仏教芸術の宝庫――敦煌莫高窟

2005年02月28日 10時15分
敦煌莫高窟は、甘粛省敦煌市内の莫高窟と西千仏洞の総称で、中国の有名な三大石窟の一つである。現存する石窟の中では世界一大きな規模であり、完全に保存された仏教芸術の宝庫である。

莫高窟は敦煌市から東南に二十五キロ離れた鳴少山の東のシジ崖にある。秦二年(紀元366年)、砂門楽僧が鳴少山を通過した時、鳴少山が金色の光を放ち、千仏のように見えたので、山を掘る決心をしたという。その後も山は掘り続けられ、仏教聖地となり、敦煌莫高窟と名づけられた。一般には千仏洞とも呼ばれている。

中国の石窟芸術はインドから伝えられて来た。インド伝統の石窟像は石彫刻が中心であったが、敦煌莫高窟の岩は彫刻に合わないため、泥塑と壁画を中心としていた。
洞窟全体から見ると、一番前は円塑で、それから高塑、影塑、壁塑と淡化し、一番後の壁画を背景とし、塑と絵という二種類の芸術を一体化していた。唐の時代、莫高窟には一千以上の洞窟があったが、現在では492個の石窟が残り、そのうち魏窟32個、隋窟110個、唐窟247個、五代窟36個、宋窟45個、元窟8個
が残されている。


北朝洞窟は、一般的に釈迦と弥勒菩薩を中心仏像とし、両側には二肋菩薩、あるいは一佛、二弟子、二菩薩の塑像が置かれている。仏像の後ろは壁画と繋がっており、洞窟内部の天井と周り一面には壁画が描かれている。天井と壁の上部には、極楽世界、壁の下部には、夜叉と飾り花などが描かれ、壁の中部には、千仏以外に、佛の物語、本生物語、因縁物語などが描かれている。割肉救鳩、舎身飼虎、九色鹿などは、自己犠牲によって他人を救うという本生物語である。

莫高窟は隋、唐期が全盛時期であった。百窟様式は北朝の中央塔式が隋朝になって中心仏壇に変わった。仏像の組み合わせは以前と同じように唐の二弟子、二天王あるいは二力士であったが、仏像は早期の「痩身清楚」スタイルから、以前の「豊満荘重」スタイルに戻り、壁画は大きい場面での説法図と簡単な経変図を中心としていた。特に目を引くのは唐の時代に作られた莫高窟で一番大きい仏像を誇る第96窟の大仏や、第148窟にある莫高窟最大の彩塑群像の一組、本尊涅槃像である。唐の壁画は壮大な規模の多種類経変図であり、その様子は天国の壮麗な景色を表している。

石窟像は五代以降不人気になり、宋の時代になって衰退した。
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