古風悠々

自分に厳しい諸葛亮 自らの降格を要求

2017年02月03日 07時00分

 三国時代のお話です。丞相(じょうしょう)の諸葛亮は劉備の遺志を継ぎ、建興6年(西暦228年)に北伐を敢行し、魏の拠点を次々と攻め落としました。しかし、武将の馬謖(ば しょく)が軍令に従わなかったため、諸葛亮が率いる蜀の軍は惨敗しました。陥落させた多くの城が再び魏に取り返され、諸葛亮らは漢中へ退くことになりました。

 諸葛亮は軍法に従い、涙を飲んで可愛がっていた部下の馬謖と、その配下にあった張休、李盛の処刑を命じました。一方、馬謖の配置を命じたのは自分であり、蜀軍に多大な損失をもたらしたとして、諸葛亮は自らを現職より三等降格させました。

 責任感の強い諸葛亮は、自分に対しても厳しい人でした。

 この一件で、諸葛亮の威信と人望は高まり、蜀軍の将軍と兵士らの士気が高まったと伝えられています。

(翻訳編集・豊山)

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