電話がなくても構わない 強気な営業マンの秘策とは

困難や不便さは、時に人を大きく成長させるもの。貧困から脱出し、ビジネスで大成功を収めたブラジル人男性をご紹介します。

不利な状況をチャンスに

リオデジャネイロに住むフラビオさん(Flávio Augusto da Silva )は貧しい家庭の出身。幼い頃は両親と二人の姉妹、祖母の6人暮らしで、65平米のアパートで身を寄せ合って暮らしていました。毎日2時間あまりかけて学校に通いながら、いつか働いて自ら生計を立てる日を夢見ていました。

19歳の時、最初に見つけた仕事は、英会話学校の電話セールス。やる気満々だったフラビオさんには、ひとつだけ問題がありました。彼には電話機がなかったのです。当時、ブラジルの一般家庭に電話は普及しておらず、手続きには非常に時間がかかりました。

やればやるほど昇進できる営業の仕事が気に入っていたフラビオさん。そこで彼は、空港に設置されている電話を利用することを考えました。

(Pixabay)

「空港の電話を利用すると、二つの利点があるんです」

彼によると、利点の一つは、街頭の公衆電話より安全で落ち着いている所。もう一つは、エアコンや洗面所など、快適な環境が整っていること。さらに、空港内で時節流れるアナウンスが顧客の心をつかみ、セールスアップにつながったことも幸いしました。

セールスマンにとって「電話機がない」ことは致命傷になるところ。しかし、フラビオさんは逆転の発想でそれをチャンスに変えました。

人生最大の賭け

 

その後3カ月、彼は毎日空港へ通い、3時間ほど顧客へ電話をかけ続けました。電話代は自分で支払いましたが、営業の仕事は彼にとって苦ではありませんでした。

4年間のハードワークの末、破格の勢いで昇進したフラビオさんは、ある時壁にぶつかりました。彼の上司や経営陣は、英会話スクールに投資することを拒んだのです。当時、ブラジルにおける英会話スクールの顧客は留学を目指す若者や一部の学生のみ。しかし、フラビオさんは近い将来、英会話の需要が高まることを予測していました。

(Pixabay)

1995年、フラビオさんはその会社を去り、自分で起業することを決断。それは、彼にとって大きな賭けでした。

「これは、人生で最大の難関でした。なぜなら、私には起業できるほどの資金がなく、だれからも支援を得られなかったからです」

月12%の利子で2万ドルを銀行から借り受けたフラビオさん。資金はオフィスの改装費用にあて、18人いるスタッフの給料は顧客の入学金でまかないました。

ビジネスの成功

その後、フラビオさんの予測は大当たり。90年代後半、ブラジルには多くの外資系企業が流入し、よい仕事を得るには英会話の能力が必須となったのです。

フラビオさんの会社「ワイズ・アップ」は最初の年に1000人の生徒を獲得。翌年、彼のスクールには1500人もの生徒が集まり、月に50万ドル(5千500万円)を稼ぐほどに成長。その後3年間で、彼はブラジル24カ所にスクールを拡大しました。

(Courtesy of Astrid Heine Hax)

39歳の時、フラビオさんは一度会社を450万ドル(およそ490億円)で売却し、ボランティア活動に専念していましたが、再度請われてワイズ・アップを買い戻すことに。再び彼が指揮をとると、たちまち会社は繁栄し、スクール数は420校まで成長しました。

現在、会社の経営に専念する一方、家族との時間や、彼がオーナーを務めるサッカーチームも大切にしていると話すフラビオさん。大富豪となっても、ずっと「謙虚でいること」が彼の信念だといいます。

「私は今も、貧乏だった時も、変わらず幸せ者でした。ということはつまり、仮にすべてを失ったとしても、私は相変わらず幸せだということです」

謙虚でありながらも、明るく楽天的なフラビオさんの言葉。前向きに人生を切り開いていくヒントが得られそうです。

(Courtesy of Astrid Heine Hax)

(翻訳編集・郭丹丹)