「六・四」の驚くべき内情 趙紫陽にスパイの濡れ衣

2005年02月11日 21時35分
【大紀元2月4日】大紀元記者・李丹報道:中国体制改革所総合研究室主任、副研究員を歴任し、中国全国人民代表大会常務委員会事務所研究室と中国経済体制改革研究所に勤めた程暁農がこのほど、大紀元記者のインタビューに応じ、中国共産党の高級指導者がかつて、趙紫陽をアメリカのスパイとして罪に陥れることで、戦車を天安門広場に突入させ学生を大量殺戮したことに対する「合理性」の口実を作ろうとしたことなど、ほとんど知られていない歴史の内幕を暴露した。

*軍隊を動員したのは引退した幹部の決定

六月四日に軍隊を動員し北京を包囲したのは政治局あるいは政治局常任委員の討論の末決定されたものではなく、すでに政治の舞台から引退を表明していた老幹部が決定したことであった。

89年6月3日 天安門広場で指令を待つ軍人

「六・四」前に、_deng_小平は_deng_潁超、彭真、陳雲ら党の元老と密談した後、勝手に50万の野戦部隊で北京を包囲し、共産党政権を強固にするため、徹底的な、血生臭い鎮圧を決定した。当時こうしたやり方を民衆に伝えなかったのは当然としても、中国共産党中央政治局と政治局常任委員会をも欺いていたのである。

_deng_小平の計画は、軍隊を北京入りさせた5月16日夜に、北京に戒厳令を敷くことで形だけの政治局常任委員会を開き、軍隊の北京入りに対する承諾の形式を整えるというものであった。しかし、趙紫陽がこのことを事前に知らなかったからとは言え、_deng_はまさか彼が賛成しないとは予見できなかった。5月16日時点での趙の様子や、ゴルバチョフと会見した際の学生運動への態度を見る限り、彼が政治局常任委員会で戒厳令を討議、施行することは不可能だと_deng_小平は思った。その結果5月16日の政治局常任委員会を敢えて開催せず、5月17日に開催した。

軍隊がすでに北京入りしたにも関わらず、軍隊動員を議論する政治局会議はまだ開かれていなかった。これは楊尚昆が1989年5月19日に軍長以上の幹部に接見した際に洩らしたことである。

5月19日、_deng_小平は趙紫陽に辞職を迫り、いわゆる戒厳令の可決を強制した。

89年5月18日 デモに参加し学生を支援する司法官

*趙紫陽をアメリカのスパイにでっち上げる陰謀


武力鎮圧が開始された後、中国共産党は国内外の自分たちの評価が地に落ちたことを知るが、その挽回方法を思いついた。それは趙紫陽に外国のスパイの濡れ衣を着せることであった。もし成功すれば、今回の軍事行動の本質を覆い隠すことができ、軍隊を北京に投入したのは外国の干渉を回避するための行動であったと言うことができると考えた。

この陰謀が明らかになったのは1989年7月上旬のことで、当時の王芳公安部部長が省・市責任者の内部高級会議で行った講話であった。基本的な内容は「調査によると、趙紫陽はアメリカ中央情報局のスパイである。趙紫陽は『中国経済体制改革研究所』を通じてアメリカの富豪ソロス(ジョージ・ソロス)が中国に開設した『改革開放基金会』と連絡を取り、その連絡人は中央政治局常任委員会の鮑彤政治秘書である」というものであった。

「ソロスの基金会そのものは中央情報局の機関なので、趙紫陽は鮑彤を通じて、さらにソロスが中国に開設した『改革開放基金会』を通じてソロスと連絡を取っていた。そしてソロスは中央情報局で働いていた。従って趙は中央情報局のスパイである」と王芳は言った。

このことにより、当時、程暁農が勤務していた中国経済体制改革研究所で10名以上が逮捕され、秦城刑務所に収監された。

89年6月6日「六・四」殺人事件後の天安門広場

*ソロスが趙紫陽を救った


王芳のこの秘密の講話が海外に漏洩し、89年7月中旬、アメリカのワシントンポスト紙のある華僑の記者がこのニュースを「ワシントンポスト」紙に掲載した。

ソロスはこのニュースを見て非常に驚き、激怒した。そして_deng_小平に「第一、アメリカでは中央情報局は政府の一部門であり、私のような商人や金融業者が税金を納めて政府機関を養っているのであり、政府から給料を得て政府の替わりに働くことはなく、中央情報局の有能な役人であるというのは荒唐無稽である」と手紙で抗議した。さらにソロスは「私は『改革開放基金会』を中国に設置したが、この基金会はとっくに中国安全部の統制を受けている。なぜなら、この基金会の責任者の一人は当時の中国共産党安全部を引退した凌雲副部長だからである。もしこの基金会が中央情報局の機関だとしたら、それは中国共産党の国家安全部が中央情報局に替わって工作活動をしていることになる」ときっぱりと言った。

「真相を広く知らせなければいけない」とソロスは言った。

_deng_小平はついに陰謀を放棄せざるを得なくなり、趙紫陽はようやく釈放され、自宅に軟禁されたが、さらに16年生きていくことができたのであった。

*罪に陥れる陰謀は中国共産党の一貫した手法である

程暁農によれば、中国共産党内の高級指導者が党に服従しない場合、党では濡れ衣を着せ、罪に陥れ、残酷に攻撃するという手段が用いられるのが常で、「これは共産党の歴史では常に見られることで、珍しくない」と話している。
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