中国伝統文化百景(27)

老子と道徳経――中国思想文化の神髄

2016/05/18 07:00

老子と『道徳経』

 老子は、中国古代の思想家であり、諸子百家のうちもっとも代表的で、中国文化の中心をなす人物の一人である。彼の思想によって、道家そして道教が生まれ、人類文化思想史における影響はきわめて大きい。

 しかし、老子の生没年(前400年前後の人物とされる)や事跡に関する詳細な史料が乏しく、その最古の伝記史料とされる『史記』老子・韓非列伝によれば、老子は楚の苦県(河南省)厲郷、曲仁里の人。名は耳、字は耼(たん)、姓は李氏といい、周王室の書庫の記録官であった。

 老子は道徳を修め、自らの才能を隠し、名声をひけらかさなかった。長い間、周にいたが、周が衰えたのを見取ると、ついに立ち去り、西方へと旅立った。函谷関にいたっては、関守の尹喜に頼まれ、老子は上・下二篇の書を記述し、道徳の意について五千余字の文章を書き残して立ち去った。その後、老子がその生涯をどこでどのようにして過ごしたかなどを知るものはなかったという。

 老子の伝説として、『史記』に、「老子は百六十余歳まで生きたといわれ、あるいは二百歳まで生きたともいわれる。道を修めて寿を養ったからであろう」とある。「世の老子を学ぶものは儒学をしりぞけ、儒学の徒もまた老子の教えをしりぞける」と記し、また「『道が同じでなければ、お互いに相談のしようがない』とはこのようなことをいうのであろうか」と述べる。

 司馬遷は老子の功績にふれ、「老子は人為的に作為せずに自ずと人を教化し、清浄静平のままで自ずと人を正した」と評するが、詳細な事跡がない。『道徳経』は実際、そういった役割を果たしてきたといえよう。

 孔子が老子に礼を問う伝説は、『史記』にやや詳しく記述されている。孔子は礼について老子に教えを受けようとすると、老子は、古の聖賢の不在や、「そなたのおごり高ぶった気持ちと多欲、もったいぶった様子と偏った志向を取り去りなさい。それらは、そなたの身になんの益もない。わしがそなたに告げたいのはそんなことだけだ」と言った。老子のもとを立ち去ると、孔子は弟子たちに老子はあたかも龍のような人物だと言った。

 孔子が老子に礼を問うたことをも含め、老子については不明な部分が多々あるため、その実在性までも疑われる。『神仙伝』など民間の伝承は、老子の生涯や事跡を多元的に記述している。

 一方、『道徳経』による老子思想の影響がしだいに広まり、漢代になると、老子の神格化が始まり、やがて道教の始祖として崇拝されるようになった。

 唐朝帝室の李氏は先祖を老子に求め、「聖祖大道玄元皇帝」とおくり名され、老子は道教以外の民間でもさらに尊崇されるようになった。

 『老子』は二編の八十一章から構成され、上編が道の字で始まり、下編が徳の字で始まるので、『道徳経』とも呼ばれる。『道徳経』の思想は膨大で混とんたる内容で構成されているため、それについての解釈や読解はまちまちであり、十人十色である。老子の思想は難解で複雑であるが、その中核は道と徳の二字で概括することができるであろう。道は、宇宙天地万物を支配する法であり、徳は人間の従うべき徳目や規則である。すなわち、『道徳経』は人間や人間社会を含め、宇宙天地万物に関する法則およびその規則に同化・順応する方式などを述べるものである。

 道教ではそれを『道徳真経』とも言い経書とされる。中国思想をもっとも代表できる哲学書として世界で広く読まれ、その影響もきわめて大きい。

道教

 道教とは、中国古代から伝わってきた雑多な思想や信仰を基盤とし、道家、易、陰陽、五行、卜筮(ぼくぜい)、巫祝(ふしゅく)、讖緯、天文、占星、方術、術などを総合的にとらえ、修錬することによって得道し神仙になろうとする宗教である。

 漢の武帝の時に、儒学が尊ばれ、儒教による思想的統一も行われた。そして、前漢の末頃から佛教が中国に伝わり始めた。これらの刺激と影響を受けて、古くから民間で代々伝わってきた雑多な信仰がしだいに組織化され、ついに道学の関係思想を礎とする宗教団体が形作るに至った。後漢の順帝のころ、太平道と五斗米道が前後して成立した。太平道は張角によって黄巾の乱を起こしたため鎮圧され、教団も破滅した。張陵が興した五斗米道(天師道ともいう)はしだいに発祥地の蜀から中原に大きく広がった。ふつう、五斗米道を最初の道教集団、すなわち道教の源流とされている。

 一方、2宗教集団は類似する傾向を多くもち、お札やまじないによる治病が主なものであり、神仙説や道家の思想はまだ明確に認められていなかった。

 後漢の末から三国時代にかけて、佛教が本来の面目を示しはじめ、その影響もしだいに増していた。佛教の変貌にともない、道教では佛教の教理を参考にして道家の思想を拝借し教理の確立をはかるようになった。道教が佛教の説をかりて教理を作ったため、道教と佛教との間では長らく論争が続いた。

 北魏の寇謙之がとなえた新天道師によって道教は、太武帝までも信仰し、国家公認の宗教になったなど大成した。南北朝時代は優れた道士を輩出し、教理が確立され、多くの経典がつくられ、道教は整えられた。それ以降、道教は国家との関係などにより、強まったり弱まったりして、教団自身も改組や再編を繰り返していた。

 道家と道教は同一のものではなく、直接的な関係もないとされる。道家は一般的に老荘思想を指し、道教は宗教として形成する過程において、老子を教祖にしたほか、佛教の大蔵経にならって道教の編纂を行ったときに、道家の書物や思想を取り入れたものとされる。

(文・孫樹林)

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