中華民族の道徳復興

【大紀元日本8月15日】

魂を失った民族

魂を失った人が生ける屍であるように、魂を失った民族は世界の民族の中に屹立することはできない。

中華民族は数千年の歴史において、儒、佛、道を柱に、神仙や祖先を敬い祭ることを重んじてきた。ところが、近代のわずか百年の屈辱を経て、中国大陸は、西洋で生まれ、そして西洋で否定されたマルクス主義を中華民族の思想の魂とする「共産の道」を歩むことになった。

マルクス主義を指導理論とする中共政権が生まれて以来、西洋をさまよっていた共産の幽霊が、悠久の歴史を持ち、全人類の5分の1の人口を占める中華民族の体躯に取りついた。そして、いわゆる「斬新」な唯物主義「科学理論」によって、この民族の魂を着々とかつ徹底的に呑み込み始めた。彼らは、邪悪な共産党への信仰と世界観を押し付け、政治思想運動と文化運動を繰り返すことによって、完全に中華民族の宗教信仰と伝統文化に取って代わろうとした。

ほとんどの宗教では、人類は宇宙の中で最も低級ながらも智慧を持った生命だと考える。つまり、人は智慧を持つからこそ修煉ができ、天理を知り得るわけで、さもなければ、人は他の生物と同じく、真理を認識するすべがないということだ。

人は謙虚で敬虔であれば、その智慧を守ることができるが、傲慢で不遜であれば、最も低級でしかなかったわずかな智慧をも失い、愚かに変わる。現代人類、特に共産邪霊に取りつかれて本来の文化と道徳を失ってしまった中華民族は、尊大不遜となり、道徳の最低ラインまでも喪失してしまった。

特に江沢民の邪悪集団による法輪功への弾圧と迫害がそれに拍車をかけ、中華民族は自己の魂を失い、数千年の歴史を経て形成された堅固な民族の道徳の根が完全に切断され、今正に、かつて経験したことのない滅亡の苦難の時期へと突入しつつある。

 人類の壊滅を狙う共産邪霊

民族の道徳と文化は、その民族の魂であり、道徳の源は、各民族が崇拝し信仰する神や先覚者、聖人である。ところが、共産邪霊は無神論を標榜し、中華民族の魂を消滅することによって、この民族を壊滅し、そしてさらには全人類を滅ぼそうとしている。

どの民族であれ、伝統的道徳は、人々に善良、誠実、忍耐を教えるが、マルクスは尊大傲慢で、反逆心に富み、他人を敵視するよう導いた。彼は、人類の道徳文明を、人が幸福を勝ち得られない束縛とみなし、それを排除しようとした。そして、それによって、人類の現有の一切の価値観、倫理観と正常な社会秩序を覆し、根本から人類の道徳を壊滅しようとした。共産邪霊は独裁的で道徳観念を持たない政府を打ち立て、人類を幻と邪悪に満ちた「幸福で繁栄する大家族」へと突き進ませた。

それは、満腔の憎しみと反逆心を原動力に、社会を憎み、全人類を恨んだ。その目的は、暴力で現存の社会制度を覆すことであった。

真善忍は人類道徳の源

現代の社会学者は、人類道徳の起源を考えるとき、自己を誤った考えの中に閉じ込め、自ら抜け出すすべがなくなっている。現代科学の物質に対する認識によって人類道徳の源を認識することはできない。

人類の道徳は、神が定めた規範であり、心の奥深くに植え付けられた人固有の善良な本性である。つまり、人の心と言行が人としての道徳に合致したとき、はじめてこの人は「人」と称することができるのである。そして、人が人たる行動規範に背いた時には、天の報いを受けることになる。つまり、「善悪には報いがある」ということで、これがすなわち、人々が常々口にする「天理」である。

では、天理とは何か。それは、創造主が宇宙を創造するときに、宇宙に注ぎ込んだ根本的な特性、真・善・忍である。それこそが天理の源であり、人の世においても、すべての正統な宗教の法の源であり、人類の道徳の根源でもある。

性命双修の法輪功

1992年、苦難と失意の中にあった中華民族に、民族再生の光が射した。中国の伝統気功・法輪功が伝え出されたのである。中華の大地は、まるで長い干ばつに慈雨が降ったかのように、信仰と神の加護を切望する民族は、ついに春を迎えることになった。

この年の5月13日、李洪志氏が社会に初めて法輪功を伝授。その時の参加者はおよそ180人だったが、わずか7年後の99年7月の公安内部の調査によると、法輪功を学ぶ人は7000万から1億人に達していた。

なぜこれほどまでに急速に広まったのか。法輪功は別に特別な普及方法をとったわけではなく、ただ単に、それを学んだ人が自ら体験したことを家族や周りの友人に話しただけであった。

それにもかかわらず、これほどの広まりを見せたのは、法輪功が性命双修の修煉法であり、道徳の面でも病気治療や健康保持の点でも顕著な効果があったからである。この修煉法から受益した人は、喜んでその良さを他の人に伝え、その結果、瞬く間に社会全体に広まったというわけだ。

2千年前にイエスは唾でこねた泥で盲人の目を治し、手を額にかざして病人を治癒したと言われる。それに対し、李洪志氏は指導書である『転法輪』と五式の功法だけで、1億もの法輪功修煉者の心身を浄化し、積もりに積もった病気の業力を跡形もなく消し去ることができた。

多くの修煉者の身に現れたいくつもの「神秘的」な出来事によって、中国大陸の信仰心を失った多くの人々の心に再び「信仰の炎」が燃えあがることになった。

道徳復興への光

人類社会には、発展の過程で各時期ごとに異なる価値観と道徳観がもたらされた。これは、それぞれの時期の社会環境と気風によって生み出されたものであり、正にこの発展と進歩によって、人類は徐々に本来の人としての行動規範から遠ざかっていった。

しかし、幸いなことに、この物欲があふれる社会で、人類の本質の「善」は完全になくなってはしまわなかった。「善」は生命の本源だからであろう。

人は信仰心をなくすと、空虚ひいては恐怖を感じる。中国大陸の民衆は、「共産主義信仰」が破滅して以来、魂は立脚点を失った。そこで、彼らは、伝統宗教や巫女から流行りの拝金拝物主義まで、あらゆるものに拠り所を求めた。

中華文化の核心は本来、「中庸」「善悪応報」「善をおこなって徳を積む」ということにほかならず、それらに「仁義礼智信」などが加わっていたのだが、それらは、すでに共産邪霊によって徹底的に打ち砕かれていた。

このように、大陸の民衆は当時、多くの社会学者が指摘したように、「信仰の危機」と「信仰の空白」のただ中にあったことから、神が中華民族に法輪功という道徳復興の希望を与えたのかもしれない。それは、最もすばらしく最も完全な形でこの「危機」を取り除き、この「空白」を補うことになった。同時に、法輪功の法理は宗教と中国伝統文化の内容を包括しており、修煉の実質を人々に示した。

人類社会の安定は社会の道徳と気風に依るところが大きい。一方、修煉者の次元もその人の心性によって決まるものであるが、求められるものはかなり高い。ということは、社会に修煉者が増えれば、それだけ人類社会の道徳と気風がよくなるわけで、それはいかなる社会の当局者にとっても好ましいことである。

法輪功は正に、真に修煉する人を高い次元に導くと同時に、社会を安定させ、人々の健康と道徳水準を高めるために、計り知れない作用を果たしてきた。多くの民衆は、法輪功の修煉を通して健康な体を手に入れた。また、社会の様々な職種に修煉者がいることから、彼らが修練の過程で表した高い次元での思想と行為を通して、高度な文明におけるモラルを打ち立て維持することに大きく貢献している。

法輪功の法理は、「真善忍」の基準に基づいて自らの言行を律し、いかなる環境にあっても「いい人になる」ように求めている。そのため、それはいかなる社会制度と政権の下でも、社会のモラル向上に有益であり、人類社会を安定させる礎となりうる。

正に、法輪功こそが中華民族の道徳を復興する唯一の希望だと言えよう。

(文・凌曉輝、翻訳編集・瀬戸)