【本音を生きる】 ほめ育財団 代表理事 原 邦雄さん(上)「次世代へのバトン」

これまで100社以上に、ほめて伸ばす人材育成を浸透させ、売上の増加、離職率の低減、採用費の削減という直接的な結果を生み出してきたスパイラルアップ社。「ほめ育」の認定アドバイザーのセミナーでは、身近な人への「感謝」を読みあげ、各々が感動で号泣するという。企業の人材育成にとどまらず、「ほめ育を活用して世界196カ国の人たちを輝かせる」というミッションを掲げる「一般財団法人 ほめ育財団」も創設。 Spiral Up Internationalという会社もアメリカで立ち上げ、ここからもチャリティーを始めるところだ。ご多忙の原さんに お時間を割いて「ほめ育」の背後にある本音を語っていただいた。

次世代へバシーンとバトンを渡したい

— 昨年、ほめ育財団を設立されたことについてお聞かせ願えますか?

去年は自分が大きく変わった年でした。これまでは日本一のコンサルタントになりたいと思っていたんです。 

自分の命はどこかで終わるわけですよね。そして次の世代が世界を担っていく。人生はリレーのようなもので、誰かからバトンを渡されて誰かにまた渡すわけです。そのとき、遅くてもいいから全力で走って、転んでもいいから一生懸命やりたい。おじいちゃん、ひいおじいちゃんたちは、未来の日本に届けっていう思いで、自分の幸せじゃなくて子供の幸せ、孫の幸せを考えて繋いでいったと思うんですよ。僕たちだってそれを見習って、繋がないといけない。

— 心境の変化の引き金になったものは?

自分の生き様として何をしているのか自分で考えようと思い、滝行に行ってみたり、世界を旅行していろいろな人に出会ったりいろいろな体験をしました。インドにも行き、仏教も、イスラム教も、ヒンズー教もなく、水のように誰にも否定されず 、皆で歩める道を感じました。宗教も国も、歴史も、戦争もゼロ。関係ないんです。

 先祖を知る

— 原さんのバトンは、ご自分の先祖から渡されたものなんですよね。

僕は、岡山の倉敷にある大原美術館という日本で初めて西洋美術館を設立した大原孫三郎の末裔なんです。エルグレコの「受胎告知」という名画を中心にした美術館を作った人物です。

大原孫三郎はクラボウ(倉敷紡績)とかクラレ(倉敷絹織)などの繊維会社を経営しており、石井十次という日本で初めて孤児院を作ったクリスチャンとの出会いから、自分が経営する会社の利益を、銀行、病院、電力などの今でいうインフラ、社会貢献に使うことをしたんです。そんな中で美術館が作られました。

原家には親戚に有名人とか起業家が たくさんいて、 そういう人たちの話を聞かされて育ち、いつか自分の足で立ちたいと思っていました。

若い頃は警察にお世話になったりもしていました。大原家はクリスチャンで皇族の美智子様と親戚関係にあるような家で、親戚からも非常に心配されていたと思うんですけど、母親はそんな僕をほめて育ててくれた。それは、かなりの覚悟だったと思うんですよ。 

そこで「あんたなんて親戚の恥さらしで」と言われていたら、僕は「ほめ育」はしてないし、違う方向に絶対行ってましたね。もともと行動力はあるから、やくざになったり、詐欺師になったり、違う方で活躍していたと思うんですよ。でも親父と母親からは、ほめて育てられた。志というか正しい道も教わってきたんです。

— 素晴らしいプレゼントをいただきながら育ったんですね。でも、原さんの人生は決して楽ではなかった。

神様が、邦雄は強いから、行動力があるからと言われて、親戚には経験させられないような苦労を自分にさせてくれました。

— コンサルタント会社をやめてラーメン屋の皿洗いをされたんですよね。

住み込みで厨房に寝泊まりしました。企業を成り立たせているのは、経営者でもなくコンサルタントでもない、現場のスタッフです。 スタッフに共感することに 「真実がある」と確信したんです。こういう現場の体験はすごく大事でした。

— 「王子と乞食」という話がありましたよね。 現場を知らないと良い経営者にはなれない。

その通りだと思います。テレビやインターネットで得た知識ではなく、自分の目で見、耳で聞き、 感じることができました。ラーメン屋の社長からは工夫して努力すれば成功することと、人を大切にする姿勢を学ばせてもらいました。皿洗いから始まり、最後は経営者と店長をつなぐ仕事をしていましたが、月350時間の長時間労働で体調を崩してしまいました。今、思うと、貴重な4年間の修行でした。

(下)に続く…

(文:鶴田ゆかり)