中国伝統文化百景(22)

邪道を討ち正道を建てるプロセス

2016/04/11 07:00

周の武王が大義をもって紂を討つ

 紂の無道や残虐な暴政により、天下の民や諸臣下に背かれ、国は衰える一方であった。それにもかかわらず、紂は、王子比干の諫めや臣の祖伊のお告げを耳にせず、官員と人民が信愛する賢者の商容を辞めさせた。

 諫めを聞き入れなかった紂に対し、祖伊はすっかり失望し、諫めても無駄だと悟った。紂が淫虐や天道に叛いたため、天はすでに殷の命を絶ってしまったのである。

 西伯が死んだあと、子の周の武王が呂尚(太公望)や周公旦を左右に父の事業を継承した。東征して盟津(河南省)まで来ると、殷にそむいて周のもとに集まった諸侯が八百もあった。諸侯はみな「紂を討つべき」だといった。

 しかし、周の武王は「そなたらは、まだ天命を知らない」といって兵を引き上げた。

 紂はますます淫乱に耽った。微子啓がしばしば諫めたが聞き入れなかったため、国外に去った。比干は一命を投じて紂に強く諫めたが、かえって紂の怒りを買ってしまった。「わしは、聖人の内臓には七つの竅(あな)があると聞いている」。紂は比干を解剖してその内臓をみた。これを見た殷の大師・少師は、祭楽器を捧持して周に出奔した。

 そこで、周の武王はついに諸侯を率いて紂を討つことになった。周の兵力は戦車三百乗、士官三千人、武装兵四万五千人であった。一方、紂は70万をこえる大軍を出動して牧野(河南省)で激闘した。殷軍の大半は奴隷兵や捕虜であったため、武王の到来を歓迎し、周軍が攻めてくるとそれらの兵士はかえって後ろを向いて殷軍に攻めかかった。

 大敗した紂は逃げ帰り、鹿台にのぼり、宝石の衣服を着て火中に身を投じて死んだ。周の武王は紂の遺体に3本の矢を打ち込み、その頭を斬って白旗に掲げた。妲己も殺された。

 そして、周の武王は、紂の臣や子らを適宜に処遇したり、殷の先祖の祭祀をつづけさせたりするなど、しかるべき徳政を行なったため、殷の民も大いに喜んだ。そこで、周の武王は天子となった。これからのちは、帝号を一段落とし、王と号するようになった。周の武王は父西伯昌の偉大な功績を仰ぎ、文王と追号した。

史上の呂尚と『封神演義』の姜子牙

 呂尚(りょしょう、前1156~前1017)は、姓は姜、氏は呂、名は尚(望)、字は子牙。呂尚ともいう。通称は、呂尚、太公、姜太公、太公望、姜子牙。周の軍師、周王朝建国の功臣にして斉の始祖になった。

 『史記』斉太公世家によると、太公望呂尚は東海のほとりの人である。その先祖はかつて禹をたすけ、治水にはなはだ功労があった。舜・虞のころに、呂(河南省)または申(河南省)に封ぜられた。呂尚はかつて殷の紂王に仕えたが、その無道により、去った。

 周の西伯(のちの文王)がある日 猟に出ようとして占うと、獲物は動物などではなく、覇王の輔者たるべきものであるという結果がでた。

 西伯は猟に出て、渭水の北岸で魚釣りをする呂尚に遇った。72歳の呂尚は西伯の知遇を求めた。語りあってみて、西伯は大いに喜んで、「わが太公(亡父)のころより、聖人があって周に来る。周はその人をえて興隆するだろうと言われているが、あなたはまさにその人だ。わが太公はあなたを久しく待ち望んでいた」といった。それゆえ、呂尚はまた「太公望」というのである。

 それで、西伯は呂尚を車に乗せて帰り、軍師と仰いだ。

 西伯昌が紂の監禁地羑里から逃れ帰ってからは、呂尚とひそかに相談して、徳を修め、殷の政権を傾けようと謀った。

 西伯昌が死んで、武王が即位した。呂尚は武王を補佐し、殷の諸侯の攻撃を防ぎ、牧野の戦いで紂を打ち破った。多くの徳政を行ない、周の政治をととのえ、万機をあらためた。武王は殷を平定して、天下の王者になった。これらにはいずれも軍師としての呂尚の謀によるものであった。その軍功により、呂尚は営丘(山東省淄博市隣淄区)を中心とする斉の地に封ぜられた。

 呂尚は没時、139歳だったという。呂尚の著書とされるものに、『六韜』と『乾坤万年歌』がある。『乾坤万年歌』はあわせて770字で、中国の三大予言奇書の最初のものである。宇宙の起源から一万年間の歴史を語り、また未来のことを予言した。『六韜』(『太公六韜』『太公兵法』『素書』)は中国先秦時代の軍事・思想の集大成であり、兵家の権謀類の鼻祖とされ、後の軍事、思想に大きな影響を与えた。

 呂尚の伝奇的な生涯や功績により、明代に伝奇小説『封神演義』(『封神榜』ともいう。作者は許仲琳?)が誕生した。

 小説においては、姜子牙(呂尚)は周の軍師と崑崙山の道士として主役格で登場している。作品は、周の武王が殷の紂を打ち破ったなどの史実を舞台に、仙人や道士、妖怪が人界と仙界を二分して激しい戦いを繰り広げるスケールの大きい作品である。

 殷の紂王が女媧に無礼な詩を詠んだことより、女媧が怒り、千年も生きた狐狸の精らの三者に紂王を陥れさせた。狐狸の精は、紂の後宮に入ることになっていた美女、冀州侯の娘の妲己の魂魄を滅ぼしてその身体を得た。妲己らはさまざまな手腕または妖術を使って紂を魅惑し、紂はついに妲己に操られるまま次第に淫蕩になり、暴政を行うようになっていったのである。

 姜子牙が天命を受け、武王を補佐し、無道の紂王を討伐し、狐狸の精らの妖怪どもそして截教の者らとも戦いを繰り広げた。乱が治まり、功を奏した後、姜子牙はかかわった者から三百六十五位の神を封じた。

 小説は、多くの民間伝説や神話のような要素を多く取り入れ、紂王の淫虐や妲己の陰険を描きつつ、姜子牙をはじめとする諸神が天意にしたがって、無道を討つことを演出することによって、善と悪、美と醜、道義と無道、正義と邪悪が対照的に浮き彫りにされている。この小説は優れた文学性により従来愛読され、その道義性も高く評価され、勧善懲悪、妖怪退治などの理念が中国文化・思想に深く浸透し、中国大衆の宗教文化や民間信仰にも多大な影響を与えた。

(文・孫樹林)

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