悪魔が世界を統治している 九評編集部:悪魔が世界を統治している

第五章:西側への浸透(上)

2019/08/04
更新: 2022/05/28

目次

序文

1.共産主義暴力と非暴力

2.スパイ戦争と偽情報

3.ニューディール政策から進歩主義

4.西側先進諸国の文化大革命

5.反戦運動と公民権運動

参考文献

 

序文

 

2016年のアメリカ大統領選ほどドラマチックに展開した選挙は過去にないだろう。投票率は58%と低いにもかかわらず、選挙演説では紆余曲折のバトルが繰り広げられ、その影響は選挙後にも及んだ。当選した共和党候補のドナルド・トランプは、彼に対するメディアのネガティブ・キャンペーンや全米各地の抗議集会に直面することになった。抗議者たちが掲げるロゴやスローガンは非常にシンプルで分かりやすい。「私たちの大統領じゃない(Not my President)」「人種差別」「女性差別」「外国人差別」「ナチス」。抗議集会では投票の再集計や大統領弾劾の必要性まで叫ばれた。

調査報道を見ると、これら多くの抗議活動は、一部の集団が系統的に組織したものだったことが分かる。ニュージーランドの政治活動家トレバー・ラウドン(Trebor Loudon)監督のドキュメンタリー映画「四面楚歌のアメリカ 市民戦争2017」(America Under Siege: Civil War 2017 )にあるように、多くの抗議者は「プロの革命家」であり、彼らは北朝鮮、イラン、ベネズエラ、キューバなどの共産国家と強い繋がりを持つ。映画はさらに、アメリカで活動する社会主義団体の労働世界党(スターリン系)と自由社会主義組織(毛沢東系)の関与についても焦点を当てている。【1】

1980年代以降の共産主義運動を調査したロウドン氏によると、左翼組織の浸透と転覆の主なターゲットはアメリカだった。アメリカの政治、教育、メディア、ビジネスなどすべての分野に左翼の「プロ」が配置され、彼らがオピニオン・リーダー(世論先導者)となって国を左傾化させた。冷戦の終結と共に、世界は自由社会の勝利を謳歌したが、一方で共産主義はひっそりとアメリカの公的機関に侵入し、最終的な闘争に向けて準備をしてきた。

アメリカは自由社会の先導者である。神はこの国に世界の警察となる使命を与えた。アメリカが介入することにより、世界各地で起こる戦争の結果が左右される。核戦争の脅威にさらされた冷戦時代、アメリカはソビエト圏を抑制し、最終的にはソビエトを含む東欧の共産主義を解体させた。

アメリカの建国の父たちは、西洋の宗教や伝統哲学に則り、独立宣言書とアメリカ合衆国憲法を起草した。これらの文書は、神から与えられた人間の権利、「信仰の自由や言論の自由」などを自明の理とし、権力分立による健全な共和制を保障した。奴隷制度の廃止をめぐって起きたアメリカの南北戦争は、つまり彼らに建国の理念「自由」を改めて認識させるために起きたのである。200年間、その理念は憲法の前文に書かれている通り、「国内の平穏」や「一般の福祉」を保障するのに十分な役割を果たしてきた。

西側(欧米諸国)の「自由」は、共産邪霊が目標とする人間の奴隷化、人類の壊滅と真っ向から対立する。共産邪霊はその代理人たちを人類社会へ遣わし、偽善的な「集産主義」「平等社会」を掲げさせ、世界中で彼らの陰謀を実行させている。

東側の共産主義国、つまりソビエトや中国では、独裁国家、大量虐殺、伝統文化の破壊といった明白な形で共産主義が現れた。一方、欧米国家では、転覆と偽情報により、ひっそりと、じわじわと共産主義が力を増している。共産主義は政治・経済を浸食し、人類の道徳を低下させ、最終的に人類に壊滅をもたらす。

欧米では、共産党が政治の主流になることは難しい。そこで、共産邪霊の代理人たちは身分を偽装し、さまざまな組織や機関に潜り込んで活動する。現在、欧米では少なくとも4つの共産主義勢力が転覆を企んでいる。

第1の勢力は、ソビエトである。ソビエトは第三インターナショナル(コミンテルン・世界共産党組織)を設立し、世界に革命を広げた。一方、1980年代に経済改革を行った中国は、欧米とビジネスや文化的な交流を持つと同時に、欧米へ浸透するチャンスを得た。

第2の勢力は、各国に存在する共産党である。彼らはソビエト共産党やコミンテルンの支援を得ながら、国家の転覆工作を図る。

第3の勢力は、度重なる経済危機と社会不安である。欧米政府は国内安定のために社会主義的な政策を取らざるを得ず、次第に社会が左傾化していく。

第4の勢力は、共産主義や社会主義に同調する人たちである。これらの支持者は、第五章(下)で述べるが、いわゆる欧米の「有用なバカ」であり、文化を破壊し、道徳の退廃させ、合法政府をつぶすのに便利な道具になる。

欧米における共産主義の浸透工作は複雑で不透明な部分が多いため、ここで彼らの陰謀すべてを述べることはしない。大まかな部分を理解すれば、読者には巧妙に仕組まれた邪霊による嘘と欺瞞、彼らのやり口が見えてくるだろう。この章では簡潔に、共産主義によるアメリカと西ヨーロッパへの浸透について概観を述べる。

 

1.共産主義―暴力と非暴力

 

共産党というと、多くの人が思い浮かべるのが高潔な目的達成のための暴力である。マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』の中で、「共産主義者は自らの意図や信条を隠すことを軽蔑する。共産主義者は、彼らの目的は、既存の全社会組織を暴力的に転覆させることによってのみ達成できることを、公然と宣言する」と唱える。【2】

しかし、ロシアや中国で行われた暴力的な革命と圧政のみに気を取られてはならない。共産主義には非暴力の、目に見えないやり方がある。

レーニンは、暴力的な革命を掲げたマルキシズム(マルクス主義)を見事に体現した。マルクスは、共産主義の革命は高度資本主義社会に現れると主張したが、レーニンは比較的に経済発展が遅れていたロシアに社会主義を樹立できると信じ、それを実現した。

レーニンがより巧みにマルクス主義を適用したのは、彼の党結成の手法である。犯罪組織で使われるような脅迫、嘘、暴力に加えて、マルクスの社会経済理論で説得する。レーニンは、労働者層が階級思想に目覚め、自分たちで革命を起こすことは困難であるため、外からの力によって彼らを動員しなければならないと考えた。つまり、革命には厳格に訓練された「前衛隊」が必要であり、その役割を担うのが共産党なのだ。

マルクスの死後1年たった1884年、イギリスにファビアン協会が誕生した。彼らは社会主義を推進するべく非暴力の道を歩むことを選んだ。ファビアンのロゴは羊の皮をかぶった狼であり、その名前の由来は古代ローマの将軍クィントゥス・ファビウス・マクシムス(Quintus Fabius Maximus Verrucosus)からきている。この将軍は、相手を消耗させる持久戦略に長けていたことで知られている。

ファビアン協会が作成した最初のパンフレットの表紙には、次のような言葉がある。「われわれは今、忍耐強く待たなければならない。ファビウスがハンニバルと闘った時、多くが彼を非難した時のように。しかし、時期が来たら、われわれは鋭い打撃を与えなければならない。そうでなければ、われわれの待機はムダになり、虚しい結果となるだろう」【3】

徐々に社会主義を浸透させるため、ファビアンたちは政治、ビジネス、市民社会の隙間に潜り込んだ。ファビアン協会はメンバーたちの活動を制限することはしないが、彼らにはあらゆる組織に加入し、閣僚級の人物や上級官僚、著名な企業家、大学の学長、教会のリーダーたちと積極的に懇意になるよう奨励した。ファビアン協会の会長であるシドニー・ウェブ(Sidney Webb)は次のように書いている。

「われわれは、宗派、無宗派に関わらず、すべての男性と女性の結びつきを歓迎し、社会主義は世俗主義ではないと強く主張する。さらに、すべての事象や賢明な集団行動の目的は、個人、魂、良心、個性の発展のためである… われわれの政治的宣伝は、徐々に台頭してきた労働党や、社会主義を信じる人たち、単純労働者たち、およびどの社会層にも制限されない。われわれは、一人ひとり、説得できる限り、すべての人々が聞くまで、他の社会主義者と共に、すべての保守層、宗派を問わずあらゆる教会やチャペル、すべての大学、自由主義や過激派に働きかける。これは重要な発見であり、われわれはそれを「浸透」と呼ぶ」【4】

多くのファビアン協会のメンバーは若い知識層である。彼らは講演会や本、雑誌、小冊子を通じて社会全体に働きかける。20世紀になり、ファビアン協会はその主な活動舞台を政治に移した。シドニー・ウェブは新生の労働党に属する労働代表委員会(Committee of the Labor Party)の代表に就任した。

労働党の指導的立場にあったウェブは、ファビアン社会主義の思想を党の指導目標に据え付け、党の規則とプログラムを起草した。また、同党は多くの大学を通して、ファビアンの思想を浸透させた。

レーニンの暴力的な共産主義も、ファビアン協会の非暴力の共産主義も、どちらも共産主義の邪霊が巧みに操った産物であり、その目的は同じである。実際、レーニンの暴力的な共産主義は、非暴力の手法を否定していない。レーニンは著書『共産主義における左翼小児病』(“Left-Wing” Communism: An Infantile Disorder)の中で、彼は西ヨーロッパの共産党が「反動主義者」の労働組合と協力しないことや、「資本主義者」である国民議会に参加しないことを批判している。

レーニンはさらに彼の著書の中で、「政治の芸術(共産主義者が彼の仕事を正しく理解すること)とは、つまり労働者の前衛隊による権力掌握が成功できるよう、状況と時機を正しく見極めることである。権力を掌握するとき、あるいはその後も、可能な時に、われわれは労働者、非労働者に関わらず、広い社会層から多大な支持を得るよう努力すべきである。また可能な時期になったら、われわれのルールを維持し、堅持し、広げるために、教育、訓練を通してより膨大な労働人口を惹きつけなければならない」【5】

レーニンは、共産主義者は真の目的を隠蔽しなければならないと何度も強調している。権力を掌握するには、約束も譲歩もいとわない。つまり、目的を達成するためには、無節操でも構わない。当然、政権奪取という究極の目的のために、ロシアのボルシェビキ党や中国共産党が歩んだ道のりは、暴力と欺瞞に満ちていた。

ソビエトと中国共産党が見せた残虐性は、欧米に巣隠っていた「非暴力系の共産主義」から目をそらす役割を果たした。アイルランド人の劇作家でイギリス・ファビアン協会のバーナード・ショーは次のように述べている。「社会主義は平等な収入を意味するだけではないことを明確に言っておく。社会主義の下では、われわれは貧乏になることも許されない。われわれは、好きと嫌いに関わらず、強制的に食べさせられ、衣服を身に付けさせられ、家を与えられ、教育や仕事を与えられる。もし、ある人物がそれらの面倒をやり遂げるにふさわしい特質を持っていないと見なされたら、彼は多分親切な態度で、社会から抹殺されるだろう」【6】

ファビアン協会は偽装に長けている。彼らは文学家のバーナード・ショーを利用して、非暴力の社会主義を美しい言葉で表現した。しかし、残虐性は表面下に隠れている。欧米の共産党やさまざまな組織は、若者を扇動して混沌とした雰囲気を作り出す。彼らは敵を脅迫し、嫌がらせをするために、暴行、破壊、強盗、放火、爆発、暗殺を行った。

 

2.スパイ戦争と偽情報

 

共産主義は階級社会を抑圧的な社会構造であると考え、国家という概念を廃止することを目標に掲げた。マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』の中で、「労働者は国を持たない」と主張し、同書の末文は、「万国の労働者よ、団結せよ!」である。

レーニンの指揮のもと、ボルシェビキは世界初の社会主義国家をロシアに設立し、すぐにコミュニスト・インターナショナル(コミンテルン)を結成した。この組織は、世界中に社会主義的な革命を拡散させていくために造られた。ソビエトの狙いは、コミンテルンを足掛かりとして合法的な他国の政府を打倒し、労働者による社会主義的な独裁国家を樹立することだった。1921年、コミンテルンの極東支部が誕生し、1949年に同組織が中国を掌握した。

中国共産党のほか、世界中の共産党がコミンテルンから指導を受け、資金や訓練を受けていた。使い放題の資源に恵まれたソビエト共産党(CPSU)は、世界中から活動家を募集し、それぞれの国で破壊工作の訓練を行った。

1919年に結成されたアメリカ共産党(CPUSA)も、コミンテルンとソビエト共産党の支持を得た組織である。アメリカにおいて、アメリカ共産党は主流の政党ではないが、その影響力は決して無視できない。アメリカ共産党は活動家やそれらの組織と共謀し、労働者や学生運動を扇動し、教会や政府にまで深く入りこんだ。

アメリカの反共産主義の先導として知られるフレッド・シュワルツは1961年に述べている。「共産主義者が少数だからといって、その影響力を過小評価してはならない。それはまるで、船体の強固な部分しか見ずに、船は大丈夫だと判断しているようなものである。一つの穴が、船を沈めることができる。共産主義の理論は、訓練された少数の人間が大衆を支配し、管理するというものだ。要職に就いた一人の人間が、何万人もの人々を操り、支配するのである」【7】

第二次世界大戦時、ソビエトのスパイがアメリカ政府内で暗躍していたことは既に知られている。ジョセフ・マッカーシー議員の反共産主義活動があったが、事実は左翼系政治家、学界、メディアによって伏せられ、大衆に正しく伝えられなかった。

1990年代、アメリカ政府は、1940年から第二次世界大戦の終わりまでに交わしたスパイの有線交信を解読した「ベノナ計画」を公表した。それによると、少なくとも300人のソビエト・スパイがアメリカ政府に勤務し、中にはルーズベルト大統領の側近で最高機密文書にアクセスのある者も含まれていた。スパイたちは彼らの職務を生かして、アメリカの政治や政策に多大な影響を与えていたのである。

有名なのは、財務次官補のハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White)や、国務長官上級補佐官のアルジャー・ヒス(Alger Hiss)、またジュリウスとエテル・ローゼンバーグ(Julius and Ethel Rosenberg)夫妻は、核兵器に関する機密情報をソビエトに漏らしたとして、電気イスにより処刑された。

ベノナによって解読できた通信は、ほんの一部に過ぎず、ソビエトによるアメリカへの浸透工作の全体像はつかめていない。アメリカの高官にまで上り詰めたスパイたちは、アメリカの重要な政策決定に大きな影響を及ぼしたはずである。

例えば、国務省のアルジャー・ヒスは、ルーズベルト大統領の顧問として、第二次世界大戦末期に開かれたヤルタ会談の時に重要な役割を果たした。終戦後の領土協定、国際連合憲章の起草に大きく関わったのは彼である。

また、財務長官のヘンリー・モーゲンソウ(Henry Morgenthau Jr.)を補佐していた財務次官補のハリー・デクスター・ホワイトは、ブレトン・ウッズ協定(国際金融機構についての協定)を確立した。彼は、国際通貨基金(IMF)や世界復興銀行の設立に関わったグループの一人である。

ホワイトは、中国国民党に対し、冀朝鼎(きちょうてい、中国共産党の地下活動家)を財務省に起用するよう勧めた。1941年にポストに就いた冀は、破滅的な貨幣改革を試み、それが国民党の評判を著しく傷つけ、中国共産党を利する結果となった。

ソビエト・スパイの影響下にあったアメリカの左翼は、国民党への軍事支援を停止した。第二次世界大戦後に起きた国共内戦(中国国民党と中国共産党の戦い)で国民党が敗北した一因は、軍事支援の停止であると一部の専門家は指摘する。

研究者の一人、M.スタントン・エバンズ(M. Stanton Ebans)によれば、ソビエト・スパイによる活動のうち最も成功したのは、アメリカの政策への影響力の行使である。【8】 ソビエトの情報屋であり、アメリカ共産党の党員でもあるウィッタカー・チェンバーズ(Whittaker Chambers)は組織から離脱した後、次のように証言している。「敵国にいるスパイたちは、書類を盗むよりもっと大きなことを実行するポジションに就いている。彼らは自国に利するような政策を敵国に決定させ、またその影響力は特別な出来事に関してだけではない…それは、日常的に行われる、驚異的な量の決定事項にまで及ぶ」【9】

元KGB(ソ連国家保安委員会)で、欧米に亡命したユーリ・ベズミナフ(Yuri Bezmenov)は、ソビエト式の政府転覆工作を著書やインタビューで暴露している。ベズミナフは、橋を破壊したり機密書類を盗んだりする、いわゆるジェームス・ボンドのようなスパイ活動は、現実からあまりにもかけ離れていると話す。このような旧式のスパイ活動に従事するのはKGBの10~15%くらいに過ぎず、残りの人員はイデオロギー転覆工作に投入されるという。

ベズミナフによると、転覆工作には4つの段階がある。第一段階は、敵国の文化を退廃させ、道徳の低下を促進する。第二段階は社会の混乱、第三段階は危機の扇動。その次は、内戦、革命、外部からの侵入。最終的には、共産党が国家を支配してクライマックスを迎える。彼らはこれを、「正常化」と呼ぶ。

ベズミナフ(別名トーマス・シューマン)は、転覆工作が行われる3つの分野を挙げた。つまり、思想、権力、社会生活である。思想は、宗教や教育、メディア、文化を包括する。権力は、政府、法制度、法執行機関、軍隊、外交を含む。社会生活は、家族、コミュニティー、健康、人種、社会階級が異なる人間同士の関係を含む。

ベズミナフは例として、「平等」という概念がいかに捻じ曲げられ、人々の間に不穏を生み出しているかを説明している。例えば、スパイたちが平等主義を唱えると、人々は政治的、経済的な不満を感じ始める。不景気になれば、スパイたちは改革主義や市民の不安を駆り立て、労使関係を悪化させる。社会の動揺が激しくなると、革命あるいは共産主義勢力による侵略が始まる。【10】

ルーマニアの元秘密警察幹部イオン・ミアイ・ペースパ(Ion Mihai Pacepa、1978 年アメリカに亡命)は、ソビエトや東欧が起用したスパイの心理戦や、欧米諸国で拡散する偽情報などについて言及している。ペースパによると、偽情報を拡散する目的は、人々の判断力を失わせることである。イデオロギーや価値観が歪められた結果、真実が提示されても、人々はそれを受容できず、理解することも難しくなる。【11】

ベズミナフは、イデオロギー転覆には15年~20年かかるという。つまり、新しい世代を教育するために必要な期間である。第二段階は5年、第三段階は3カ月~6カ月。ベズミナフは1984年のインタビューで、最初の段階に達成されたレベルは、ソビエトの予想を遥かに超えていたと話している。

上記に述べた元スパイたちの証言、また冷戦時代の機密文書から分かるのは、1960年代に起きた反体制文化は、彼らによる浸透工作によるものだったことが分かる。

1950年代、ジョセフ・マッカーシー議員はアメリカ政府や社会に横行する共産主義の取り締まりを行っていたが、4年後、彼に対する譴責決議案が採択され、失脚した。そのため、共産党はアメリカ社会に生き残り、それがアメリカの没落を招いた。

ソビエト連邦は崩壊し、冷戦も終結したが、共産主義の脅威が消滅したわけではない。ジョセフ・マッカーシーは長い間、左翼の政治家やメディアによって悪者扱いされていた。今日、マッカーシズムといえば共産主義者への極端な迫害(赤狩り)の代名詞となった。つまり、左翼はイデオロギー支配に成功したのである。

反共産主義の先導だったマッカーシーに対する中傷と抑圧が主流となった。あるアメリカ保守派の政治解説者は、反アメリカ運動は、世界の左翼運動の一部だと指摘する。左翼たちは不義密通者、中絶者、犯罪者、共産主義者を保護するために必死になって戦う。彼らは無秩序を支持し、文明に反対するのだ。

 

3.ニューディール政策から進歩主義まで

 

1929年10月24日、ニューヨークの株式市場が暴落した。金融危機は経済全体に波及し、その影響はすべての先進欧米諸国に及んだ。失業者は3千万人を超え、人口の4分の1を占めた。ソビエトを除き、主流の工業国の生産量は平均で27%も減少した。【12】

1933年初め、ルーズベルト政権が発足してから100日後に、危機を回避するという名目で大量のドル札が発行された。この政策は政府の介入を増大させ、主要な改革を先送りにした。アメリカ議会は緊急銀行法、農業調整法、全国産業復興法、社会保障法を次々と可決した。第二次世界大戦の勃発によりルーズベルトのニューディール政策は終わったが、この頃に生まれた多くの制度や組織は存続し、今日のアメリカ社会を形成した。

ルーズベルトは、20世紀の歴代大統領を全部合わせたよりも、多くの大統領令を発令した人物である。しかし、第二次世界大戦が起きるまでに、アメリカの失業率は2ケタを切ることはなかった。ニューディール政策の実際の効果というのは、アメリカ政府を重税、経済介入、大きな政府へと進ませたことだけである。

保守派のディネシュ・ドゥスーザ(Dinesh D’Souza)は彼の著書『大きな嘘 : ナチスのルーツ・アメリカ左翼を暴く』(The Big Lie: Exposing the Nazi Roots of the American Left)の中で、ルーズベルトが実施したニューディール政策の最重要法律である「米国産業復興法」は、アメリカの自由市場の実質的な終わりを意味すると主張している。【13】

歴史学者のジム・パウエル(Jim Powell)は、著書『ルーズベルトの愚行(FDR’s Folly)』の中で、ニューディール政策が世界恐慌を解決するどころか、長期化させたと指摘する。社会保障法や労働法が失業を加速させ、重税がビジネスの成長を阻害するなどである。【14】 ノーベル賞を受賞した経済学者ミルトン・フリードマンは彼の論文の中で、「パウエルが疑問の余地もないほど明確に示した通り、ニューディール政策は収縮した経済の回復を妨げて長引かせ、失業を増加させた。その政策は、より介入的な、金のかかる政府へ進むためのお膳立てだった」と指摘している。【15】

暗殺されたケネディー大統領の後を引き継いだリンドン・ジョンソン大統領は、1963年の一般教書演説の中で「貧困との戦い」を提唱し、「偉大な社会(Great Society)」をスローガンに掲げた。短期間のうちに、ジョンソンは数々の大統領令を発令した。それに伴い、次々と新たな政府機関を設立し、社会福祉を拡大し、増税した。それは、「大きな政府」の権威をますます増大させる結果となった。

興味深いのは、ジョンソン大統領が打ち出した政策と、1966年に出版された『新プログラム―アメリカ共産党の新しいアジェンダ』(A New Program of the American Communist Party’s New Agenda)の中身が非常に似通っていることである。アメリカ共産党の党首ガス・ホール(Gus Hall)は次のように述べている。「偉大な社会政策に対する共産主義の態度は、古い格言で言い表せる。つまり、同じ寝床にいても、それぞれ違った夢を見ている(同床異夢)ということだ。われわれ共産党は偉大な社会が打ち出した全ての政策を支持する。なぜならば、われわれは社会主義を夢見ているからだ」

ホールの「同床」とはつまり、偉大な社会政策のことである。【16】 ジョンソン大統領の意図はもちろん、民主主義のもとで、アメリカ社会を健全に発展させることである。一方、共産党の意図は、アメリカを一歩一歩、社会主義の道へと進ませることだった。

「偉大な社会」政策と「貧困との戦い」は、重大な結果をもたらす。一つは、政府補助への過剰な依存は、国民から働く意欲を奪う。社会福祉制度の充実は、家族の崩壊を促す。母子家庭、父子家庭を優遇すれば、離婚や婚外子が増える。統計によれば、1940年代に生まれた婚外子は3.8%にすぎなかった。しかし、1965年までにその数は7.7%に増え、1990年、偉大な社会政策の実施から25年後になると、その数は28%に増えた。2012年の統計では、さらに40%に増大している。【17】

家族の崩壊は深刻な結果を生む。政府の負担が増え、犯罪率が高くなり、家族内で行われるべき躾や教育の質も低下する。貧困家庭の子どもは貧困から抜け出せず、福祉への依存心が増大し、積極的に就職しようとしない。

スコットランド貴族の歴史家アレクサンダー・フレイザー・タイトラ―(Lord Alexander Fraser Tytler)の名言がある。「民主主義とは、常に一時的な現象であり、永久的な政治形式にならない。過半数は常に国庫から自分たちの利益につながることを最も約束する政治家に票を投じ、その民主主義国家はいずれ、財政破綻する。その後、必ず独裁国家となる」【18】

中国にも、古くから「倹約から贅沢は簡単だが、その反対は難しい」という言い方がある。人々が福祉に依存し、甘い汁を吸ってしまえば、政府はそれを削減することは難しくなる。実際、欧米の福祉国家はすでに泥沼にはまり、抜け道がなくなっている。

1970年代、嫌悪感を伴う「共産主義」という言葉は廃れたが、代わりに「リベラル」や「進歩主義」といったより中間的な言葉が使われるようになった。共産主義国家に居住したことのある読者なら、「進歩主義」という言葉はなじみがあるはずだ。共産党は、共産主義の同意語として、「進歩」という言葉を使う。例えば、「進歩主義運動」というのは、つまり「共産主義運動」であり、「進歩的な知識人」と言えば、「共産主義寄りの知識人」、あるいは共産党の地下組織メンバーのことである。

リベラル(自由主義)も、実質的には進歩主義と同じである。重税、福祉の拡大、大きな政府を擁護し、宗教、道徳、伝統を否定する。「社会正義」「ポリティカル ・コレクトネス」(政治的に正しい言葉づかい)を盾に、女性主義、同性愛、性の解放を宣伝する。

われわれはここで、政治家や有名人など個人名を挙げて非難することはしない。この複雑な歴史の発展の中で、個人に対して正確な判断を下すのは難しいからだ。一つだけ明確なのは、20世紀初頭から、共産主義の邪霊が東西で作用を働いてきたということだ。東側で暴力的な革命を成功させた後、邪霊は西側の政府や社会に浸透し、より左寄りに傾くよう働きかけてきた。

世界大恐慌と第一次世界大戦の終結から、アメリカは次々と社会主義政策を採用し、急激に福祉国家へと舵をきった。同時に、無神論、物質主義を促進し、アメリカ社会の道徳の低下を加速させた。人々は神や伝統から離れ、共産邪霊の嘘から自分を守る術を失った。

 

4.西側先進諸国における文化大革命

 

1960年代は現代史への分岐点である。この頃、西でも東でも、至るところで反体制文化運動(counterculture movement)が吹き荒れていた。中国共産党の文化大革命に比べて、欧米の反体制文化運動は焦点がなくぼやけているか、あるいは多元的なテーマがあるように見える。

1960年代から70年代にかけて、運動に参加した多くの若者たちは、さまざまな欲求につき動かされていた。一部の若者はベトナム戦争に反対し、一部は公民権のため、または女性解放思想の促進と家父長制度の廃止、あるいは同性愛者の権利を訴える者もいた。これらの主義主張を総括すると、本質が見えてくる。つまり、伝統と権威を否定し、同時に性の解放、快楽主義、麻薬、ロック音楽を提唱する社会運動である。

西側で起きた文化大革命の目的は、正統なキリスト教文明の破壊、伝統文化の否定である。表面的には無秩序で乱雑に見えるが、これらの文化的変換は、共産主義から生まれている。

反体制文化運動に参加した若者たちは、三つのMを崇拝する。つまり、マルクス、マルクーゼ、毛沢東である。

ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)は、マルクス主義者の知識層を中心とするフランクフルト学派の主要なメンバーである。1923年に設立され、初期は西洋文明を否定する「批判理論」を基盤としながら、マルクス主義を取り入れて文化を分析した。

フランクフルト学派の一人でハンガリー人のルカーチ・ジェルジュ(György Lukács)は、1919年に言った。「誰が西洋文明からわれわれを救えるのか?」【19】 言い方を変えると、文明が経験した虐殺や犯罪はすべて西洋文化のせいだということだ。彼によれば、アメリカと西洋の文明は、人種差別、性差別、移民排斥主義、外国人排斥主義、反ユダヤ主義、結束主義、ナルシシズム(自己陶酔)の宝庫である。

1935年、フランクフルト学派のマルクス主義たちは、フランクフルトからニューヨークにあるコロンビア大学に拠点を移した。ここが、彼らの理論がアメリカの土壌に広がる基点となった。他の左翼学者と協力しながら、彼らは数世代に渡りアメリカ人の若者を堕落させた。

マルクス主義とフロイト派のパンセクシュアリティ(全性愛)を融合させたマルクーゼの理論は、性の解放運動を促した。マルクーゼは、資本主義社会の中で、個人の理性を抑圧すると、解放と自由を妨げると指摘した。彼はすべての伝統的な宗教、道徳、規律、権威を否定し、制限のない自由と快楽が約束された理想的社会への変換を提唱した。

マルクーゼの有名な著書『エロスと文明』は、フランクフルト学派の中で重要な役割を占める。本のなかで、彼はマルクスとフロイトの思想を融合させ、哲学を政治経済の理論から、文化、精神へと幅を広げた。また、この本を通してフランクフルト理論に目覚めた若者たちは、1960年代の反体制文化運動へと駆り立てられた。【20】

マルクーゼは言った。「(反体制文化運動とはつまり)、文化大革命のことである。それは現社会に根付く、道徳を含むすべての文化体系に反対する。一つだけ確信して言えることがある。伝統的な革命という考えや、伝統的な革命戦略は通用しない。これらの考えは流行遅れだ。われわれは普及、拡散という形を取り、体系の崩壊を達成する」【21】

反抗的な若者の中で、難解なフランクフルト理論を理解できた者は少なかったかもしれないが、マルクーゼの理論は簡単だった。反伝統、反権威、反道徳。理性の抑制なしに、性行為、薬物、ロックン・ロールにふけること。「戦争をしないで恋をしよう(Make love, not war)」。権威に対して「ノー」と言えば、誰でも「高貴な革命人」になれる。革命人になるのは、非常に簡単だ。マルクーゼが多くの若者をひきつけたのは当然である。

ここで強調しておくが、若者たちの前線に立って運動を率いた学生リーダーの多くは、外国共産主義者らの訓練を受けた者たちである。たとえば、民主社会学生同盟(SDS)のリーダーは、キューバでトレーニングを受けている。

学生の抗議集会は、共産主義グループが組織し、火をつけた運動である。SDSから分離した極左のウェザーマン(Weathermen)のグループは、1969年に宣言している。「アジア、アフリカ、ラテンアメリカの革命人士たちと、帝国主義アメリカの間に存在する矛盾は、現代における主な矛盾である。この矛盾が発展すれば、帝国主義アメリカとその追随者に対する世界中の人々の憎悪を促進するだろう」。これは、当時、中国共産党ナンバー2の林彪(りんぴょう)が機関紙に「人民戦争勝利万歳!」という社説で書いた言葉と同じである。【22】

文化大革命は中国伝統文化に回復不能なほどのダメージを与えたが、アメリカの反体制文化運動も、伝統文化に大きな混乱を与えた。それまで下層社会に属していた大衆文化を一般的な文化に持ちあげ、正統な主流文化と同列にした。性の解放、薬物、ロックン・ロールが道徳の低下を加速した。無知で麻痺した若者たちは大きな勢力となり、神や伝統に反抗し、社会を腐食させる温床となった。

また、反体制文化運動は混乱した活動や、さまざまな反社会、反アメリカ的な思想の前例となった。それは後に流行するストリート革命への幕開けだった。
1960年代の運動に活発だった若者たちは、大学や研究機関で博士課程を修了し、アメリカ社会の主流となった。彼らはマルクス主義的な価値観を教育、メディア、政治、ビジネスなどあらゆる分野に持ち込み、国の革命を促す要因となった。

1980年代、左翼が主流メディア、学界、ハリウッドをほぼ独占した。ロナルド・レーガン大統領が多少その流れを押しとどめたが、1990年代に復活し、最近はその傾向がピークを迎えている

 

5.反戦運動と公民権運動

 

ジョージ・オーウェル(George Orwell)の小説『1984年』に登場するオセアニア(架空の国家)の四つの省庁の一つは「平和省」である。実際には、党の軍を統括する。ある人物が敵の威力に勝てなければ、手っ取り早い方法は平和を主張することである。ソビエト連邦やその他の共産主義国家はこの方法に長けており、欧米で浸透工作を続ける役割を果たしている。

1948年、世界平和評議会(The World Peace Council)が設立された。初期の議長はフランスの物理学者ジョリオ・キュリー(Joliot-Curie)で、フランス共産党のメンバーだった。第二次世界大戦が終結し、アメリカは原爆を製造する唯一の国家だった。

戦争で大きな犠牲を払ったソビエトは、西洋からの圧力を回避する策略の一つとして、積極的に世界平和をうたった。世界平和評議会は、共産党系のソ連平和委員会が直接指揮を取っている。また、同評議会は、ソビエトは平和を愛すると宣言し、一方でヘゲモニー(世界の覇者)であるアメリカを戦争屋であると非難した。
ソビエト高官でイデオロギー担当書記のミハイル・スースロフ(Mikhail Suslov)は、「平和のための闘争」を自ら先頭に立ってとなえ、後のソビエトの決まり文句となった。

彼は1950年の政治的宣伝として、「現在の反戦運動は、大衆に、侵略者らが市民を虐殺の迷宮へと放り込むことを避ける意志と準備があることを証明した」と書いた。「今の課題は、この大衆の意志を活発な、堅固な活動へと昇華させ、アングロアメリカ人による戦争計画をくじくことだ」【23】

ソビエトが後ろ盾する組織は少なくない。世界労働組合連盟(World Federation of Trade Unions)、世界青年協会(World Youth Association)、国際民主婦人連盟(International Women’s Federation)、国際ジャーナリスト連盟(International Federation of Journalists)、世界民主青年同盟(World Democratic Youth Alliance)、世界科学協会(World Association of Scientists)などで、それらは世界平和評議会に賛同する。「世界平和」という言葉は、自由社会に対抗する共産主義者たちの決まり文句だ。ソビエトの反体制運動家ウラジーミル・ブコフスキー(Vladimir Bukovsky)は、1982年の著書で述べている。「年配のメンバーならば、1950年代のデモ行進、集会、署名活動などをまだ覚えているだろう。…それらのキャンペーンはすべて組織的に指揮されていた。いわゆる平和財団やソビエト主導の世界平和評議会を通して、モスクワが資金を供給していたことは公然の秘密である」【24】

アメリカ共産党の党首ガス・ホールは述べた。「平和への闘争を広げ、拡大し、もっと多くの人々を巻き込む必要がある。すべての地域社会、グループ、労働組合、教会、家族、路上でも、人々が集まるところではどこでも、これを注目の話題にしなければならない」【25】

冷戦時代、ソビエトはこの「平和のための闘争」運動を3つの段階を踏んで実施した。最初は1950年代、2番目は反戦運動が起こった1960年代と1970年代である。ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)に勤務し、1992年にアメリカへ亡命したスタニスラフ・ルネブ(Stanislav Lunev)によると、欧米の反戦運動のためにソビエトが提供した資金は、北ベトナムへの軍事援助の2倍に上ったという。彼は、「GRUと秘密警察(KGB)が、アメリカやその他の国々で起きたほぼ全ての反戦運動に資金を提供した」と話している。【26】

反ベトナム戦争運動に参加していた元マルクス主義者のロナルド・ラドッシュ(Ronald Radosh)は、「われわれはそれほど戦争の終結を望んでいたわけではなかった。実は反戦感情を利用して、国内で革命的な社会主義運動を造りたかっただけだ」と告白している。【27】

3番目の反戦運動は1980年代、アメリカが中距離核ミサイルをヨーロッパに配備した時期に起こった。反戦デモの参加者たちは、ソビエトとアメリカに対し、核兵器を制限するよう要求した。しかし、ソビエトが国際条約を守ったことは一度もない。

アメリカ上院司法委員会(U.S. Senate Judicial Committee)が行った調査によると、ソビエト政権は成立してから38年間、およそ1000に上る2国間、あるいは多国間の条約を締結したが、そのほぼすべてに違反している。調査を行った研究者は、ソビエトは多分、歴史上最も信頼できない主要国であると指摘している。【28】

トレバー・ラウドン(Trevor Loudon)は、1980年代にニュージーランドで起きた反核運動は、極秘にソビエトが訓練したスパイたちが扇動したものだと指摘する。その結果、ニュージーランドはオーストラリア、ニュージーランド、アメリカが締結した安全保障条約から離脱する結果となった。これにより、400万人に満たない小国は、共産党の脅威にさらされることになったのである。【29】

9.11米同時多発テロの後、大規模な反戦デモや集会がアメリカで起こった。それらの活動の背後にいた組織は共産党系である。【30】

歴史的に評価の高いアメリカの公民権運動も、共産邪霊が操ったものである。アメリカの著作家G.エドワード・グリフィン(G. Edward Griffin)は、中国、キューバ、アルジェリアで起きた革命と比較してみると、アメリカで起きた公民権運動が似たような過程をたどっていることを発見した。最初に、人々は同類のグループに分けられ、分裂を作る。2番目の段階として、「共同戦線」をつくり、世界的な支援があるかのような幻想をつくる。第3段階は、反対者に対抗する。4番目は暴動を促す。5番目は、クーデターを起こし、「革命」の名のもとに権力を掌握する。

1920年代後半から、労働者党の共産主義者たちは、アフリカ系アメリカ人を革命に利用できると考えた。彼らは黒人が多い南部にソビエト版「ネグロ共和国」の設立を呼びかけた。【31】 1934年に出版された共産党の政治宣伝の冊子には、「ソビエト・アメリカのネグロたち」と書かれ、南部における人種差別問題と、全労働者の革命を結合することを提案している。【32】

アメリカの公民権運動は、ソビエトや中国共産党から絶大な支持を得た。元アメリカ共産党メンバーの黒人レオナルド・パターソン(Leonard Patterson)は、モスクワで訓練を受けたと告白し、暴動を起こしていた黒人たちは、アメリカ共産党の強力なサポートを受けていたと話す。パターソンとガス・ホールはともに、モスクワで訓練を受けていた。【33】

公民権運動の盛り上がりは、中国共産党の革命の輸出キャンペーンと重なる。1965年、中国共産党は「世界革命」を掲げ、最初にアジア、アフリカ、南米を掌握した後、ヨーロッパや北アメリカを包囲していく手法をとった。その手法は、国共内戦で使われた手法と同じである。

暴力的で知られる革命的行動運動(Revolutionary Action Movement)やブラック・パンサー党(Black Panthers)は、中国共産党から直接支援を受けていた。革命的行動運動は極端に暴力的であると危険視され、1969年に解散した。

ブラック・パンサーは毛沢東から大きな影響を受け、「政権は銃口から生まれる」「すべての権力は人民に属する」をスローガンに掲げた。毛主席語録は、メンバーの必読書である。中国共産党と同様に、ブラック・パンサーも武装蜂起を奨励した。同党の幹部の一人、エルドリッジ・クリーバー(Eldridge Cleaver)は、1968年にテロ、暴力、ゲリラ戦が巻き起こると警告した。多くの集会では、参加者たちが小さな赤い本(毛沢東語録)を振りかざした。その光景は、当時中国各地で見られた光景とそっくりだった。【34】

多くの公民権運動は主流社会に受け入れられ、その一方で急進的な黒人革命イデオロギーも消失しなかった。最近では、ブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter)と呼ぶ国際的社会運動が復活している。【35】

世界中の人々が平和を願い、平和主義は古代からの希望である。20世紀、優れた洞察力と善意ある一部の人間は、国家間の誤解や矛盾を解くべく多大な努力を注いだ。歴史的な背景により、アメリカを含む欧米諸国では確かに人種差別が存在する。教育、メディア、デモなどを通して人種差別の根絶を目指すのは理解できる。
しかし、共産主義の邪霊が、欧米諸国に存在する葛藤やイデオロギーを利用していることを忘れてはならない。分断をつくり、憎しみをあおり、もともと善良な人々を洗脳して暴力に駆り立てる。それが、彼らのやり方である

 

参考文献

[1] “An Interview With Trevor Loudon,” Capital Research Center, https://capitalresearch.org/article/an-interview-with-trevor-loudon/.
The Workers World Party was established in 1959 and is “dedicated to organizing and fighting for a socialist revolution in the United States and around the world.” For more information, refer to the following link: “Who are the Workers World Party, the group who helped organize the Durham Confederate statue toppling,” http://abc11.com/politics/who-are-the-workers-world-party-and-why-durham/2314577/.
[2] Karl Marx, Manifesto of the Communist Party (Marx/Engels Internet Archive), https://www.marxists.org/archive/marx/works/1848/communist-manifesto/ch04.htm.
[3] A.M. McBriar, Fabian Socialism and English Politics, 1884–1918. (Cambridge: Cambridge University Press, 1966), p. 9.
[4] Mary Agnes Hamilton, Sidney and Beatrice Webb A Study in Contemporary Biography  (Sampson Low, Marston & Co. Ltd.). https://archive.org/stream/in.ernet.dli.2015.81184/2015.81184.Sidney-And-Beatrice-Webb_djvu.txt.
[5] Vladimir Ilyich Lenin, “Left-Wing” Communism: an Infantile Disorder (Marxists.org).
[6] Bernard Shaw, The Intelligent Woman’s Guide to Socialism and Capitalism (Brentanos Publishers New York), https://archive.org/details/TheIntelligentWomensGuideToSocialismAndCapitalism.
[7] Quoted from “The Truth about the American Civil Liberties Union,” Congressional Record: Proceedings and Debates of the 87the Congress, 1st session. https://sites.google.com/site/heavenlybanner/aclu.
[8] M. Stanton Evans and Herbert Romerstein, “Introduction,” Stalin’s Secret Agents: The Subversion of Roosevelt’s Government (New York: Threshold Editions, 2012).
[9] 同上.
[10] Thomas Schuman, Love Letter to America (Los Angeles: W.I.N. Almanac Panorama, 1984), pp. 21–46.
[11] Ion Mihai Pacepa, Ronald J. Rychlak, Disinformation (WND Books).
[12] 王曾才:《世界現代史》(台北:三民書局,1994),頁324-329.
[13] Dinesh D’Souza, The Big Lie: Exposing the Nazi Roots of the American Left (Chicago: Regnery Publishing, 2017), Chapter 7.

[14] Jim Powell, FDR’s Folly: How Roosevelt and His New Deal Prolonged the Great Depression (New York: Crown Forum, 2003).
[15] 同上. , back cover.
[16] G. Edward Griffin, More Deadly than War, https://www.youtube.com/watch?v=gOa1foc5IXI.
[17] Nicholas Eberstadt, “The Great Society at 50” (American Enterprise Institute), http://www.aei.org/publication/the-great-society-at-50/. Another reference on the consequences of the United States’ high-welfare policy is a book by the same author: A Nation of Takers: America’s Entitlement Epidemic (Templeton Press, 2012).
[18] Elmer T. Peterson, “This is the Hard Core of Freedom” (The Daily Oklahoman, 1951). This quote has also been attributed to French historian Alexis de Tocqueville.
[19] William S. Lind, “What is Cultural Marxism?” http://www.marylandthursdaymeeting.com/Archives/SpecialWebDocuments/Cultural.Marxism.htm.
[20] William S. Lind, Chapter VI, “Further Readings on the Frankfurt School,” in William L. Lind, ed., Political Correctness: A Short History of an Ideology (Free Congress Foundation, 2004), p. 4–5. Refer to the text at: http://www.nationalists.org/pdf/political_correctness_a_short_history_of_an_ideology.pdf.
[21] Raymond V. Raehn, Chapter II, “The Historical Roots of ‘Political Correctness,’” in William L. Lind, ed., Political Correctness: A Short History of an Ideology (Free Congress Foundation, 2004), p. 10.
[22] 沈漢、黃鳳祝編著:《反叛的一代──20世紀60年代西方學生運動》(蘭州:甘肅人民出版社,2002),頁136.
[23] Mikhail Suslov, “The Defense of Peace and the Struggle Against the Warmongers” (New Century Publishers, February 1950).
[24] Vladimir Bukovsky, “The Peace Movement & the Soviet Union” (Commentary Magazine, 1982). Refer to the link: https://www.commentarymagazine.com/articles/the-peace-movement-the-soviet-union/.
[25] Jeffrey G. Barlow, “Moscow and the Peace Movement,” The Backgrounder (The Heritage Foundation, 1982), p. 5.
[26] Stanislav Lunev, Through the Eyes of the Enemy: The Autobiography of Stanislav Lunev (Washington D.C.: Regnery Publishing, 1998), p. 74, p. 170.
[27] Robert Chandler, Shadow World: Resurgent Russia, the Global New Left, and Radical Islam (Washington, D.C.: Regnery Publishing, 2008), p. 389.
[28] Anthony C. Sutton, “Conclusions,” The Best Enemy You Can Buy (Dauphin Publications, 2014).
[29] Trevor Loudon, The Enemies Within: Communists, Socialists, and Progressives in the U.S. Congress (Las Vegas: Pacific Freedom Foundation, 2013), pp. 5–14.
[30] “AIM Report: Communists Run Anti-War Movement,” Accuracy in Media (February 19, 2003), https://www.aim.org/aim-report/aim-report-communists-run-anti-war-movement/.
[31] John Pepper (Joseph Pogani), American Negro Problems (New York: Workers Library Publishers, 1928), https://www.marxistsfr.org/history/usa/parties/cpusa/1928/nomonth/0000-pepper-negroproblems.pdf.
[32] James W. Ford and James Allen, The Negroes in a Soviet America (New York: Workers Library Publishers, 1934), pp. 24–30.
[33] Leonard Patterson, “I Trained in Moscow for Black Revolution,” https://www.youtube.com/watch?v=GuXQjk4zhZs.
[34] G. Louis Heath, ed., Off the Pigs! The History and Literature of the Black Panther Party, p. 61.
[35] Thurston Powers, “How Black Lives Matter Is Bringing Back Traditional Marxism,” The Federalist, http://thefederalist.com/2016/09/28/black-lives-matter-bringing-back-traditional-marxism/.

 

つづく 第五章 西側への浸透(下)

 

悪魔が世界を統治している

目次

 

序章
第一章   人類を壊滅する邪悪の陰謀
第二章   始まりはヨーロッパ
第三章   東側での大虐殺
第四章   革命の輸出
第五章   西側への浸透(上)
第五章   西側への浸透(下)
第六章   神に対する反逆
第七章   家族の崩壊(上)
第七章   家族の崩壊(下)
第八章   共産主義が引き起こした政治の混乱(上)
第八章   共産主義が引き起こした政治の混乱(下)
第九章   共産主義がしかけた経済的な罠(上)
第九章   共産主義がしかけた経済的な罠(下)
第十章   法律を利用する邪悪
第十一章  芸術を冒涜する
第十二章  教育の破壊(上)
第十二章  教育の破壊(下)
第十三章  メディアを乗っ取る
第十四章  大衆文化―退廃と放縦
第十五章  テロリズムのルーツは共産主義
第十六章  環境主義の裏にいる共産主義(上)
第十六章  環境主義の裏にいる共産主義(下)
第十七章  グローバル化の中心は共産主義
第十八章  中国共産党のグローバルな野望(上)
第十八章  中国共産党のグローバルな野望(下)
おわりに