知性も才能もまるでなし 大金持ちになったわけは?

2017年02月23日 07時00分

 清の時代、ある大金持ちがいました。彼には特に優れた知性も商才もなく、口下手でしたが、お金がどんどん入ってくるので、周りの人たちは不思議に思っていました。また、普段からさほど健康に気をつけている様子もないのに、病気にかかったことがありませんでした。時に災難に見舞われることがあっても、いつもどうにか解決し、難から逃れることが出来ました。

 ある日、彼の家の女中が首を吊って自殺しました。すぐに、役人たちが彼の家にやってきました。

 遺体を調べようと女中に近づくと、彼女の手足が急にピクリと動きました。驚く役人たちをよそに、彼女はあくびをして背筋を伸ばすと、ゆっくりと起き上がりました。死んだはずの人間が生き返ったのです。

 しかし、以前から彼に嫉妬していた役人は、彼に婦女暴行の罪をなすりつけようとしました。言葉たくみに女中を誘導尋問すると、「旦那さまはいつも美しい奥方とご一緒で、私には目もくれません。もし本当に私のことを気に入ってくださったのなら、私は喜ばずにはいられないでしょう。自殺なんて、とんでもありません」と答えました。自殺の理由を聞かれると、「実は、父親が悪徳の役人に騙されて、死に追いやられたという知らせを受けたのです。怒りと悲しみのあまり、自殺を図ったのです」と答えました。役人は彼を捕らえることができず、諦めてその場を去りました。

 大金持ちはあわや罪を着せられるところを、今回も無事に難を逃れました。

 ある易者は、彼について語りました。「彼の前世は正直な田舎者で、金銭や物に執着せず、いつも穏やかだった。騙されても罵られても、他人を恨むことなく、争ったりもしない。心も性格も真っ直ぐで、誰にでも優しく、草葺きの家で平々凡々とした一生を終えた。その純粋な心が神々に認められたからこそ、彼は福を与えられたのだ。彼は素朴で無口、さらに才能はまるでないが、それはまさに前世で持っていた本質が残っている表れなのだ」

≪清朝・紀暁嵐「閲微草堂筆記」より≫

(翻訳編集・豊山)

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