特別報道:世界を震撼させた法輪功迫害、初記者会見から7年

2006年10月31日 11時16分
 【大紀元日本10月31日】1999年10月28日、中国の前国家主席・江沢民氏が7月20日に「3ヶ月以内に法輪功を消滅させる」という指示を中国の各部門へ通達した3ヵ月後、30数人の中国大陸の法輪功学習者らは、自らの危険を顧みず、北京で初めての「中国大陸法輪功記者会見」を開いた。中共による法輪功学習者への迫害を暴露し、世界を震撼させた最初の記者会見である。この記者会見は江沢民をあからさまにビンタしているようだとメディアに評論された。

 中共の厳しい統制の中で、国際社会に向けたこの記者会見が開かれてから、7年の歳月が過ぎた。当時は、どのように開かれたのか。参加者はその後どうなっているのか?大紀元は当時記者会見に参加した一部の人の取材を行った。

 *会場まで記者たちを案内した李彬氏

 大連で法輪功を学んでいた李彬氏は当時大学院を卒業したばかりだった。当日、李氏は記者たちを北京西側の郊外にある記者会見会場まで案内する役目だった。李氏は記者会見後間もなく逮捕され、精神病院および強制労働収容所での様々な迫害を受けた。その後、米国へ脱出した。

 李氏は、次のように語った。「99年10月28日、北京の気温は突然低くなっていたのを記憶している。我々は北京市東直門にある北京ダックの店『全聚徳』を待ち合わせ場所として、事前に部屋を取り、各社メディアの記者が集まってから、一緒に記者会見の会場「月亮河度假村」ホテルへ向う計画だった。当時は監視および警備が非常に厳しい状況であったため、集まった全員は商談の食事会を装った。」

 「11時ころ、ロイター通信社のトップが2人の女性カメラマンを連れて急いで入って来た。当時、彼らは我々より緊張気味だった。彼らは我々の計画を聞いてから、食事抜きで直ぐにでも会場へ向うと主張した」。

 李氏は他の記者を待つために、もう1人の学習者を残して、4人で会場へ向った。

 *記者会見

 「午後12時半頃、我々が会場に入ると、学習者全員が待ち構えていた。記者が入ると、すぐさま『中国大陸法輪大法記者会見』の横断幕を掲げ、法輪功創設者・李洪志氏の肖像を取り出し、音楽をかけた。ロイター通信社の記者はカメラを準備し、他の記者が到着する前に、一部の学習者に対するインタビューを始めた。彼らは先ず、黒龍江省から来た曲という11歳の男児に焦点を当てた。男児は、李洪志氏の肖像を抱え、法輪功を修煉していることが理由で、学校の先生が自分の登校を拒否したと訴えた。両親が男児に付き添っていた。」

 「30分も経たないうちに、AP社、ニューヨーク・タイムズ社の記者らがカメラマンを連れて、会場に駆けつけた。司会の蒋朝暉氏は記者会見を始めると短いスピーチを発表した。記者たちは蒋氏が受けた迫害の個人経験を取材した。後、10人近くの学習者が発言した。」

 「警察だった1人の学習者は、共産党と法輪功の両者から1つしか選択できない状況下、警察の服を脱ぎ、仕事をやめ、直訴するために上京したという。また、もう1人の公安勤務の学習者は、これ以上沈黙を守ることはできないとし、人々に残酷な迫害の真相を明らかにすると意気込みを見せた。記者たちは、元警察の学習者に対して、非常に詳しく取材したため、時間を長く取った。」

 「3人のカメラマンは共に女性だったため、石家庄から来た美容師の丁延氏が拷問を受けたことに強い関心を寄せ、多くの写真を撮った。記者たちの取材が約1時間15分経った時点で、ロイター通信社の記者は、危険性が高いことから、蒋氏に記者会見を終了させるよう促した。そのため、一部の学習者は発言することができなかった。記者会見を終了させる言葉の代わりに、全員が法輪功の第3セットの功法「灌通両極法」を行った。カメラマンはその様子を沢山写真に収めた。当時、私は涙が止まらなかったことを今でも記憶している。」

 「記者会見終了後、蒋氏は参加者に対して、素早く北京を離れるように告げた。それぞれは異なる方向へ散らばった。しかし、遅れてきた記者がいたため、学習者は記者たちを連れて別の場所で取材を行った。」

 「蒋氏はロイター通信社の3人と一緒に行動し、3人は記者会見に参加した学習者たちの勇気を賞賛した。蒋氏は微笑みながら3人に対して、公安があなた達の今回の取材活動を知ったら、どうなるのかと尋ねた。彼らは、『中国で記者として務められなくなるくらいのことだ。公安には絶対に呼び出されるだろう。ただ、我々にとって、これは小さなトラブルに過ぎず、あなた達にとっては、大きいトラブルだ』と答えた。」

 「私はAP社の記者2人と同行した。2人は『あなた達は本当に勇気があって、勇敢だ』と学習者たちに対して敬意を払った。そして、我々の身の安全を憂慮し、再三注意するように言ってくれた。」

 *国際メディアの報道、中共は見境なく批判

 99年10月28日当日、AP社、ロイター通信社のこの記者会見に関する報道は発表した。29日、ニューヨーク・タイムズはトップ記事として、記者会見の写真と内容を掲載した。当時、米国にいる法輪功学習者たちが米国会および政府関係者に対して、法輪功が中国で迫害されている状況を訴えていた。

 また、アジアでもっとも影響力を持つ英字新聞「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」紙は写真入りの一面で記者会見を報道した。ヨーロッパの多くの主要新聞メディアもにこの記者会見を重点に取り上げた。

 メディアの報道により法輪功に対する迫害が国際社会を強く震撼させた。これに対し、江沢民らは怒り、最上部の特別警察部門および先端設備を利用し、法輪功学習者に対して大規模な強制連行を行った。

 情報筋によると、当時、江沢民は記者会見の録画を見てから、「1人たりとも逃してはならない」と言明したという。当時、石家庄の公安内部情報では、すでに記者会見の録画を入手し、参加者の追跡を行っていたという。中共官製中央テレビ局は中国において衛星を通して外国へ映像を送る唯一のチャネルであるため、中国駐在の外国メディアが海外へ送付する法輪功に関するすべての映像を盗むことができるという。

 *記者会見出席者の行方

 李彬氏によると、大多数の参加者は広州交流会の後に逮捕され、現在は行方不明であるという。法輪功は分散して自発的に活動に参加する団体で、大きい活動においても、情報を知ってから、参加したい者が自由参加し、流動的である。従って、互いに面識がないこともしばしばである。多くの学習者もそのために音信不通となった。丁延氏、蔡銘陶氏などは、迫害され死亡した情報がネットに掲載されてから、初めて知ったという。

 法輪功関連サイト明慧ネットの報道によると、記者会見の司会を務めた蒋朝暉氏はその後、5年の刑、北京の項桂蘭氏は3年の刑、湖北武漢の張珂氏は3年の刑を言い渡されたという。

 記者会見で通訳者を務めた雷小テイ氏は後、逮捕され2年の刑を言い渡された。もう1人の女性通訳者・劉冬梅氏は東北財経大学国際商務外国語部英語科の講師で、記者会見後に逮捕され、馬三家強制労働収容所で拷問を受けたという。また、通訳者のもう一人、蔡銘陶氏(27)は11月初旬に武漢へ強制送還され、監視を受けた。2000年4月、蔡氏は再び武昌市青菱「610オフィス」へ送られ、拷問を受けた。警察は蔡氏を手足を固定させ、血だらけになるまで殴り続けたという。同年10月、蔡氏が再び北京へ直訴しようとした際、事故で死亡した。

 河北省石家庄市出身の丁延氏(女性、31)は、で、記者会見当時に重点的に取材を受けたひとりであった。丁氏は99年11月25日、広州で強制的に連行され、4年の刑を言い渡された。その後石家庄市第2刑務所女子中隊、河北省保定太行刑務所女子隊、承徳刑務所の水牢にそれぞれ監禁された経験があった。情報筋によると、丁氏は保定太行刑務所に監禁された時に、毎日炎天下の労働を強いられ、板床鉄かごの拷問を受けたという。丁氏と一緒に監禁されていた法輪功学習者によると、鉄かごの中にある板には長さ約3・3センチの釘が沢山固定されており、布団もないため、座ることも横たわる事もできず、極めて苦痛であったという。2001年8月18日夜、丁氏は承徳刑務所で拷問され死亡した。

 
記者会見で、警察が法輪功学習者に対して、両手を上下から背中に回し手錠で固定するという拷問を説明する丁延氏(明慧ネット)

*記者会見取材後の外国記者、恐喝と尾行の連続

 記者会見に参加したAP通信テレビ新聞社(APTN)の駐中カメラマン兼プロデューサーのビトリス・ターピン(Btrice Turpin)氏は当時、会場で積極的に取材し、事実を報道した。 ターピン氏によると、当時法輪功学習者の記者会見を報道した記者たち全員が尾行され、追われていたとし、法輪功学習者との接触または、法輪功関連の報道はまったくできなくなった。記者会見数日後、5社の記者は全員呼び出され尋問され、中共当局に協力しなければ、追放されると警告されたという。さらに、中国の外交部で行われる2週間に1度の記者会見の参加禁止を含み、仕事ができない状態になったという。
 
(記者・ロウ娜)


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