共産主義の知られざる真実

大半の財を共産党に寄付し、裏切られて憤死した富豪は誰?

2017/06/02 11:23

 銀貨、食料、住宅、綿花―。全財産を寄付し、一文無しになったにもかかわらず、裏切り者扱いされ失意のなか死んでいった名士がいる。40年代後半、「階級闘争」を掲げる中国共産党は土地改革運動を行い、土地を回収するために地主や自営農民を虐殺した。嘘と裏切りの性質を持つ共産主義に幻想を抱いたがために、不運に見舞われ失われた尊い命は数知れない。

 形は異なれど、中国共産党のイデオロギーにユートピアを見出すならば、現代であっても、これから紹介する名士の人生のような不幸を迎えることになりかねない。中国共産党を信じることには、大きな危険をはらんでいる。

勉学に励み、若くして学校を設立した牛友蘭

牛友蘭氏とされる人物の肖像
(Public Domain)
 

 牛友蘭は、1885年に山西省興県の名士の家に生まれた。幼いころから勉学に励み、祖国を繁栄させるには教育を普及が必要だと考え、24才で地元に高級国民中学を設立した。

 しかし、1937年に日中戦争が勃発すると、反日を訴えた中国共産党の八路軍に「国家の復興」との希望を抱いて、物資や金銭を提供した。記録によると、子弟に共産党に加入するよう勧めていたという。牛友蘭は十数人の親族を、党の指導者の毛沢東が住む延安に移住させて「革命思想教育」を受けさせたり、八路軍に参加させたりした。

 中国共産党へ提供する物資を生産するため、1937年、牛友蘭は1万元出資して興県民衆生産販売合作社を設立。生産した布製品を八路軍に供給した。のちに、晋西北地域最大の縫製工場へと発展した。牛友蘭は設立時から工場長と経理を務めたが、特別な待遇は一切受けなかったという。1941年、晋西北貿易総局顧問に就任し、工場を離れた時にも、会社から何も取らなかった。

 牛友蘭は熱心に、共産党の描くユートピアに幻想を抱いていた。毎月、銀貨100枚を中国共産党に活動費として支援した。また、自らの邸宅を八路軍に明け渡して司令部として使用させた。中国共産党の将軍賀龍と関向応率いる八路軍第120師団が晋西北に進駐し、軍需品が著しく欠乏していた時には、多くの綿花や布を供給し、一個師団の越冬用品に充てた。

熱心に共産党の描くユートピアに期待 財産を寄付し一文無しに

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