法輪功のための弁論

2005年04月09日 22時10分
中国の自由主義の法律学家の袁紅氷教授

【日本大紀元4月9日】中国共産党の暴政による法輪功弾圧を見て見ないふりをし、己の孤高を自負する中国国内及び国外の一部のインテリたちが未だ沈黙を保ったままでいる。彼らは自分たちの沈黙のための弁解として最もよく口にする言葉は「私たちは政治には参与しません」「共産党と法輪功について私たちはどちらにも偏りはしません。なぜならどちらも政治に参与しているからです」であった。

少し前に、在オーストラリア中国大使館がある声明を発表した。声明の中で『共産党についての九つの評論』は“反華勢力によって書かれた文章”であり、法輪功は“反華的な政治性の強い反動組織である”と訴えた。

しかしながら、この種の訴えこそが即ち真相に対する侮辱である。

毛沢東時代の“政治優先”から江沢民時代の“政治を語る”まで、そのすべては国家恐怖主義の名において、中国人に政治に参与することは共産党にしか持つことのできない特権であると教えていた。共産党の歴史は人々に対して、そのつど思想の粛正及び迫害を通して、人間性を破壊し、文化を壊滅させ、人命を虐殺し、良知を蹂躙し、人権を剥奪してきた。そして共産党による政治は一つの血腥い、陰謀に満ちた獣性の領域の産物であり、つまり罪悪であることが証明された。

この点で、中国の普通の民衆は、もちろん法輪功学習者をも含めて、すべては“政治に参与する”権利を剥奪されている。なぜならば、政治は共産党の特権であり、つまり罪悪は共産党の特権のようなものだからである。

1999年7月以来、江沢民及び共産党官僚グループは、彼らの独裁権力により獲得した政治資源及び社会資源を運用し、法輪功の信仰を絶滅させるために、血腥い政治的大迫害を実行してきた。江沢民は今回の政治による大迫害の中で信仰絶滅罪及び大量虐殺罪を犯し、天道及び人道の怒りを買い、その罪悪の重大さとしては、ただ毛沢東、ヒトラー、スターリン、ポルポト、_deng_小平などの少数独裁者だけが肩を並べるくらいであった。

山が崩れ大地が裂けるほどの政治的大迫害に直面し、獣性的な侮辱、拉致、残酷刑、虐殺及び卑劣なでっち上げと中傷に直面しても、法輪功学習者の意思は鉄のごとく固く、最後まで自分の信念を固く守ってきた。彼らが平和的な方法で暴政に抗争することは、すでに信念が強権に勝るという典範となり、彼らが絶えず世界中で暴政の罪悪さを伝えることは、まさに信仰の自由の種を撒いているのである。

数年来、法輪功の公示及びその行為にもはっきり示されているが、彼らはただ自分たちの信仰の自由の権利を擁護しているのみならず、他の暴政によって迫害されたグループのために基本的な人権を勝ち取ろうとしている。歴史にすでに刻まれたように、いわゆる江沢民時代の後期に、法輪功学習者たちは中国で人権を擁護し、暴政に抗争する中心的な存在となっていた。あるいは歴史にはもっと多くのことが刻まれるであろう。

中国共産党官僚グループは、法輪功学習者たちの暴政に対する平和的な方法による抗争の行為を、常に“ 政治に参与している”と訴えてきた。ならば聞いてください:まさか江沢民の犯してきた大量虐殺罪、信仰絶滅罪を見てみない振りして、聞いて聞こえないふりをすることを“政治に参与していない”とでもいうのか?まさか中国共産党の暴政による一方的人権の蹂躙、民衆の迫害の中で、呻吟の一声も出せないような状態だけを“ 政治に参与していない”と呼ぶのか?まさか中国共産党の宣伝機械が罪悪を覆い隠すために偽造する嘘に直面して、真相を言わないことを“政治に参与しない”とでもいうのか?まさか中国人はみんな生まれながらの賤民、奴隷のように、黙々と中国共産党の暴政による蹂躙を受けることで、初めて“政治に参与している”という訴えから逃れることができるとでもいうのか?

道義的に考えれば、どちらが正しくどちらが正しくないかということは、もう一目瞭然じゃないか?

法輪功は政治組織ではなく、それは一つの修練団体である。法輪功は政治に参与していない。なぜならば、今日まで、法輪功学習者たちの理念及び実践にも示したように、彼らは国家権力にはなんの興味もなく、ただ中国共産党の暴政の邪悪を人類に訴えてきただけなのである。国家権力にはなんの興味もなく、ただ信仰の自由を有する社会を求めているだけである。

自分は孤高だと自負する一部のインテリたちが弁解する際に「私たちは政治には参与しません」「共産党と法輪功について私たちはどちらにも偏りはしません。なぜならどちらも政治に参与しているからです」というのを耳にするときはいつも、私は居たたまれないほど恥ずかしくなり、知識の堕落のために恥じずにはいられなくなる。なぜなら、この種の弁解はただの偽善に過ぎず、その偽善の影に隠されたのは己の内心の脆弱さ、奴隷並みの性質、私心及び正義のために弁解する勇気及び義侠心のなさである。これらの自分を孤高だと自負しているインテリたちに問いたい:あなたはたくさんの暴徒たちが獣性的に弱者を蹂躙しているのを見たとき、あなたは『私たちは誰にも反対しないし、誰をも支持しません。なぜなら私たちは孤高ですから』といえますか?

ここにおいて、私は法輪功の理念を認可できない、あるいは法輪功の法理に反対する知識界の人士たちに進言したい。:私たちは共にボルテールの名言を思い出す。それは『私はあなたの意見に反対だ。しかし、私は命を賭けてあなたがそれについて発言する権利を守るであろう』。もし私たちにこの言葉の内包する理念を実践することができるならば、私たちは歴史上の尊敬を得る。どうか忘れないでください。私たちが年をとった時、子孫が私たちの目を直視して問うでしょう:『あの残酷な政治的大迫害の中で、あなたは何をしましたか?まさかあなたはただ恥じるべき沈黙しか出来なかったのですか?』と。

中国大使館の声明の中で『共産党についての九つの評論』を“反華勢力の文章”と称し、法輪功を“反華組織”と見なしている。しかし共産党が自分を中華民族と見なすことこそ、この上ない恥辱である。

いかなる政治組織であろうと、五千年の文明を伝承してきた中華民族と肩を並べることはできない。ただ共産党だけが、中華民族の背反及び迫害について、華夏祖先の位牌の前に跪き礼拝し謝罪することさえ許されない千古の罪人であろう。

歴史や伝統の長い中華文化の魂を、憎しみと暴力を原則とするドイツ理論であるマルクス・レーニン主義に売り渡した後に、中国共産党の愚かな暴政及び数千万人もの農民を餓死させた後に、数百万もの知識人たちを虐殺した後に、数百万もの自分たちの信仰を堅持してきたチベット人を死に至らせた後に、ポルポトに数百万もの華僑のいるカンボジア人を虐殺させるように指示した後に、数億の農民を半世紀にわたり常に非人間的な苦境に追い詰めた後に、一億近くの農民及び工場労働者たちを解雇し困窮の境地に追いやった後に、連綿と続く社会悲劇及び人間による災害を生み出した後に、堕落から厚顔無恥で空前絶後の汚職官吏グループを作り上げた後に、社会の富を腐敗させた権力、汚い金銭及び堕落しきった知識によって形勢された反動組織同盟に売り出した後に、このすべてをやり遂げた後に、かくも深刻に中華民族を傷つけた後に、共産党がまだ自分を中華民族と同等視することこそが、この上ない厚顔無恥な行為ではないだろうか?

歴史及び現実はすでに雄弁に証明したように、共産党、特に共産党官僚グループこそが、中国の恥であり、中華民族の千古の罪人であり、即ち悪の源である。

勇敢に中国共産党の暴政の罪悪を暴き出すことこそが、中華民族に対する最も真摯な愛である。中国共産党の暴政の下での犯罪による政治権力を終結させることこそが、中華民族を救える唯一の方法である。中国共産党を埋葬することで、初めて中国が共産党の政治論理の下で受けてきた百年の屈辱を晴らすことができるようになる。

共産党政治権力の罪業は千年経っても消えることはない。
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