【神伝文化】仁愛の士は天下に敵無し(1)

2007/07/22 18:21
 【大紀元日本7月22日】孟子(紀元前372年?-紀元前289年)は各国を周遊していた時、訪れた斉国で貴賓として迎えられた。あるとき、斉国の宣王(?-紀元前324年)が孟子に尋ねた。

斉宣王: 斉の桓公(かんこう、?-紀元前643年)と晋の文公(紀元前696年-紀元前628年)が春秋時代、天下の覇者になった時の事をお聞かせ願えないだろうか?

孟子: 私は斉の桓公と晋の文公が天下を制覇した時のことを詳しくは論じたくないのですが、もし陛下がどうしてもとおっしゃるならば、道徳を用いて天下を統一する王道についてお話しましょう。

斉宣王: 道徳で、一体どうやって天下を統一できるのでしょうか?

孟子: 何事をするにも常に、庶民が安らかに暮らし、楽しく働けるようにと考えます。このようにして天下統一を行えば、だれも阻止できません。

斉宣王: 私のような者が、庶民を安らかに暮らし、楽しく働けるようにしてやれるでしょうか?

孟子: できます。

斉宣王: どうして、私にはできると分かるのですか?

孟子: 私はこのような事を聞きました。陛下がある日、正殿に座っていた時、牛を引っ張っていく人をご覧になりました。陛下が「その牛をどこに連れて行くのか」とお尋ねになると、その人が「殺して祭りの供え物にするつもりです」と答えました。すると、陛下は「その牛を放しなさい。怯えて、震えが止まらない様子は、見ていられない。罪もないのに死刑に処せられるのと同じではないか」と仰せになりました。牛を連れた人が、「それでは、祭りの供え物はどうしますか」と聞くと、陛下は、「祭りの供え物はなくてはならない。羊を使ってかわりにせよ」とお答えになりました。さて、この一件は本当にあったことでしょうか。

斉宣王: 確かに、そのようなことがありました。

孟子: 王にこのような仁愛の心があれば、天下を統一できます。庶民は、この件を知った後、陛下のことをケチな人だと思っていますが、陛下はケチなのではなく、怯えている牛を可哀想に思われたのだと、私は存じております。

斉宣王: 確かに、そのように思う庶民がいたようです。だが、斉国は大きくはないが、牛一頭をケチったりなどする必要はありません。誠に心から、牛が不憫に思えたので羊に代えさせたのです。

孟子: 庶民が陛下のことをケチだと誤解したのをお咎めにならないでください。彼らは陛下が大きな牛を小さな羊に代えたことしか見ておらず、その中の深い意味を知る術もないのですから。ところで、陛下が罪もない者に同情なさるのなら、牛と羊はどう違うのでしょうか。

斉宣王: 確かに。私もうまく説明できませんが、絶対にケチったのではありません。ただ、庶民がこのように考えたのにも一理あります。

孟子: それは気にしなくてもよいでしょう。陛下のこの不憫に思う心こそ、仁愛と慈悲の表れなのです。陛下は直に牛をご覧になりましたが、羊をご覧になっていません。牛が生きているのを見て、殺すに忍びなく思われたのです。ただ、実際には、羊と牛は同様に可哀想なのです。

 (続く)
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