ドキュメンタリー映画監督が講演、「私は日本のために戦った-台湾寿村の老人たち」

2007年03月13日 21時31分
 【大紀元日本3月13日】アジア・プレス台湾事務所代表でドキュメンタリー映画監督の柳本通彦氏が11日午後、都内の日大文理学部図書館3Fで講演を行い、自ら撮影したドキュメンタリー映画「私は日本のために戦った-台湾寿村の老人たち」についてその撮影秘話などについて語った。柳本監督は、自ら撮影機材を手にして、95年初頭から台湾花蓮県の寿村に入り、約四年の年月をかけて現地アミ族(高砂族)の元日本兵・日本軍属に接触、その心情の吐露をあますことなくファインダーに収めた。

 柳本監督が撮影に入った台湾の花蓮県寿豊郷は、太平洋戦争当時に少数民族の若者が多数志願して、日本兵として出征し戦死したところだ。戦場から幸いにして復員した人は、日本政府への不満を口にしつつも、日本の皇民化教育によって日本への懐古の念をいつまでも忘れないという。

 この地域は、日本統治時代には「寿村」と呼ばれていた。砂糖の生産で有名で、中央山脈と太平洋との間に位置し、付近には日本移民村と砂糖工場があって、農村の水源は山脈からの雪解け水であったため、水が美味しく村民が長命であったためにこの村名が付けられた。

 柳本監督は、寿村の「ライスワノ」という老人に接触、この老人は日本統治時代に「平山一夫」名で呼ばれ、国民党の統治後は、「李平山」と命名された人だ。ライスワノ氏は25歳の時に召集令状を受け、フィリピン戦線に参加し、終戦後は捕虜として一年過ごした後、台湾に復員した。

 ライスワノ氏が現在でも大切に保管しているものがある。それは、天皇陛下から授与された八等勲章だ。終戦後、日本はライスワノ氏から遠ざかっていったが、その戦争体験は生々しいままだという。ライスワノ氏が一抹の寂しさを覚えるのは、孫との会話の時だ。孫は国民党の中国人教育によって北京語を話すために意思の疎通が難しい現状だ。

 ライスワノさんの友人、ブテントーバさんは、日本名が中村武雄、中国名が林武丁だ。かつての高砂義勇軍5000人の一人で、父親から譲り受けた民族伝統の蛮刀でジャングルを切り開き、南方戦線で日本軍の先鋒隊として危険な任務についた。50年前の台湾人の心情は、「戦場で必死に働き、靖国神社で合間見えよう」であったが、復員してみると台湾社会は日本語から中国語に変わっており、ラジオや新聞の報道が分からず、社会から断絶孤立してしまったという。

 ライスワノさんのもう一人の友人、テライカサウさんは、日本名が松原敏夫、中文名が胡敏夫だ。テライカサウさんは、従軍中に俸給を強制的に軍事郵便局に貯金させられたが、そのときの預金高が399元、現在の物価に換算すると日本円で220万円相当だが、日本政府は120倍にして返還する計算方法なため、5万円にしかならない。

 テライカサウさんは、フィリッピンのミンダナオ島に出征する途中で船を撃沈され、海上を五時間漂流した後に救出された。「船上には、血流やら、内臓やら死体やら悲惨極まりない状況だった。われわれ少数民族の若者たちは日本のために戦ったのに、なぜこうも(軍人恩給の支給)待遇面で差別するのか?戦後からもう五十年だ。日本人はわれわれの名誉回復をしてほしい」と憤懣やる方ないといった様子だ。テライカサウさんが所有する戦死者名簿には、花蓮の戦死者600人余りが記録されているが、これらの遺族には弔慰金どころか死亡通知さえ届いていないのが現状だという。

 95年3月、ライスワノさんら旧日本軍兵士の一行は、軍事郵便貯金の件で日本に陳情に出かけた。一行らはまず、皇居に続いて靖国神社に参拝に出かけるが、ライスワノさんは「誰かが私の名を呼んだような気がした」と感極まって号泣した。続いて、衆議院議員会館で日本政府の代表と押し問答を続けるが、結局は「あなたたち台湾人の一行は、日本国籍がないために120倍の賠償にしかならない」と言われ、日本人には誠意がないと感じ落胆してしまう。

 台湾籍の日本兵組織は、1977年から日本の法廷で慰問金の差別待遇を撤廃するよう申し立てを続け、日本政府もようやく88年から慰問金の支出を開始、95年には軍事郵便貯金の返還をし始めた。95年10月には、「日本在台湾交流協会」が、TV放送を通して軍事郵便貯金の返還を発表し、台湾籍日本軍人総勢6万人の内、98年3月までに約3割がこれに応じた。

 ライスワノさんら三人は98年3月、寿村を出て台北で軍事郵便貯金の返還に応じようとするが、交流協会の門前でへたり込んでしまう。「ジャングルで四年近く死闘を繰り広げた仕打ちがこれなのか?もう八十を過ぎて明日をも知れない命なのに、どうして日本から慰問の話すらこないのか?旧日本統治時代には、道徳の重要性を教えられたのに、現在の日本にはないらしい!」と天を仰いで慟哭する。村に帰ると、ライスワノさんら寿村の老人たちは、衛星放送で日本の大相撲中継を見るのが好きだ。君が代も日本語で上手に歌う。

 講演の最後に、柳本監督は「これらの老人たちは、もう80を有に過ぎて台湾でも数少なくなっている。ライスワノさんら三人のうちで、もうすでに二人は亡くなった。結局は私には何も(彼らの名誉回復を)できなかった・・・それが大変に残念だ」と本音を漏らして言葉を詰まらせる一幕もあった。
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