中国のある16歳の少女の生い立ち

2018/01/09
更新: 2018/01/09

18年間続いた法輪功学習者への迫害。その家族も計り知れない辛酸をなめている。遼寧省の法輪功学習者徐大為さんの娘さんもその一人。わずか16歳だが、父の死、母との離れ離れの生活、恐怖と隣り合わせの逃亡生活などなどを経験している。

中国からタイに渡り、現在は米国にいるこの少女は、大紀元の取材に応え、その思いのたけを語った。

私の名前は徐鑫洋、16歳、中国遼寧省出身です。

私は、他の子供と違う16年間を過ごしてきました。子どもの頃から両親の元を離れ、友達や親戚の家を転々としていました。「自分の家」と呼べる場所で育った記憶は、あまりありません。

母と別れなければならない時は、泣き顔を見られたくなくて、毎回こっそり隠れていました。本当はお母さんと一緒にいたい、独り残されるのは怖かったです。

生まれたときから刑務所にいる父

母は帰郷の度に、友達に父のことを話していました。私は父と会ったことがなく、どんな顔立ちなのかも知りませんでした。

「あなたのお父さんは良い人よ」と、母はいつも言っていました。しかし「良い人」なのに、なぜ刑務所にいるのでしょうか。私にはよく分かりませんでした。

母によると、父の名前は徐大為、料理人でした。1996年に、父が法輪功の学習書「轉法輪」を読んで、「真、善、忍」に従い修煉を始めました。1997年いまの母と出会い、二人は2000年5月12日に結婚しました。

1999年7月20日、中国共産党の一部の権力者は偏執した考えから、法輪功学習者に対する弾圧を始めました。根拠のない誹謗中傷が、法輪功を攻撃していました。両親は、法輪功は無実であり共産党の嘘を信じないよう周囲の人々に伝え続けていました。

厳しい弾圧により、両親は2001年2月に遼寧省瀋陽市の刑務所に拘留されました。二人はまだ結婚して8カ月、母は身ごもっていました。私がお腹の中にいたころです。

刑務所で、二人の刑務官が母に暴力を振るいました。妊娠していた母は拘留から1カ月後、保釈されました。しかし、父には懲役8年の判決が下りました。母は何度も刑務所に足を運びましたが、一度も面会は許されなかったそうです。

同じ刑務所の囚人らによると、刑務官たちは父を拷問していました。あまりにも酷かったので、ある囚人が母に電話で父の状況を明かしてくれたそうです。彼らは、父の手指と足指に針を刺し、電気棒(棒状のスタンガン)でショックを与え、声が出ないよう口を布で塞いだり…。

父は惨い拷問を受けても信仰を放棄しませんでした。そのため、遼寧省の四つの刑務所に移送されました。

私を出産して4カ月後、母親が再び逮捕されました。9日後に、瀕死状態で母は帰宅しました。

父親と一緒に送った13日間

7歳の頃、刑務所で父親と初対面しました。この人が私の父、母の大切な人ー。「おいで」と言うように父は両手を広げました。しかし、私は動揺して母の腕に顔をうずめました。これが大変な後悔になるとは、その時は知る由もありませんでした。

8歳の時、父親は8年の刑期を終え、我が家に戻りました。全身傷だらけ、呼吸するのもままならないほど衰弱していました。怖くて近づけなかった。帰宅からわずか11日目に入院して、13日目に父は亡くなりました。34歳でした。

後になって知ったのですが、母は迫害により夫、父、母、兄を100日の間に失いました。

4度の転校

母親は法輪功迫害で死亡した家族のために、いつも政府に陳情しており、全国で指名手配されていました。そのため、私は小学校三年生の時、4度も転校しました。学校の寮に泊まれない土日は、母親の親友のもとに身を寄せていました。母とはほとんど会えませんでした。母が学校まで送ってくれたのは一度だけ。

別れる時、内心では「時間が止まってほしい、もうちょっとでいいからお母さんと一緒にいたい」と思っていたのですが、「お母さん、いってらっしゃい」と母に別れを告げ、学校へ行きました。

母は今、人のために頑張っていると知っているので、私も振り向かず、母親に強い後ろ姿を見せてあげたい一心でした。でも、あふれ出る涙をこらえることができませんでした。

小学校教師の逮捕 悪夢の連続

 

4校目の小学校で学んでいた私は、ある日クラスメイトから「お母さんが逮捕された」と聞かされました。当時、その小学校の多くの教師は法輪功学習者で、「お母さんはきっと大丈夫ですよ」と慰めてくれました。母と連絡が取れなくなって20日後、傷だらけの母が帰ってきました。

4校目では優しい先生に囲まれ、楽しく穏やかな日々が続くと思っていました。私は自分の誕生日の前日に、「明日は私の誕生日です」と先生に伝えたら、「プレゼントを用意するよ」と約束してくれました。しかし翌日、先生は逮捕されました。

小学校にも中国共産党による法輪功迫害の魔の手が広がっていたのです。授業として「法輪功を中傷」する映画の放送を組み込んでいました。そんな映画は見たくなかった私や一部の生徒は、学校から逃げだしました。私はわずかな記憶をたよりに、故郷行きの汽車に乗って、三、四時間後に降りましたが、周りは真っ暗闇ですごく怖くて、母に電話しました。

「お母さん、今夜泊まるところを見つけて。学校から逃げだしたの……」

驚きの逃亡

 

その日以来、長い間、私は悪夢にうなされています。

数人の同級生は警察に連れて行かれたと聞きました。その時、母はまだ指名手配されており、私も連行される恐れがありました。私と母は逃亡生活を送ることに決めました。

私の子供時代は恐怖と隣り合わせでした。

12歳の時、母とともにタイに脱出しました。しかし、タイでは1年間で23人の法輪功学習者が逮捕され、強制送還されていました。

幸いにも、私たちはその後アメリカに渡ることができました。ようやく自由な生活を送ることができるのです。母親と離れることも、孤児になることも恐れなくていいのです。

実は中国には、私と同じような境遇の子どもが、まだたくさんいます。彼らにも平穏な日々が取り戻せるように、そしてこの18年間も続いた迫害が早期解決されるよう、心から願っています。

米ワシントンで開かれた法輪功迫害停止の集会に母親とともに参加する徐鑫洋さん。手には迫害で死亡した父親の写真(明慧ネット)

                                    (大紀元日本語ウェブ編集チーム)

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