中国に潜む全面崩壊の危機

2005/06/02 21:05
【大紀元日本6月2日】

※訳者より: 本稿は、「看中国」2004年11月24日の記事(www.secretchina.com/news/articles/4/11/24/76209.html)を転載してもので、2年以上前(2002年ごろ)に書かれたものであるためと思われ、統計数字などは2002年以前のものである。 ただし問題の本質は全く変っていないどころか本稿が書かれた時点より悪化していることは確実である。

 編者より:本論の筆者は大陸の経済・財政問題に関する執筆者である。彼は、経済を足がかりに、これを社会矛盾が激化している政治的現実と関連づけ、中国のいわゆる“アジアの奇跡”、もしくは悪名高いクローニー・キャピタリズム、すなわち、完全にコントロールを失った銀行と官・財による権力資本が、民間の財産を根こそぎ奪うに近い手法を用いることでやっと支えられてきた表面的な繁栄であることを説明している。

 今日、中国の権力資本が作り出した多くの社会矛盾が頂点に達している。これがひとたび爆発すれば、連鎖反応を起こして中国は全面崩壊するであろうし、その前途には恐るべきものがある。本文中、筆者は中国の危機がどこから始まり、これがどう発展し、中国の未来にどのような影響を与えるのかを論じている。本文の指摘によれば、かりに危機をコントロールできなければ、中国の版図は政治・経済・文化の面で微塵に切り裂かれ、最後にはもともとあった民族国家さえも維持できなくなるという。

 本文は、投資家や、老後を貯蓄に頼る中小の資産家が資産運用をする上での参考になるであろう。また、労働者・農民といった弱者階級が今日において全てを失った真の原因やその抗争の行方を理解するのに役立つであろう。さらに、中国の運命、前途に関心を持つエリートが参照または見習うべき手本となるであろう。

 読解の便利のため、タイトル(中国の崩壊)と文中の小見出しに修正を加えている。中国の運命に関心を持つ読者が、時間をかけてこの長編の論文を仔細に読んでいただき、その透徹した記述の伝えんとする深い意味を理解することを希望する。

一.人々の目に映る中国は仮象にすぎないのか?

 この2年間非常に流行った“不況の経済学の復活(the return of depression economics)”において、クルーグマンは中国人が疑って止まず、かつ非常に恐れている問いを発した:次は中国か? 彼の問いの意味は、アジアにおけるほぼ全ての国家が壊滅的な崩壊を経験する中で、中国-この“アジアの奇跡”の中の最大の奇跡-が、やがて崩れゆく神話なのかどうか、ということである。

 中国にも、悪名高いクローニー・キャピタリズムや完全にコントロールを失った銀行等、アジア各国を襲った共通の病が存在する。しかし、他のアジア国家に比べて巨大な経済体である中国には、他とは異なる、ひいては重要な特徴が存在するようである。そうでなければ、中国だけが、なぜあの恐るべき災難を逃れることができたのかを解釈するのは困難である。おそらく中国問題の複雑さ、その厄介さに突き当たったのであろう、クルーグマンはこの困惑させる問いを発した後に答えを出さず、自らの議論を終えてしまっている。しかし、彼は明確に、中国を、彼のいう“壊れた”経済体-まさに危機状態に入ろうとしている経済体-と見なしている。

 表面上、中国はアジア金融危機の襲撃を回避できたばかりでなく、その常態化した高成長をもって世界を見下し続けている。アジア経済危機が去った後、中国はなお、連続4年間、年平均7%以上のペースで成長を続けた。多くの中国問題研究の専門家にとって、中国の、こうした独特のパフォーマンスは世紀の謎となった。なぜなら、それは我々の常識に対する挑戦となったからである。常識が真に偽りであると証明されるのだろうか?それとも、我々の目に映る中国が仮象にすぎないのだろうか?

二.権力資本が政治手段で弱者階級から掠奪し、目先の利益を貪る

 アジア金融危機が発生した1997年、中国経済は、実際のところ深刻な問題に直面していた。こうした問題は、中国経済の緩やかな低迷、中国が自慢としてきた漸進的改革における推進力の完全喪失という形に表れてきた。金融改革はぱっとせず、国有企業の問題は日々深刻化し、汚職や社会の貧困問題が制度的に頻発していた。こうした中で発生したアジア金融危機は、意外な方法で、中国の漸進改革モデルの別の側面を明らかにした。

 当時、中国の指導者層は、累積した体制の弊害を取り除くべく、痛ましい決心をした。しかし、自らの自尊心及び経済の現実からの圧力に駆られ、彼らは明らかに反対の道を進むに至った。経済の高成長を持続させることにより、この、やがて朽ち果てる神話を隠蔽するため、中国の指導者層は、制度改革をほぼ完全に据え置きし、あらゆる代価を惜しまず短期の経済のパフォーマンスを追及した。制度改革をめぐる厳しい情勢に対する中国指導者層の軽視ぶりについて言えば、こうしたGDPを唯一の追求目標とした執政の考え方は、すでに発狂レベルに達していた。多くの専門家が見るように、1997年以後、中国指導者層が、長期的な改革-経済改革であれ、喫緊の政治改革であれ-を打ち出し、更なる改革の推進力を結集させることが全く無くなった。彼らは逆に、動員できる全ての資源を利用し、掠奪に近い手段で、懸命になってその表面的な繁栄を支えているのである。わずか4年の間に、中国政府は採用可能なあらゆる手段を用いて経済成長を刺激してきた。その手段には、欧米人が熟知している財政政策、貨幣政策のほか、彼らが詳しくない、いわゆる収入政策や、消費政策が含まれている。膨大な公共支出を基礎とする政策による刺激の力を借り、中国は、少数の大型都市において、高度成長国家の典型像をハイペースで作り出した:高くそびえたつ高層ビル、ハイペースで成長する中産階級の消費主体、途絶えることのない外部からの資源の流入、とくに香港・台湾地区からの投資、ゴールデンウィークにおける旅行者の群れ・・・。この新しい現象に応じるように、かつてアジア型成長モデルに深い疑念を抱いていた人々が、遂には最後の警戒感を放棄し、自らの情熱と行動を、われ先にと“中国の世紀”の大合唱に投じていった。

 しかし、人々はすぐに次のことに気づいた。中国は、単に大都市だけを意味しているのではなかった。さらにいえば、一部のモデル的色彩を持つ特大都市だけを意味しているのではなかった。すなわち、中国は、人々の心を動かすチャンスだけを意味するのではなく、手がつけられない巨大な災禍をも同様に意味していた。中国の指導者層がいう“内需拡大”、私がいう“擬似ケインズ療法”を実施したことによる代償を見てみようではないか!私がいうところの“擬似ケインズ療法”は、クルーグマンのいう“ケインズ療法”ではない。なぜなら、この政策を実施する政府が同質のものではないからである。言い換えれば、中国政府においては、“ケインズ的契約”が完全に欠如しているのである。この契約のもとでは、政府は自由市場の原則に違反しないという状況において介入が認められるのであるが、こうした契約は中国においてはほぼ全く存在しない。我々が注意すべきなのは、同様の政策を実施する時、中国政府は依然、監督を全く受けず、かえって大量の資源を独占的に掌握している政府だということである。この点が、最も重要な差異である。そして、まさにこの差異を起点として、同じ政策が全く違う効果をもたらすことになる。

 積極的財政政策は、中国が1997年以降採用してきた一連の景気刺激政策の中核部分である。1998年より、中国政府は大量の公共投資を開始した。このため、中国中央政府の財政赤字は、1997年の560億元から2002年の3000億元余りへと急上昇した。この政策をどの角度から評価しても容易に分かってしまう事実は、中国におけるあらゆる公共投資は低効率であり、様々な汚職と贈収賄等の汚い話に満ちている。民衆はこうした公共投資のイメージを“富官工程”に例えたが、それはまったく奇妙な比喩ではなかった。この問題の本質とその深刻性は次の点にある。全く監督を受けない国家の中で、国債の大量発行によって支える公共プロジェクトが意味することは、少数の権力ある腐敗官僚が全人民の未来を前借りして費やしているということである。この問題について、我々は、中国がいかなる奇跡を起こすことも期待できない。実際、我々は、大量の公共投資が、全く利用価値のないゴミと化していくのをすでに見てきたところである。積極的財政政策を開始して以来、中国において、90年代初期と非常に類似した土木ブームが再来した。前回のブームは地方政府による投機という形で発生したが、今回のブームの主役は中央政府であった。90年代中期、中央政府が困難な交渉の後に地方政府から大きなコントロール権を奪い取ったのは記憶に新しい。

 しかし、ひとたび大権を掌握するや否や、中央政府はかえって同じ悪事を始めた。権力経済の本質は変わらず、違いは大集権か小集権かであって、それは五十歩百歩であった。開発区の建設を主体とする90年代初期の投資ブームの結果として、大量の荒地のほかに銀行の不良債権が大量に残った。それでは、規模がさらに大きく、コストに制約のない公共投資の結果、何かよくなったのだろうか?江蘇省を例にとってこの問題を説明すると、江蘇省北部のある県において、大量の資金を費やして、完全に、まばゆい政治的実績を目的とした“電話県”を作った。その結果、強制的に設置した電話は、農民の家では使い物にならない装飾品と化してしまった。

 上記の積極的財政政策と組み合わせとして、貨幣政策(金融政策)が用いられた。90年代初期に発生したインフレの教訓の後、中国の貨幣管理当局は比較的慎重な対応をとっていた。中央政府はインフレを刺激するのを恐れ、穏健な貨幣政策をとってきた。しかし、こうした“穏健”政策は、実際のところ口頭レベルのものであり、98年以降、政府は5度に渡って金利を引き下げた。貸し出し金額の70%以上が、息も絶え絶えの国有企業に流れていることを考慮すると、この政策の実際の効果は想像がつく。合理的な推論として、この4年来の貨幣政策の結果、こうした危険な数字に上乗せする形で、銀行の不良債権が大幅に増加した。その比率がどれだけかを正確に知ることはできないが、これこそまさに危険の所在-未知の危険こそが既知の危険よりも恐ろしい-といえる。かりにこれら施策が我々の理性に基づく想像の範囲内に留まるならば、中国政府が直接株式市場の値上げを仕掛けたのは馬鹿げていて、かつロマンチックだといえる。この施策は、歴史感覚のある人には大躍進時代の熱狂を想起させた。1999年に始まって2001年7月に終息した、まれにみる株式市場の好調期において発生した、ある重要な歴史事件が醜聞として記録に残ることとなるであろう。それは“人民日報”が1996年6月に発表した社説である。この社説は詐欺のような手口で投資家に株式市場への参入を促し、社会における虚構の“資産効果”を作り出すとともに、国有企業の困難の解決をはかった。この時期、中国の権力資本は相当に成熟しており、この2年余りの好調期を、権力資本による社会資産の大規模な掠奪と定義できる。中国証券市場のバブルは、現在のところ、依然として合理性の範囲を逸脱している。しかし、市場に塩漬けとなった資金は万、億単位に及んでいる。この好況が幕を閉じれば、アジア金融危機以後長年に渡って持続してきた“優秀なGDP”も、同時に幕を閉じ始めることとなるであろう。

 上記の株式市場政策のほかに、信じがたい政策がもう一つ存在する。それは、いわゆる収入政策である。1997年より、政府は公務員の給料を連続して引き上げ、現在までに公務員の給料は2倍近くになっている。誰もが知っているように、中国の公務員は、改革における最大の受益者の一人である。失笑すべきは、この政策が内需牽引の名目で実施されたことであり、あまねく嘲笑の対象となるとともに、下層階級の怨嗟を激しく惹起した。こんな内需牽引策は、よほど純朴な者でなければ聞く耳を持てないし、その欲望に任せた執政の方向性は、中国政府の官僚が、社会の緊張に対する感覚が麻痺しているという事実のほかに、何物をも証明し得ない。

 国有企業について、中国政府は同様に、膨大な財政資源を投入した。その施策として、中小企業の“関停併転(廃止・生産中止・合併・生産品目の変更)”といった様々な行政手段を通じた競争制限(ひいては競争消滅)政策や、荒唐無稽な“債転股(債務の株式化)”や、2000億元規模の直接資本注入といった全く隠し立てのない直接的な財政援助が実施された。明らかに短期的色彩を持つこうした政策手段を講じた結果、中国国有企業の利益水準は魔法をかけたように好転した。2001年度までに、中国国有企業が苦境を脱した3年間の成果は、次の数字-国有企業の利潤が1999年の900億元から2330億元に上昇-から明らかである。しかし、この数字の背景はどうなっているのだろうか?事実はこうである:中国の国有企業トップ10が1900億元を占めており、国家が重点的に支持(注意:この支持とは国家が考えつくあらゆる支持を行うという意味である)する以下500の大型国有企業の利潤は420億元である。“香港信報”の推計によると、それ以外の6万余りに及ぶ国有企業の平均利潤はたったの1万元しかない。この点から、我々は、中国の指導者に対し、さすがは“ポチョムキン”経済の名手であると敬服せざるをえない(中国領導人不愧是“波将金”経済的業内高手=訳者注:ここでポチョムキンを取り出したのはロシアの歴史においてポチョムキン号事件がもたらした影響を投影しようとしていると思われる=)。資源を大型独占企業に集中させるこうした流れの中に、ロシアの“寡頭経済”の影がぼんやりと浮かんでくるのが見て取れる。

 アジア金融危機の後に中国が取った対応策の中で、最も人々の関心を引いたのは人民元の為替政策であり、これは国際世論の惜しみない賞賛を受けた。国内ではこの政策の得失に対する議論が止まず、その結論はまだ出ていない。しかし、特に重要であり、しかも無視されてきた問題は、強い人民元が国内の各社会階層に、それぞれ異なる影響を与えたということである。また、中国の貿易依存度は既に40%に達しており、外部市場が著しく変動する中で、人為的な為替管理は中国国内に資産再分配の効果をもたらした。直接観察できる事実として、強い人民元が、農民を主体とする貧困階層に打撃を与え、その利益を剥奪した。廉価な労働力は、中国の世界市場における最大の競争優位であり、この優位は中国の余剰労働力からの巨大な供給、中国人の低収入に対する強い忍耐力に基づくものである。しかし、周辺地区の為替が大幅に下落する中、中国低収入階層の労働力価格は却って高く評価され、このことが、中国が経済を通じて世界市場に人口圧力を輸出するルート、彼らの就職口や賃金上昇の途を断ち切ってしまった。この人民元政策を通じ、中国政府は面子が立ったが、その代償として農民その他低収入階層の者がさらに落ちぶれる結果となった。中国の総人口に占める農民の絶対的な規模を考慮すると、その代償は相当に大きいばかりでなく、経済上の代償に止まらない。中国の低収入階層が強い人民元の代償、すなわち人民元が下落しないことによる“弊(失)”を引き受ける一方、都市居住者を中心とする一部分の中国人、とりわけ独占資本や権力資本がそのメリットの絶対部分、すなわち人民元が下落しないことによる“利(得)”を享受したのである。中国の輸入品の主な消費者は都市、とりわけ大都市に集中しており、強い人民元は彼らの輸入商品に対する消費能力を大幅に増加させた。しかし、農民や下層階級はこうした消費と全く無縁であった。これと同時に、強い人民元は、電気通信といった独占産業など、設備・原材料を輸入し、国外からの大量の借り入れを行う独占企業や権力資本に対して有利に働いた。中国都市部における生産と消費は輸入と密接な関係があり、強い人民元は中国都市部の輸入商品に対する消費の胃袋を大きく刺激した。これが、外資が一夜のうちに、中国で突然に中産階級を発見した真の原因のあらましである。 

 しかし、こうした“モデル的意義”をもった中産階級はその基礎が確かではない。なぜなら、これは為替レート管理のもたらした突発的な資産の移転だからである。中国の農民は改革のコストの主要な負担者であるが、こうした受動的な負担は、彼らが愚鈍であるがゆえに担ったのではない。彼らが単に権力の中心から遠く離れているがゆえなのである。この苦境を示す最新の例として、中国最弱の産業である農業は、却って“入世(WTO加盟)”の交渉の中で、多くの国家を上回る開放の承諾がなされてしまった。従って、我々は以下の疑いを持つに十分な理由がある:強い人民元は、体制による“故意”ではなかったか?-強者階級が中性的マクロ政策を装ったレントシーキングを行ったのではないのか?-長期的に見て、中国の農業問題は為替レートの問題ではない。しかし、強い人民元は、この数年間、かえって中国の弱者階級の苦境を激化させたことは、疑いを容れない事実である。

 こうした真相を見ても、なお我々は、中国がアジア金融危機の回避に成功したと考えられるのだろうか?我々は単に政治手段を用い、危機のショックを弱者階級に強制配分しただけであった。人民元は下落しなかった。この事実は、単に中国が人為的に為替レートを管理できることを説明しているにすぎない。また、ある人が、実態にそぐわない強国のイメージを極力維持しようとしていたということのほか、何の説明にもならない。

 中国経済の最近数年間における成長ぶりは尋常ではなく、それは我々に、計画経済時代の中国を容易に連想させる。その当時、中国は目を見張るような高度成長を実現しており、同時に、現在よりも大きく困窮した人々の生活があった。権力が高度に集中した国家において、GDPの高成長を維持するのは容易なことである。

 上記一連の施策を相次いで発動させることで、中国経済は、アジア金融危機において“一枝独秀”ーー-中国の経済学者が呼ぶところの“七上八下”(7%以上、8%未満)を維持した。しかし、この単語(“七上八下”)のもう一つの意味(=不安で落ちつかない)と同様、この“一枝独秀”の状態に、人々は安心しなかった。一部のふざけた政府系経済学者が、やがてターニングポイント(ここではポジティブな意味)が訪れることを不断に吹聴したが、そのターニング・ポイントは、最後まで現れなかった。このため、中国がもし、成長のエンジンを修正するための制度改革を行わなければ、経済学者が望んでいる例のターニング・ポイントは負の方向に現れると人々は信じるようになった。中国国家統計局の最新の数字によると、2001年第4四半期における中国のGDP成長率は6.6%を記録した。この数字は、私から見ればある趨勢-おそらく中国経済が“一枝独秀”であるために支払った、重い歴史的な代償の反映である。

三.仮象の背後にある深刻な経済・政治の危機

 ある経済学者がすでに、この一枝独秀の代償について密かに論じているところであるが、人々の多くは7%の成長率に対して疑問を呈するようになった。まさに今年、中国人民代表大会が例によっておざなりに昨年の政府の成績を総括しているその時、中国国有企業のシンボル的存在であった大慶において、過去最大規模のデモが発生した。これが中国の漸進的改革が突然死に向かっているシグナルであると判断するのは難しいが、我々に強烈な暗示を与えている:中国、それは一つの仮象である。

 現在、中国において存在する深刻な問題が、アジア金融危機の後に始まったものであるとはいえないが、この4年間にメンツ上の繁栄を維持するためにとった近視眼的な政策が事態の悪化を加速させたことに疑いはない。しかし、最も大きな代償は、中国がすでに平和的に改革を進める最後のチャンスを逃した可能性がある、ということである。ここで、美しいGDPの背後にある中国のもう一つの側面について見ていくこととする。

1.窮地にある国家財政

 中国の指導者層は、さまざまな指標や評価基準を利用し、自らの財政政策を弁護し、国家財政が健全であることのイメージを守ろうとする。しかし、ここに深刻なミスリードがあることは明らかである。それは、単に中国財政の数字に偽りがあることだけが原因ではない。大量の国家債務をカバーした統計をとることができないのである。

 中国のある経済学者が私的に推計したところによると、中国の国家債務は13兆元になるという。この推計において、普遍的に存在する国有企業の給与未払いは十分に含まれていない。ある資料は、その数字が2兆元であることを明らかにしている。こうした要素を考え合わせるならば、財政赤字対GDP比率は、日本の131%に近いか、あるいはこの数字を上回っている。指摘すべきは、世界の主要国の中で、日本の数字は世界一となっている。

 同時に、抑制の効かない硬直的な支出の伸びを満たすため、政府は1997年より、法に基づく課税を通じ、民間資産を不当に収奪している。中国政治の現状として、その負担者が中国の中・下層階級であることは確実である。我々はこの点について、中国社会において日益しに増えている抗税事件や不断に増幅する怨恨の感情から感じ取ることができる。1997年から2001年にかけ、国家税収の成長率は連続してGDPの成長率の2倍を記録し、直前の2001年度について、この数字はGDP成長率の3倍となっている。中国の民衆が感じている痛みの度合いからすれば、この高成長の潜在力は十分に限られている。言い換えれば、中国社会における税収の潜在力と日益しに膨れ上がる中国財政の胃袋との間に存在するアンバランスは、今後数年のうちにピークに達するであろう。

2.脱出困難な金融の落とし穴

 最近10年間における日本の苦しい経済状況の原因は、銀行システムの深刻な問題に帰結する。しかし、この問題について、日本は、おそらく最劣等生には該当しないだろう。最も悲観的な推計によると、日本における銀行の不良債権比率は20%である。しかし、この数字は中国に比べて見劣りしてしまう。中国政府の最新の数字によると、中国国有銀行の不良債権比率は26%に達している。しかし、この数字について、中国の民間、及び国際的な機関は一致して疑義を呈している。一般的な推計によると、中国における不良債権比率は50%という驚愕的な数字に達している。中国国有銀行問題の深刻性は、主管部門のトップの推測を遥かに上回っているのではないかと人々は疑っている。その疑念は、ますます増加している銀行の腐敗案件によって証明された。ここ数年、中国人民銀行は試行的に信託投資会社をいくつか閉鎖したが、その際に明らかになった真の状況と予想とのギャップの大きさは驚くべきものがあった。同時に、中国は一部において債権5分類制度を実施しようとしたが、その実現を何度も阻まれた。その理由は簡単である。国際慣行にマッチしたこの制度を実施することで、不良債権比率が大幅に増加してしまうからである。状況は確実に、かつ相当に悪化している。しかし、政府が金融改革をまたも据え置いたところから見ると、中国の指導者層には相応の緊迫感や勇気に欠けている。この問題は、難度とリスクが同じくらい高い政治改革にも関わってくる:この点については、最近明らかに王雪冰事件からも理解できるだろう。

 広く知られているある一例が国有銀行の現状を理解する助けとなろう。5大国際会計事務所のパートナーの幹部がある市級銀行を調査した際に目撃した二つの事件は、彼にとって信じがたいものであった:一つは、銀行長(頭取)の執務室は“バスケットボールができるほどに”広かったこと、二つめは、机にあった最上級のパソコンは厚いほこりで覆われていたことである。

 この事件に対する彼の評価は次のとおりである:この銀行はなおも存在することできるが、まさに
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