陳用林氏、身の危険を感じ記者会見

2005年06月24日 07時25分
 【大紀元日本6月24日】亡命申請中の元中共外交官・陳用林氏は、6月22日午後2時半ごろ、チャツウッド市で記者会見を開き、中共とオーストラリア政府両方からの圧力が大きく、オーストラリア政府に裏切られる恐れがあり、身の危険を感じていると話した。陳氏はまた、オーストラリアで発生した福建省アモイ市藍甫副市長の息子の拉致事件を中共のたくらみであるとし、オーストラリア政府に対する中共のコントロールを暴露した。

陳用林氏は記者会見場で何度も涙にむせび言葉を詰まらせた。(大紀元)

 記者会見を開いた目的について、陳氏は、中共とオーストラリア政府両方からの圧力が非常に大きく、オーストラリア政府に裏切られる不安から、再び公衆とメディアに対して真相を明らかにすることで、援助を求めたいと訴えた。記者会見時に陳氏は何度も涙にむせび言葉を詰まらせた。今なすすべもなく、誰が助けてくれるのかも分からず、非常に落胆し、気落ちしている状態だった。

 元アモイ市副市長の息子の拉致事件の詳細

 陳用林氏は、中共のたくらみによりオーストラリアで実際に起きた拉致事件を暴露した。中共は、巨額密輸事件に関わりオーストラリアへ逃亡した福建省アモイ市藍甫副市長を中国へ戻すために副市長の息子を拉致した。この事実は、当時拉致事件を指揮していた中国公安部第3局張勁(音訳)副局長が2002年オーストラリアを訪問した際、陳用林氏の周到な接待に満足し、シドニーのハイヤット・ホテルで自ら陳氏に漏らしたという。

 アモイ市藍甫副市長は1999年11月、妻と息子・藍メーンに会うためオーストラリアを訪れ、40万オーストラリアドルを持参した。2000年1月、藍甫副市長のビザが切れる直前、張勁氏は自ら指図し、藍甫副市長の息子を拉致した。張勁氏はオーストラリア公民資格を持つ中国スパイが提供した麻酔薬「毒晶」を使い、息子を昏睡状態にさせてから、漁船に乗せて公海で待っている中国貨物船へ運んだ。張勁氏は藍甫副市長に電話をし、彼が中国へ戻らなければ、息子の命はないと恐喝した。息子と電話を通じて言葉を交わした藍甫副市長はなすすべもなく、交換条件に同意して中国へ戻った。当初、藍甫副市長が中国へ戻れば懲罰を軽くさせ、息子を解放する条件だったが、2年後、藍副市長は死刑に処された。

 陳用林氏は、豪州移民局と外務省職員と面接した時に、上述の拉致事件を明らかにし、自分と家族の安全を憂慮していると話したが、オーストラリア政府はまったく重視してくれなかったと言う。陳氏はオーストラリア政府に国内で発生した、中共が関与した拉致事件を重視するよう、オーストラリア社会の人々に援助を求めた。

 中共のオーストラリア政府をコントロールする策略

 陳氏はまた、中共がどのように経済手段を使い、オーストラリアの軍事、政治、人権までコントロールをし、中共に対して譲歩をさせたなどを明らかにした。

 2002年、中国はオーストラリアのハワード政権がアジア・太平洋地区へ失望して、米国とより密接な経済関係を築こうとする情報を得て、両国が良い経済関係になることを懸念した中国政府は、その局面を転化させるため、オーストラリアに対して広州の天然ガス供給契約を供与した。オーストラリアはその後中国に協力をするようになった。

 陳氏は、自分のことで友人にまで危害が及ぶことを憂慮していると話した。彼を助けた一人の友人が、10年前にオーストラリアの公民資格を取ったが、21日の夜に、自称オーストラリア移民局からの電話で、公民資格が取り消される可能性があると伝えられたと言う。

 陳用林氏はさらに、先日、中国国安部と関係する者から電話で彼に対して、公共の場に顔を出したら、恐ろしい結果になると恐喝された。また、中共側が、必ず陳用林氏を中国へ強制送還すると言われ脅された。陳氏は、自分の電話番号がどうやって調べられたのかについては、恐ろしくて考えられないと話した。

(シドニー=駱亜・梁宇)

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