大紀元評論・川人

天安門の毛沢東肖像画から見る「中国最大カルト」とは?

2017/02/05 06:00

 中国最高人民法院(最高裁)と最高人民検察院(最高検)は1月25日、「邪教(カルト)組織」を定義する『刑法』第300条の新司法解釈を共同で公布した。いっぽう、中国共産党政権が定めたカルト組織の定義から見ると、実に中国共産党こそが国内最大なカルト組織だと見て取れる。これは中国5千年「敬天(お天道様を敬う)思想」が凝縮された600年の歴史を持つ天安門に、毛沢東の肖像画を掛けるという個人崇拝の行為も証明している。

 明の永楽15年(1417年)、明の成祖(永楽帝)朱棣が南京から北京に遷都を決めた後、元の時代にあった王宮を基に皇城(現在の故宮、紫禁城)の建設などが進められた。その3年後の永楽18年(1420年)に、皇城の正門が完成され、「受命于天(天から権力を授かった、天命或いは天の意志を受けて治世を任された)」の意味から「承天門」と呼ばれた。

 清の時代になると、世祖(順治帝)の愛新覚羅福臨は順治8年(1651年)、「承天門」などの城壁を再建した際、「承天門」から「天安門」に改名した。それは、清の皇帝が「受命于天、安邦治国」との理念から付けたと言われている。

 それ以降、天安門は中国の最高権力が天から授かった象徴となった。お天道様、そして中華民族を見守る神への敬畏を示すため、明と清の皇帝たちは天安門を「国運の門」と見なし、天に対して不敬な心を少しも起こすのを許さなかった。歴史記録をみると、明と清王朝では、特別な儀式以外に天安門は常に閉じたままだった。また特別な日以外、皇帝本人も天安門からの出入りを禁止されていたという厳格な規定があった。

 「真命天子(天命を受ける皇帝、天の子)」とも呼ばれる皇帝たちは誰もが自らの肖像画、または先祖の肖像画を天安門に掛ける勇気がなかった。それはお天道様に背き、天に挑むことを意味し、不敬の極まりであるため、絶対に許されない行為だからだ。

 清王朝が滅亡した後、1949年まで天安門に一時的に、袁世凱と孫文と蒋介石の肖像画が掛けられたことがあった。49年に暴力革命で政権を奪った中国共産党は矢も盾もたまらず毛沢東と朱徳の肖像画を掛けた。このように、国民に対して自らの権力を見せびらかすのは非道の独裁者だけで、「天命を受ける天の子」はこのようなことを絶対にしない。

 人類発展の歴史をみると、数千年において各民族ではその民族を見守る神や聖人を祭るために肖像画や位牌などを作ってきた。中国歴代王朝の皇帝たちから西洋各王国の国王たちまで皆このような伝統があった。

 そして現在、各主要民主主義国家をどこ見ても、その国に大きく貢献した指導者であってもその肖像画を国の象徴建築物の上にかけることがない。しかし、中国、北朝鮮などの共産主義政権の国家だけが、その「革命の指導者」を神格化し、「指導者」が死んだ後も、その肖像画に対して神のように祭って崇拝している。これはまさに宗教行為で、共産主義政党は典型的なカルト組織ではないであろうか。

2016年9月、天安門広場に掲げられていた、毛沢東肖像画が新しいものに取り換えられる様子。共産党の主張する「建国記念日」67周年に合わせて(STR/AFP/Getty Images)
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