六四天安門事件

戦車に立ち向かう「タンクマン」は秘密裏に処刑された

2016/06/09 07:00

 1989年6月4日に天安門事件が起きてから、江沢民は常に恐怖と戦っている。人々がこの事件の真相を語り虐殺の責任を追及するのではないか、趙紫陽の名誉が回復されるのではないかと恐れているのだ。

 民主化を求め天安門広場に集まって(ハンガーストライキを行って)いた学生たちのもとに趙紫陽が駆けつけ、彼らに語りかけている様子を撮影した写真があるが、江が最も苦々しく感じているのは、この十数年、6月4日になるたびにこの写真が海外メディアに掲載されることだ。

 この写真は、当時の最高権力者の趙紫陽には学生たちを虐殺するつもりなどなかったことを示しているうえ、六四事件を踏み台に最高権力者の座に就いた自身の不名誉な過去を暗喩しているように感じるのだろう。

 江沢民は天安門事件の前に趙紫陽から批判されたことを忘れてはいない。だからこそ江沢民は、趙紫陽を軟禁し行動を厳しく制限していた。その執拗さは監視を担当する保安部門の人間でさえそこまでする必要があるのかと理解に苦しむほどであった。

 戦車に立ち向かう中国人青年は秘密裏に処刑された

 天安門事件後、世界中のメディアがこぞって、単身丸腰の中国人青年が前進する戦車の前に立ちはだかる写真を掲載した。この青年の名は王維林さん。海外メディアが彼の勇気ある行動を称賛し、20世紀の英雄だと称えた。このことにはらわたが煮えくり返る思いをした江沢民は、この時の映像を頼りに青年を探し出し密かに処刑するように密令を出した。

 2000年、米CBS放送のベテラン記者ウォレス氏が江沢民にインタビューした時、王さんの写真を見せながら質問した。「この青年の勇気に感心しますか?」だが、江の回答はこうだった。「彼は(当局から)捕まってはいない。彼が今どこにいるか私は知らない」この言葉は記者の質問と全くかみ合っていないが、ある答えを示している。

 天安門事件のときに国内外の中国人から称賛されたもう1人の英雄が、38軍の当時の軍司令官、徐勤先氏だった。徐軍長は軍委の命令に逆らい、学生たちに銃を向けることを拒んだ。そのため、軍委主席だった江沢民の命により、軍事法廷の秘密裁判にかけられ、5年間の実刑判決を受けた。

 また天安門事件後ほどなくして開かれた外国特派員向けの記者会見では、江沢民は信じがたい発言をし、世界中を凍りつかせている。あるフランス人記者が、民主化運動に参加したため当局に拘束された女性大学院生が四川省の刑務所で(看守から)集団レイプされたことについて質問したとき、江はこう言い放った。「罪を犯したのだから当たり前だ!」 

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