女ひとりで世界一周放浪記 11

リスボンで見て感じた大航海時代の光と影

皆様、こんにちは。前回の記事ではオーストリア滞在中の様子についてお伝えしました。その後の足取りですが、オーストリア滞在を終えてスペインとポルトガルを訪れました。今回はポルトガルに滞在した時の様子をお伝えしたいと思います。ポルトガルには9月11日から9月19日までの9日間滞在していました。

 七つの丘の都

ポルトガルの首都リスボン。リスボンはヨーロッパで最も西にある首都で、テージョ川の河口に位置しています。ヨーロッパの首都らしからぬ、非常に素朴で親しみやすい雰囲気が漂っています。リスボンの街は起伏に富んだ丘陵地帯に広がっており、別名「7つの丘の都」とも呼ばれています。街散策をする際には坂道がとても多いので、バスやトラムなどの乗り物を利用すると便利です。それではリスボンでお馴染みの黄色いレトロな可愛いトラムに乗って、テージョ川沿いに足を運んでみましょう。

「7つの丘の都」と呼ばれるリスボンには坂が多い(田中美久 撮影)

 大航海時代の始まり

市内中心部からテージョ川沿いを走るトラムに揺られて約30分、「ベレン地区」にやってきました。 ここベレン地区は、かつての大航海時代に、新大陸へ向けて多くの船が大海原に出港した場所です。大航海時代とは、15世紀から16世紀にかけて展開された、ポルトガルとスペインを中心としたヨーロッパ諸国による新航路や新大陸の発見が相次いだ時代のこと。この時代にヨーロッパ勢力は、現在のアメリカ大陸やアフリカ、アジアへ渡るための航路を次々と開拓していきました。そしてこの出来事は後に、世界史上に大きな転換をもたらし、近代への移行を示すことになりました。

大航海時代は、ポルトガルによるアフリカ西海岸進出から始まりました。15世紀はじめ、ポルトガルの王子、通称エンリケ航海王子は、航海技術の発展と未開地の探検を精力的に推し進めました。彼がアフリカ西岸への進出を図ったことを契機に、大航海時代は幕を開けたのです。ポルトガルには大航海時代に名を残した偉人として、アフリカ南端の喜望峰到達に成功したバルトロメウ=ディアスやインド航路の開拓に成功したヴァスコ・ダ・ガマなどの名が挙げられます。ポルトガルのこのような動きに対抗したスペインが、思いがけずアメリカ新大陸を発見しました。それ以後、主にポルトガルによるインド・東南アジア進出、スペインによるアメリカ新大陸の支配が展開したのです。

テージョ川に面して建つ要塞「ベレンの塔」(田中美久 撮影)

   大航海時代の繁栄の象徴

 

   ベレン地区には、大航海時代におけるポルトガルの繁栄を偲ばせる歴史的建造物が多く残されています。

まず、ポルトガルの黄金期を象徴する「ジェロニモス修道院」。インド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマとエンリケ航海王子の偉業をたたえ、1502年にマヌエル1世により建てられました。300年の月日を経て完成したこの美しく見事な修道院の建築資金は、ヴァスコ・ダ・ガマの海外遠征により得られた莫大な利益によって賄われました。さらに、テージョ川に面して建つ要塞「ベレンの塔」。この要塞もまた、ヴァスコ・ダ・ガマの偉業を記念して造られました。ジェロニモス修道院と合わせて世界遺産に登録されています。

300年を経て完成したジェロニモス修道院(田中美久 撮影)

その他、1940年に国際博覧会のシンボルとして制作された「発見のモニュメント」と呼ばれる記念碑も有名です。モニュメントの両側には、大航海時代にポルトガルに繁栄をもたらし、地図や地球の概念を大きく変えた33人の偉人の像が建ち並んでいます。「発見のモニュメント」前の広場には、世界地図のモザイクがあり、ポルトガル人が開拓した航路が示されています。地図のあちらこちらには年号の数字が刻まれていますが、これは「ポルトガルがその国を発見した」とする年号です。

我が国日本については、「1541」という年号が刻まれていました。1541年は、ポルトガルが種子島に来航した年の2年前にあたり、ポルトガル船が豊後に漂着した時です。つまりポルトガル側からすると、「1541年に日本を発見した」ことになります。それまで日本は日本なりに国を築いていたわけで、なんだか不思議な気持ちになりました。

記念碑「発見のモニュメント」の広場にある世界地図のモザイク(田中美久 撮影)

   大航海時代の光と影

このように、ポルトガルは大航海時代に世界の頂点に立ち、繁栄を極めました。実は私は大学在学中に西洋史を専攻しておりまして、卒業論文では「大航海時代」について研究していました。未知の国への大冒険、勇気ある探検家たちが大海原へと繰り出していく情景。当時私は「大航海時代」に強い憧れとロマンを感じていたのです。

その憧れの時代の舞台となったリスボンを実際に訪れ、大航海時代の輝かしい功績を讃える歴史的建造物を眺めていたときは、とても感慨深いものがありました。しかし同時に私の頭の中に浮かんできたもの、それはヨーロッパに来る前に私が半年間近く滞在していた中南米諸国のことでした。

かつてのラテンアメリカには、マヤやアステカやインカなどそれまで築き上げられてきた高度な文明を持つ国家がありました。ところが大航海時代を契機に、ラテンアメリカはスペインを中心とするヨーロッパ列強の侵略を受け、植民地支配されることになります。ヨーロッパから来た侵略者たちは従来の国家を滅亡に追いやり、先住民を虐殺あるいは服従させ、独自に築き上げられてきた言語・宗教・建造物全てを破壊して富を奪っていったのです。

私は中南米8カ国を訪れましたが、どこかしこでスペインによる植民地支配時代の名残であるコロニアル都市を目の当たりにしました。またほとんどの国ではスペイン語が話され、土着の宗教を信仰する人は減り、今ではキリスト教徒が大多数を占めています。様々なものを奪われながらも服従せざるを得なかった先住民たちの苦悩や悲しみは想像に難くありません。

滞在中に古代文明の遺跡を見たり、現地の人と触れあったりするうちに、気付けば大好きになっていた中南米。現地を訪れるまで遠い存在だった中南米を身近に感じる今、それまで憧れを抱いていた大航海時代をもはや単純に「ロマンに満ちた輝かしい時代」とは思えなくなりました。

侵略を受けたのは中南米だけではありません。アフリカ諸国の黒人は奴隷として世界中に売り飛ばされました。彼らには人間としての尊厳が与えられず、奴隷船に押し込められ、劣悪な環境下で常に命の危険にさらされました。さらにアジア諸国の多くも同様にヨーロッパ勢力による植民地支配を受けました。植民地支配された国々がその後の経済発展における圧倒的なダメージを受けたことは言うまでもありません。実際、かつて植民地支配を受けた国の多くが現在とても貧しく、また当時の黒人奴隷制度の影響から、今もまだ黒人に対する差別意識が根強く残っています。

大航海時代に欧州諸国が目覚ましい発展を遂げた裏で、世界には圧倒的な格差が生まれ、人類は後世に続く計り知れない負の遺産を背負うことになりました。歴史が及ぼす影響がいかに大きいかということを痛感します。

勇気ある航海士たちにより開拓された新たな航路、交易で得られた莫大な富と発展、そしてもたらされた近代化。輝かしい歴史と栄光を残しつつも、現代に大きな負の遺産を生むきっかけとなってしまった大航海時代。大学時代の私は、その輝かしい歴史の部分のみに目を向けていました。しかし、中南米とヨーロッパそれぞれを訪れて自身の目で現地の様子を見聞きしたことにより、改めて新たな視点を持ってこの時代について考えるようになりました。

はたして大航海時代は、この世界にとって善だったのでしょうか、悪だったのでしょうか。もしも大航海時代がなかったら、この世界はどうなっていたのでしょうか。色々と思いをめぐらしてみましたが、結論はなかなか出せずにいます。このように旅の中で新たな学びや視点を得ることにより、複雑な気持ちになることもあります。しかし、何らかの結論が出せなかったとしても、世界のあらゆる物事について知り、学び、多面的な側面から自分の頭で考えてみることはとても重要であり、またそれを可能にしてくれる旅はとても素晴らしいと実感しています。

ポルトガルが日本を発見したとする年号は1541年(田中美久 撮影)

  我が国の凄さを再認識

 

   最後に、リスボンでもう一つ想いを馳せていたのは、故郷日本のことでした。「発見のモニュメント」の広場で眺めた世界地図のモザイクにて、小さな島国に刻まれた「1541」という年号。同じように年号を刻まれた多くの国々が植民地支配を受け大きなダメージを受けた中で、日本は違いました。

当時の日本にヨーロッパ列強がやってきた時、日本には当時圧倒的な軍事力がありました。また、世界情勢をしっかりと把握していたこと、地理的条件、賢明な政治的判断により、植民地支配の危機を回避することに成功したのです。さらにその後も外国の進んだ文化を取り入れつつ独自の文化を発展させてきました。日本が今日のように世界でも高い地位を築き上げてきたことについて、改めて凄い国だと感嘆せずにはいられません。

旅をする中で日本の素晴らしさを身に染みて感じることもあれば、ネガティブな側面について考えることもあります。他国のことだけでなく自分の国のことについても客観的かつ多面的に見つめることができるようになるのもまた、旅の素晴らしいところです。「帰国するその日まで可能な限り多くのことについて見聞きし学び、考えることを続けよう」という思いをより一層強めたポルトガル滞在でした。

(田中 美久)