伝統文化:寛容と我慢

2006/02/18 16:57
 【大紀元日本2月18日】中国では寛容と我慢が、一種の伝統的な美徳として称賛されてきた。孔子は「薄責于人、則遠怨矣」と語った。曰く、他人を責めないで、理解と寛容の気持ちで接することができれば、自分も悩むことなく、穏やかな心情を保つことができるという意味である。古代には、「一時の我慢をすれば、そのうちに撃風と怒涛が静まる。一歩を譲歩すれば、広大な海と空が見えてくる」との名句がある。寛容と我慢は、媚びへつらうことや、屈辱と品格を損なうことではなく、深い知恵と度量がある人しかやり遂げられない。寛容と我慢は慈悲であり、人の教養と品格を表し、災いを溶かし、気持ちが楽になり心配事もなくなるのである。

 中国の宋の時代に、呂蒙正氏は2人の皇帝の下で、3回も宰相を歴任した。彼の度量は海のように広大であると称えられ、厚い人望の持ち主だった。

 呂蒙正氏が宰相に就任する前に、ある日、皇帝の朝礼で、1人の朝士(ランクの低い役職)が彼を指さして、「こいつはなんで朝礼に参政するのか」とけなした。呂蒙正氏は知らんふりをして目もくれなかった。同行する官僚らは、あの者の名前を調べるようすすめたが、「名前を知ったら、多分忘れなくなるから、あえて知らないほうがよい」と呂蒙正氏は答えた。

 ある日、呂蒙正氏は息子らが家でひそひそ話をするのを見かけた。話を聞くと、「父上の評判は非常によいのですが、ある人は、父上が官僚としては無能であり、職権が同僚らに占用されていると言っています。私たちは、ちょっと納得できません。父上は才能があるからこそ、皇帝陛下から宰相に抜擢されたのに、どうして、父上はいつも人に3分を譲るのでしょうか?」と息子らは不満を漏らした。呂蒙正氏は「私は確かに才能がないが、皇帝陛下が私を宰相に選任したのは、人使いが上手だからなのだよ。もし私が人材を適所に重用しなければ、それこそ職務の過失になる」と笑って答えた。

 呂蒙正氏が宰相に就任して間もなく、蔡州の代官・張紳の汚職が検挙され、そのため呂蒙正氏は彼を免職した。しかし、ある官僚が皇帝に、「張紳氏は金持ちで、お金に目が眩むはずがありません。昔、呂蒙正氏が貧困で金に困ったときに、張紳氏に助けを求めたが、断わられました、そして今回、呂蒙正氏は職権を濫用し、私憤を晴らしました」と告げ口した。それを信じた皇帝は張紳氏を復職させたが、そのことについて呂蒙正氏は一言も弁明しなかった。その後、別の官僚が張紳氏の汚職の証拠を掴み、張紳氏は再度免職された。皇帝は呂蒙正氏が無実であることが分かり、彼に「張紳は、真に賄賂を受け取ったな」と言い、それを聞いた呂蒙正氏は「わかりました」と答え、なにも言わなかった。

 呂蒙正氏と学友の温仲舒氏は、同じ出世道を歩んだが、温仲舒氏は在職中に汚職により、官位を剥奪された。呂蒙正氏が宰相に就任した後、彼の才能を重用するよう、皇帝に温仲舒氏を推薦した。役職に復帰した温仲舒氏は、自分を誇示するあまり、度々皇帝の前で呂蒙正氏をけなした。さらに、呂蒙正氏が皇帝に怒られたときに、火に油を注ぐようなこともした。当時の同僚たちは、非常に温仲舒氏を軽蔑していた。ある日、呂蒙正氏が温仲舒氏の才能を称賛していると、皇帝は、「あなたはいつも彼を褒めるが、彼はいつもあなたを一銭足らずのように批評している」と言った。呂蒙正氏は微笑んで、「陛下が、この私を宰相の地位に置かれる理由は、私が人の才能を判別でき、人材の重用ができるからでございます。人が私のことをどう言おうと、関係ございません」と答えた。それを聞いた皇帝は大笑いし、益々呂蒙正氏を重用するようになった。

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