北京の余文生弁護士

人権派弁護士の壮絶な獄中体験 死線を超えてたどり着いた境地(1)

2016/10/21 06:00

 北京在住の弁護士・余文生氏は、2014年9月に香港で起きた民主化要求運動、いわゆる「雨傘運動」を支持した人権活動家である張宗鋼氏の弁護を引き受けたことで、同年10月に突然、中国当局により拘束された。

死と隣り合わせ 獄中で凄惨な拷問

 余氏は北京市内の大興区看守所に連行されると、「大環背銬」と呼ばれる凄惨な拷問を受けた。 余氏の身体に強烈な負荷がかかり、両手は見る間に腫れ上がった。その上警察は、さらなる苦痛を与えるために手錠の部分を引っ張り続けた。余氏は叫び声をあげた。

 大環背銬 高くて幅の広い背もたれの鉄の椅子に座らせて、両腕を背もたれの後ろへ回し、手首を無理やり引っ張って手錠でつなぐというもの。

 のちに余弁護士は、その耐えがたい苦痛を「死んだほうがまし」と表現しているが、この時「死は自分のすぐそばにあり、命とはこんなにもはかないものだったのか」ということを初めて実感したという。

 11月2日夜から11月5日早朝にかけて、余氏に3回の「大環背銬」が行われた。腹膜が内部で裂け、内側から小腸が飛び出してしまった。だが、拷問による苦痛があまりにも大きかったため、10日も経ってから、痛みにより鼠形ヘルニア(脱腸)を発症していることに気が付いたという。鼠形ヘルニアとは、腸(や腹膜)の一部が本来の位置から動いて筋膜の間から皮膚の下に出てくる症状。

 11月20日、余氏は北京市第一看守所に移送されたが、この時の身体検査で鼠形ヘルニア症状が確認されている。だが警察はそれを認めなかったばかりか、何の治療も施さず、「家系の遺伝的な問題」と言った。

 拷問の目的は、人を服従させることだ。だが中国当局は、この拷問と牢獄体験が、余文生弁護士の人生を大きく転換させることになるとは思いもしなかっただろう。

学区での生活、民主主義を学んだ少年時代

 1967年、余氏は北京鉱業大学の敷地内の街で生まれた。北京の政府機関職員の住む集合住宅で育ち、生活水準は高く、一部の政府高官と顔を合わせることも多かった。

 余氏の父親は空軍の技術士官だったが、退役後は旅行局に就職し、外国の賓客を接待する業務で責任者を務めていた。当時、こうした業務は実質的に政府機関の仕事に属しており、余氏の父親もある種の特権的な立場にあった。

 仕事で多忙だった父親は、「明報」や「大公報」といった香港の新聞や、党幹部しか見ることのできない「内参(内部参考資料)」を家に持ち帰ってきたこともあった。当時のような閉鎖的な時代において、こうした情報が一般人の目に触れることはなかった。

 余氏は少年時代から、こっそりと内部文章や香港の新聞を読みふけっていたと語っている。そのため、西側の民主主義や普遍的価値観も自然に受け入れることができた。その結果、父親に「華国鋒は失脚する」「ソ連は解体される」「中韓の国交正常化が実現する」といった予測を語るほどになっていた。

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