道家の聖地 – 武当山(一)

道恒無為,而無不為。——『老子‧三十七章』いつの日か、世間の喧騒を離れ、世界の外にある山の森を見つけ、自然と一体となり、心の平和を取り戻すことを想像したことがありませんか? 凡庸な生活を送っている現代人にとって、まるでおとぎ話のような美妙で、手の届かない夢みたいですよね。

中国の万岳には、この条件を満たす山が少なくありません。今回そのうちの一つを紹介します。この山が中国の華中(かちゅう)地域の湖北省に位置し、絵のように美しく、神秘的で、そびえ立っています。 長い年月をかけて洗礼を受けた道教寺院は、その長い歴史を物語っています。 それは、道教の聖地として知られる武当山です。二千年以上の間、修道に専念する修煉者たちにとって最善の選択でした。

 

太極拳の祖師真人張三丰

武当山は古来より道教の活動が盛んな場所でしたが、真に有名になったのは、真人である張三丰と彼が創設した太極拳法でした。 張三丰は、南宋淳祐7年(西暦1247年)に生まれ、宝鶏金台観で生き返ったことがありました。約300年後に明王朝に彼のことを見たと言う人もいましたが、その後、張三丰の姿が消えました。世の中では、彼がすでに仙人になったと噂されていました。

明史』によると、張三丰は「身長高、体や耳が大きく、丸い目、矛のようなひげ」という記載があります。 夏でも冬でも道衣と蓑衣しか着ていません。彼はかつて武当山を訪れ、「この山は将来必ず繁栄するだろう」と語りました。その時、ちょうど戦乱で武当山の道観が破壊されました。張三丰と弟子たちは様々な困難を克服し、道を切り拓き、屋を築いて、身を隠しました。

張三丰は世界でも類を見ない武道の達人でした。少林拳や剣術など多くの武術に精通していただけでなく、内的修養を積んだ内家拳の達人であり、太極拳の創始者でもあったと言われています。

『王征南墓誌銘(おうせいなんぼしめい)』によると、「夜夢玄帝授之拳法,厥明以單丁殺賊百餘」と記しています。玄帝は玄天上帝(げんてんじょうてい)です。伝説によると、夢の中で玄天上帝の伝授を受けた張三丰は、静で動を制し、柔で鋼を制する太極拳を創設しました。翌日、盗賊に包囲された際に実戦でその効果を証明しました。

現在、太極拳は体を鍛える効果があることで知られていますが、太極拳創設初の初心とは大きくかけ離れています。太極拳はもともと、瞑想や身体の鍛錬、修行者の精神面の向上を目的とした修行方法でした。

張三丰の名声は朝廷に伝わり、代々の皇帝が訪れて、彼に称号を授与しました。明の建国皇帝である朱元璋が何度も訪ねたが成功せず、永楽帝も即位後、人々を何度も張三丰のところに訪れさせました。最後に、張三豊から手紙をもらい、不老不死の道である「心を澄ませ、欲望を少なくする(澄心寡欲)」ことを教えてもらいました。 永楽帝はこの指示に大喜びし、軍と民間の職人の派遣を命じて武当山を修復し、九宫、三十六庵堂、七十二岩廟などの巨大なプロジェクトを建設し、「太和太嶽山」と名付けられました。張三丰の以前の予言が実証されました。

(翻訳 啓凡)