THE EPOCH TIMES
医山夜話

拒食症(2)

2018年01月04日 11時00分

 ハイジーは、15歳の時にこの病気になったと告白しました。

 「私は10歳の時、すでに自分の身体に敏感でした。母は東欧人の遺伝性肥満型であり、体重は90キロを上回っていました。幼い頃、私の人形や家の置物などは、みなほっそりとした女性のイメージでした。母はずっと『女の子は太ってはいけない』という考えを私に植え付け、買ってくれた洋服はいつも私の体より一回り小さいサイズのものでした。その洋服を着ると、私の体はいつも太って見え、時には息まで苦しくなって腰も曲げられず、いつも怖くて緊張し、プライドが大きく傷つけられました」

 「私はバレエ学校に通っていましたが、小さくて痩せている子供たちの中にいると、太っている私はとても目立ちました。母はよく他の子供を指して、『あの子を見て、小柄で痩せて、本当に可愛いわ』と言いました。私にはまるで『あなたは本当に駄目な子ね、どうしてそんなに太っているの?』と聞こえました。母の期待に応えるため、私は食後に食べた物を吐く習慣を身につけました。どれほど食べても太らなくなったと嬉しくなり、また自分のこのような決心を誇りに思っていました。食べた物は胃の中にはいってから一時間もしないうちに吐き出されました」

 私はハイジーに、「あなたのこの習慣を、お母さんは気づいていましたか?」と聞きました。

 「私たちはこの話題を避けていました。しかし、食後に子供がトイレに長時間閉じ込もっているのに、気付かない母親がいるでしょうか?」 ハイジーの表情はとても苦しそうでした。

 一方、ハイジーが育った環境とはまるで違う経済状況の中で育った私は、美味しい物を食べた後に吐き出すということが理解できず、戸惑いました。小学生の時、私の兄は体育の時間に運動場で倒れたことがあります。兄は、空腹が原因で倒れたのです。あの時、私の家族はとても貧乏でした。私の気持ちはとてもつらく、大人になった今でもあの日のことをよく覚えています。

 「母は私たちが太るのを心配しながらも、毎日のように焼肉やフライドポテトなど太りそうなものを作りました。私は本当に食べることが好きだったので、食べれば食べるほど量が多くなっていき、一回の食事で数人分も食べていました。どうしてもダイエットができず、食欲をコントロールできないかと私はいつも思っていました」

 「長期にわたって嘔吐していたため、胃酸が私の歯のエナメル質にダメージを与えたので、セラミックの歯に変えました。私の体は時に太り、時に痩せて、服のサイズも中から特大まで全部揃っていました。初対面の人に対して、私はまずその人のスタイルに注目します。スタイルと服に対して厳しく要求しているため、部下たちも自分の容姿をとても重視しています。外見では、私は有能なキャリアウーマンで体力もありますが、毎晩、私がどんな苦難にいるのか、誰も知りません……」

 「以前、治療を求めたことはないのですか?」と私は聞きました。

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