ふたたび天地宇宙や人世の万象を観察し、それらを参照しつつ「八卦」を画き出したのである。換言すれば、伏羲の「八卦」は前記の二つのルートを統合したものであり、神授と創造を人世の次元において程よく結合させた結晶なのである。

                                                         (文・孫樹林)

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