【紀元曙光】2020年12月30日

慶長5年(1600)秋。紅葉が見頃の関ヶ原で、天下分け目の大戦が行われた。
▼勝敗は周知の通り、東軍の徳川家康が勝利。西軍の主将であった毛利輝元は大阪城を動かず、本隊を率いて関ヶ原に臨んだ石田三成が敗れた。
▼西側の山上に「鶴翼の陣」を布いて待ち構える西軍。これに対し、遠く関東から上ってきた東軍は、中央に兵力を集中させる「魚鱗の陣」をとる。陣形にはそれぞれ一長一短があるとされるが、地勢上の条件からして、ここは西軍の布陣が圧倒的に有利であった。
▼だが、勝ったのは徳川家康だった。可視的な部分ばかりが勝敗を決める要因ではない。この辺りの裏事情は、つまらぬ解説書よりも、司馬遼太郎さんの『関ヶ原』を読んだほうが遥かに面白い。ともかく鉄壁の構えでいたつもりの石田三成だったが、西軍の一将として松尾山にいた小早川秀秋が東軍に寝返ったことを契機に、形勢は一気に逆転。三成は、落ち延びた末に捕らえられて六条河原で斬首され、小早川秀秋は、討ち死にした大谷刑部の亡霊にとり憑かれたのか、関ヶ原の2年後に狂死する。
▼さて、舞台は現代のアメリカへ移る。天下分け目の決戦は新年1月6日。徳川家康、あいや元へ、ドナルド・トランプ大将軍は、ゴルフに現を抜かしていると見せかけて敵を油断させ、勝利への布石を着実に打っているらしい。そして12月27日、ついに支持者に向けて「1月6日にワシントンで会おう。このチャンスを逃すな」との大号令を発した。
▼いよいよ「関ヶ原」である。勝つべくして勝つ。やってみなければ分からない戦いではない。