「甘え」の文化

2006/06/06 19:47
【大紀元日本6月6日】昨今、子供たちによる殺人事件が増えている。あどけない年頃の男の子や女の子が、「むかついたから」という理由で簡単に人を殺す。また、学級崩壊やいじめの問題も深刻だ。その背景には、家庭環境や教育現場の問題を指摘する向きも多いが、日本においては、昔からある「甘え」の文化が、極端に現出してきているからだと思う。

 一昔前に流行った「暴走族」は、人目を引く派手な衣装に身を包み、爆音を轟かせながら集団でバイクを走らせていた。人里離れた場所でやってくれれば、誰も文句を言わないのだが、彼らはわざと街中や住宅街を走り抜け、警察を挑発したりする。それはつまり、誰かに「見てほしい」からであって、注目してもらいたいという気持ちが強いからだ。「注目されたい」という気持ちは、「母親に対する幼児の甘え」に由来するといえる。

 土井健郎氏は著書「甘えの構造」の中で、幼児が母親に甘えるのが「甘え」の原型であり、母親が他者に注意を向けると幼児はそれに対して嫉妬すると分析する。幼児は甘える相手に対して受身的、依存的であり、相手は自分の意のままにならないから、容易に傷つきやすく、干渉されやすい。

 「甘え、甘やかす」文化は日本社会の潤滑油であり、日本人の精神構造を理解する鍵になると土井氏は述べている。土井氏によると、人間関係を表す多くの日本語が、「甘え」と関係している。子供はよく「すねる」が、すねるのは素直に甘えられないからそうなるのであり、しかしすねながらも相手を意識しながら甘えている。また、「ふてくされる」「やけくそになる」というのはすねた結果起きる現象で、「ひがむ」のは自分が不当な取扱いを受けていると曲解することである。「ひねくれる」のは、甘えることをしないで却って相手に背を向けることであるが、それはひそかに相手に対し含むところがあるからである。したがって、甘えないように見えて、根本的にはやはり甘えている。「うらむ」のは、甘えが拒絶されたことによって相手に敵意を向けることで、この敵意は憎むという場合よりも、もっと纏綿としたところがあり、それだけ密接に甘えの心理と関係している。

 外との交渉を断ち、大人になることを拒む引きこもりや、暴力に走る子供たちは、「甘え」を素直に表現することができず、極端に内向化したり、外に向かって人を傷つけたりする。自分の思う通りに行かないのが人生である。人はそれを努力して乗り越えたり、寛容を学んだり、苦に甘んずるなどといったことを成長とともに学んでいくものだが、物質的に豊かになり、精神的な「甘え」が許容される日本社会において、それはますます難しいのかも知れない。

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