縁:前世の「恩」に、現世の「愛」で報いる

2007年05月26日 21時26分
 【大紀元日本5月26日】人の一生は苦しくも短く、山あり谷あり、悲喜こもごもであるが、その一切は結局何が原因なのか、分かる人は少ない。もしわれわれが生死の境にある時空の隔たりを取り払うことができれば、この十方世界の過去、現在、未来の一切に由来する、その原因が全て胸の内に迫ってくることだろう。

 人は一生のうちにきわめて多くの人たちに出会う。ある人とは偶然に出会って別れるが、ある人とは、水の如き交わりで友人となったり、あるいはその後の人生の伴侶となったりする。人が人生の出会いと別れを経験する時、まず心に浮かぶのが「縁」という言葉だ。

 「縁」は元来、中国文化特有の言葉で、筆舌に尽くしがたい深い意味を中に合わせ持っている。中国人の「縁」に対する概念は、早くから宗教と学術を超越しており、それは魂の中に脈々と流れる感覚なのだ。では、縁とは一体何なのだろうか。

 縁をはっきり説明しようとすると、「輪廻転生」を切り離すことができず、前世、現世、未来との因果に関係してくる。

縁の由来

 縁とは、狭義の意味では、親類縁者、夫妻、父母子女、兄弟姉妹等々を指す。広義の意味では、生命の旅の中で偶然に遭遇する人と事件を内に秘めている。

 私たちは、日常生活の中で多くの人に出会う。親友、同窓生、師弟などを問わず、ある人は自分に良くしてくれるが、ある人は自分に辛く当たったり、あるいは全く面識のない人が無意識にやったことでてんやわんやになったり、またはどこかで金を騙し取られたりすることもある。これらの一切は、輪廻という知恵の眼から見れば、全てに因縁がある。

 きわめて多くの人が、縁とは仏教から来た説だと思っている。実際、輪廻には縁がつきものだ。輪廻の概念は、はるかに宗教的な範囲を超越しており、人に生命の意義と恩讐の謎を解き明かしてくれる。詩仙の李白は、「生ける者は旅人にして、死にいく人は帰る人なり。天地に逆らう旅、同じく悲しき万古の塵となる」と詠んだ。人生は苦しく短く、多くの艱難辛苦がつきまとう。

西洋の研究者から見た「縁」

 西洋人は「愛」を説く。中国人は「恩愛」を説く。「恩」は、一字で「愛」の根本を含み、「愛」に奥行きのある意味を加えている。

 西洋には「縁」の概念はないが、西洋人はすでに輪廻を理解し始めており、「縁」についても認識し始めた。

 輪廻に関するきわめて多くの著書の内、「前世の追想」についての内容は非常に多い。これは、輪廻を研究する一種の手段であり、さらに多くは、臨床治療の方法として用いられている。患者を一種の催眠状態に置き、前世の傷や痛みを再度経験させることによって、前世の因果を解読するもので、今世の頑固な病が往々にして快癒するというものだ。

 催眠は睡眠ではなく、この種の状態は「道徳経」に説かれている「恍惚として、その中に人がおり、恍惚として、その中に物がある」というようなもので、被験者はこのような状態の下で、前世の生き生きとした場面を体験し、客観的に見てもつじつまの合う、想像を越えた場所に到達する。

 これまでに発表された「前世の追想」に関する大量の研究案件によると、あるひとつの日常的な現象が、実は前世の肉親や仇敵に根ざしており、往々にして現世の人生に反映し、重要な役割を演じることが分かっている。言い換えれば、生命は往々にして集団で転生し、長い年月をかけてその恩讐を清算する。これが東洋の「縁」だ。

 80年代に米国マウントサイナイ・メディカルセンターの精神科主任・ブライアン・L・ワイズ博士が著した「愛だけが真実 (ONLY LOVE IS REAL)」によると、その中に「縁」が現在進行形で進むケースが紹介されている。極めて普通に日常生活を送る男性と女性が、前世治療を求めてワイズ博士の元を訪れ、両人はそれぞれ2000年前のエルサレムで共同生活を送っていた頃を追想する。当時、二人は父と娘であり、父親はローマ軍の兵士によって夭折し、娘の腕の中で不慮の死を遂げる。二人は、ワイズ博士の診療所で対面するのだが、博士は診療規定により彼らの回想については口を閉ざす。しかし、二人の治療を終えると、命運は巧妙な按配をし始める。二人は、偶然にも同じ飛行機に乗り合わせ、相思相愛の仲に発展したのだ。

 またマイケル・ニュートン博士も被験者を催眠状態に置き、前世の世界を探った。彼は、十数年に渡る研究の中で大量の案件を蓄積し、1994年と2000年に出版した「魂の旅(JOURNEY OF SOUL)」、「魂の宿命(DESTINY OF SOUL)」で輪廻転生について詳述している。ニュートン博士の発見によると、再び転生する間に起こる最も重要な現象は、個々の生命がそれぞれ異なる集団に属し、同一集団の人たちは、一世また一世と関係を持ち、お互いがそれぞれに重要な役割を演じるということだ。また、自分の集団に属する人たちとの人間関係は、大概が前世の恩讐に根ざして結実したものなのだ。

 ニュートン博士の元で催眠を受けた被験者らは、様々な信仰を持っていたが(無神論を含む)、彼らは催眠状態下で魂が不滅であると語り、人を驚かせたことでは一致していた。

天が定める婚姻

 浮世の中でも最も重要な縁が、当然「共白髪」(ともしらが、共に白髪になるまで長生きする)の夫婦の縁だろう。きわめて多くの人たちが、自らの配偶者との出会いを偶然によるものだと思っている。輪廻の世界では、俗世はひとつの巨大な舞台であり、劇的なプロットも早くから精密に計画されていたものであって、一切が偶然に遭っているように見えても、全てが巧妙に構想された台本通りに人生が進むだけだ。

 多くの人が、愛情と幸福を渇望し、八方円満な婚姻へと向かう。しかし、輪廻の世界では、一切が因果の法則の中にあり、あなたが変化させようとしても人生の風向きは変わらず、かえって自分の望まないものが来たりする。自分が愛する人を見つけ出したいと望むのは無論のこと、人は自分を愛してくれる人をも見つけ出したいと願うが、輪廻の世界の中では、愛はただ前世での「恩」に今世で「愛」によって報いているのに過ぎない。

 西洋人は「愛」を説き、中国人は「恩愛」を説く。「恩」は、「愛」の根本とも言うべきもので、「恩」が先にあり、「愛」がその後に来る。前世に恩があれば、今世では縁として結実し、八方円満な結婚として実現する。しかし、縁は必ずしも全てが八方円満ではなく、恩もあれば怨みもあり、ついては善縁もあれば、悪縁もある。多くの不幸な婚姻は、転嫁しようとしても大概が不幸な人生であり、輪廻の世界の中で見ると、全てが因縁によって定められているものだ。

恩讐を善解する

 「縁」についての説は、時として宿命論に関わってくる。多くの人が人生をよくするために日々、努力を重ねている一方、自己の宿命に拘泥し、これから抜け出せなくなっている人もいる。彼らは「目には目を」の方式で闘争し、結果として更に険悪な宿命に縛られ抜け出せなくなっているのだ。

 輪廻の知恵の目からすると、「宿命」とは、逆境を素直に受け入れて流すものでもなければ、命運に対して為すすべもなく立ち尽くすことでもない。宿命を信じる人は、苦難に対面する大きな度量があり、幸運なときには恩に感じる。輪廻の中の宿命は、公平だ。悪縁は、恩讐を善解する正に良い機会なのではないだろうか?

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