女ひとりで世界一周放浪記 6

美食の国ペルー、そして日本との繋がり

世界一周第5カ国目はペルーです。コロンビアメデジンからパナマを経由して飛行機で約8時間、ペルーの首都リマに到着しました。ペルーには4月25日から5月10日までの16日間滞在していました。

  標高0mのリマはとても暖かく過ごしやすい気候です。そしてさすがは大都会、沢山の人や物で溢れていて、欲しい物は何でも揃います。ただし体感治安は悪く、スリなどの悪い噂も多く聞くので、街歩きをする際には慎重さが必要です。

  私がペルーの旅で最も楽しみにしていたものは、ペルー料理です。「ペルー料理は本当に美味しい」とこれまでにお会いした旅人さんたちが大絶賛されていたからです。私は日本を出発してからメキシコ、キューバ、グアテマラ、コロンビアと旅してきましたが、正直なところ心から「美味しい」と思えた食事にはなかなかありつけず、食に関しては苦戦続きでした。評判の高いメキシコ料理でさえ、私の口に合わなかったのです。

  ところが、リマで実際に食事をとってみるとどうでしょう。噂に聞いていた通り、何を食べても美味しいのです。これには本当に驚きました。想像以上のペルー料理の美味しさに、毎日無我中でペルー料理を食べ、1日3食では足りないくらいでした。ペルー料理はバラエティ豊富で本当に様々な料理があるのですが、ここで私が食したおすすめのペルー料理をご紹介します。

1つ目は、ペルーの代表的な国民食「ロモ・サルタード」です。牛肉、玉ねぎ、トマト、フライドポテトを炒めたものにご飯を添えた料理で、醤油ベースなので日本人の口に合います。街の至る所で目にする料理で、ローカルレストランでは1食150円ほどで食べることができ、私のような節約型の旅人にとっては大きな味方になります。

ロモ・サルタード(田中美久 撮影)

次に「セビッチェ」。基本は白身魚やタコ、エビ、イカなどをレモンと酢であえ、最後に紫玉ねぎをのせた海鮮マリネです。とてもさっぱりとしていてクセになります。

セビッチェ(田中美久 撮影)

お次は「アヒ・デ・ガジーナ」です。鶏肉をペルー特産の黄色い唐辛子とクリームで煮込んだものをご飯にかけて食べる、カレーライスのような料理です。とてもマイルドな味わいで個人的には1番好きなペルー料理でした。

アヒ・デ・ガジーナ(田中美久 撮影)

そして「アロス・コン・マリスコス」。エビやイカ、タコ、アサリなど魚介類の炊き込みご飯でとっても美味です。

アロス・コン・マリスコス(田中美久 撮影)

これ以外にも本当に沢山の種類の美食がペルーには存在するのです。

それにしても、なぜこんなにもペルー料理はバラエティが豊富で、食のクオリティが高いのでしょうか。それには主に2つの理由があります。

1つ目の理由は、ペルー料理に使用される食材が非常に豊富だということです。ペルーの国土は基本的に亜熱帯気候ですが、砂漠と沿岸部、アンデス山脈のある高地、アマゾン海流域の森林の3つの地形から成っているため、地域により気候が異なります。その多様な風土が、様々な野菜や果物、新鮮な魚介類などバラエティ豊かな自然食材を生み出しているのです。

2つ目の理由は、ペルー料理は様々な国の食文化が融合して創り出されたものであるということです。元々ペルーには、イモを中心とした先住民の食文化がありました。しかし16世紀にスペインによる植民地支配が始まると、それをきっかけにヨーロッパやアジアなどから大勢の人がペルーにやってきて定住するようになりました。そこでヨーロッパやアジアの食文化が波及します。またアフリカから多くの人々が奴隷として連れてこられ、アフリカの食文化も加わりました。このように、ペルー料理は様々な国の影響を受け、その多様な文化を取り入れながら、独自の食文化を育ててきたのです。その結果、現代に残る美食が誕生したというわけです。

実は、我が国日本の食文化も、大いにペルー料理に影響を与えていたことを知りました。リマには「日秘文化会館」という施設があります。この施設は1967年に日本とペルーの文化交流を目的として建てられました。9階建のとても立派な施設です。会館の2階には「ペルー日本人移住史資料館」があります。そこでは1世紀に渡る日本人移民の歴史が、様々な展示物やパネルを用いて紹介されています。

日本がペルーに初めて移民としてやってきたのは1899年のことです。明治維新後に経済状況が苦しくなった農業従事者たちが、より良い収入を求めて国外へ出稼ぎ移住することになりました。館内には当時の日本人移民たちのスーツケースやパスポートなどが展示されています。今でこそ南米旅行もメジャーになりましたが、当時は遥か遠い異郷の地への旅路は命がけであり、さぞかし勇気が必要だったことでしょう。それでも彼らは希望を抱いていました。

しかし、実際に異郷の地で彼らを待ち受けていたのは劣悪な労働環境、人種差別、そして風土病被害でした。当初の移住者たちの苦労は計り知れません。しかしそうした環境下でも、祖国に戻ることなく必死に生き抜き、現地社会に根付いていった多くの日本人移住者がいました。彼らは少しずつ田畑を開拓し、日本式の稲作を伝え、その地道な努力がペルー料理の発展に大きく貢献したのです。今や日本の醤油はペルー料理の定番調味料として受け入れられています。その後も長い年月を経て、数千人もの日本人移民者が定着していきました。私の地元岡山からも多くの人々がペルーに移住していたことを知りました。

日本から遠く離れた、地球の裏側にあるペルー。しかし私はペルー料理を通じて、日本とペルー両国に深い結び付きがあることを知りました。そしてこの美味しいペルー料理の発展に自分のご先祖様が大きな貢献をしていたことに、尊敬の念と誇りを感じます。

近年ペルー料理は世界中の美食家から注目を集めているようです。日本も例外ではなく、ペルー料理店の出店の動きがあるようです。ぜひ皆さまもペルー料理を見かけた際には、食べてみて下さい。

当時の日本人移住者のスーツケース (ペルー日本人移住史資料館の展示物 田中美久 撮影)

 

当時の日本人移住者のパスポート(ペルー日本人移住史資料館の展示物 田中美久 撮影)

(文・田中 美久)