中国古代の色彩的シンボル

2007/06/06 20:41
 【大紀元日本6月6日】中国の帝王たちは古くより、「陰陽五行説」(五行の順序を水、火、木、金、土とし、それぞれ黒、赤、青、白、黄に対応する)に基づいて、色彩をシンボルとして選択した。五行が自然万物の本源を産出する五種の元素であり、一切の事物の来源がそうであると考え、色彩もまた例外ではなかったからだ。「自らその明が生じ」「始めに白黒ありき」の基礎の下、次第に色彩が天道の自然運動の五行法則と関係づけられた。彼らはまた、春夏秋冬の自然万象の変化に基づいて、服飾、食物、車馬を選択し、住居を変えた。こうして、五色の学説が形成された。

 中国伝統の五色の体系は、黒、赤、青、白、黄を「正色」とみなした。

 黒色は、『易経』の中では、天の色と考えられた。「天地玄黄」の説は、古人が、北方の天空が長時間に渡り神秘的な黒色を呈していると感じていることに由来する。彼らは、北極星を天帝の位置と考えているため、黒色は古代中国において諸色の王であり、中国古代史上の単色崇拝において、もっとも長期に渡った色系だ。古代中国の太極図は、黒白で以って陰陽合一を表している。

 白色は、中国古代の色彩観念中で多義性をもっている。「五行」では、白色と金色を対応させており、それは、中国の古人が白色は光明の象徴だと考えた証である。白色は「正色」に組み入れられており、純潔、光明、充実の本質を表していた。

 赤色は、民間において吉祥喜慶の象徴とされた。

 黄色は中心色で、大地を象徴する色であった。中国には「黄色は陰陽から生まれる」という言い方があり、黄色を色彩の主として崇める。中位にある正統の色で、中和の色であり、諸色の上に位置し、最も美しい色と考えられた。

 青色(緑を含む)は、万物が芽吹く春の日の象徴とされた。

 先秦の時期、中国古代の色彩的シンボルは、多元化に発展する傾向にあった。孔子は、周公旦が著したとされる『周礼』を守るため、黄、青、白、赤、黒を「正色」「上色」と定め、併せて、それらの色を仁、徳、善と結び付け、「礼」の形式中に運用した。周代では赤色を尊んだ。一方、老子は「五色は人の目をして盲(もう)ならしむ」として、道家は黒を道のシンボルとした。

 この時期、色彩のシンボル性が、中国古人が季節と方位を把握する主要な根拠となった。彼らは、四季に色彩と方位を関連付けた。春は青陽で、方位は東、守護神は青龍。夏は朱明で、方位は南、守護神は朱雀。秋は素白で、方位は西、守護神は白虎。冬は玄冬で、方位は北、守護神は玄武。黄色は、古代五帝の中心的シンボルの色彩となった。中国では、黄色には特殊な象徴的意味がある。それは五行の中央に位置し、大地を象徴する色であった。

 紀元前221年、秦の始皇帝が中国を統一すると、先人たちの「観物取象」の伝統に則って黒白を重んじ、「冬の十月を年始とし、色は黒を上とする」とした。そして即位後、服と旗の色を黒に改めた。

 秦朝の後、色彩のシンボルは、次第に色彩装飾の功能へと移り変わり、中国古代の色彩は、絢爛豪華な方向へと発展した。

 漢代以後の王朝では、黄色は金色に似た華やかな色として、皇家専用の色彩シンボルとされ、一般庶民は「赤・黄」の衣服を着用できなかった。歴代の官僚は、階級ごとに異なる色彩の服を着用していた。人々は、赤、黄、青、白、黒の混合色を下五色とし、その内、明るい紫色は、漢代では珍奇極まる色と見なされた。唐代では、紫色は五品以上の官服であり、皇家の好む色として、高貴で上品な色とされた。
注目記事
^