≪医山夜話≫ (58)

患者からもらった玉子

私の小さい時の話です。ある日、母と買い物をするために街に行きました。そこで、変な歩き方をしている王さんを見かけたので、母は持っていた買い物かごを私に持たせ、「王さん、どうしたのですか。どこか痛いのですか?」と聞きました。王さんは頭を上げて、目の前いる母に気づくと、まるで救いの神が見えたかのように、「先生、この数日は湿気で寒く、体が冷え込んでしまいました。そこにまた豆炭をリヤカーで運ぶ時、いつもより数回多く引いたので、腰をねじって立ち上がれなくなってしまいました。私は医療保険を持ってないし、また旧正月が迫ってきて、病院に行くお金もなくて…」。彼が懐の中から布を取り出すと、中にはほんの僅かなお金が入っていました。王さんは母を見て、ため息をつきながら頭を振りました。

 母は、直ちに王さんを家へ連れてくると、鍼を刺し入れて吸い玉をかけました。しばらくすると、腰を屈めて家に入った王さんの腰はまっすぐになり、王さんは母に感謝の言葉を連発しました。

 数日後、王さんは玉子がいっぱい入った籠を提げて家に来ました。田舎の親戚が持ってきたお土産で、母が治療してくれたことに感謝するためと言って、母に受け取ってほしいと懇願しました。しかし、母が断るので、彼と母は再三に譲り合いました。受け取らないと王さんが怒りそうになるのを見て、母は仕方なく玉子を受け取り、代わりに旧正月のために作った塩漬けの魚を一本、王さんに持って帰ってもらいました。

 あの時代の玉子といったら、一個二個を買ってきて家族全員で分けるくらいの貴重な食べ物でした。一人で丸々一個の玉子を食べられるのは誕生日の時くらいです。王さんがあんなにたくさんの玉子を持ってきてくれるなんて…。私は玉子を見つめながら、うきうきしていました。

 しかし、王さんが帰った後、母はすぐさま私に、「あなたは琴を習っているけど、我が家は授業料を払うお金がありません。この玉子を、あなたの先生に持っていきなさい」と話しました。私はがっかりし、涙を浮かべながら玉子を先生の家に届けました。当時は、一つの特技を身につければ良い将来につながるので、習い事はとても重要でした。

 アメリカに来てから、母と一緒にスーパーマーケットでよく買い物をしますが、玉子の安さには驚かされます。不思議なのは、玉子が変わったのか、私の口が変わったか分からないのですが、小さい時の記憶に残る玉子の美味しさを、どうしても再び味わうことができないのです。母に、王さんの玉子の事を覚えているかと聞いたことがありますが、母はぼんやりとしか覚えていないようでした。

 突然、携帯電話が鳴りました。私の古い患者からで、急性の腰捻挫だと言います。数時間後に診療所まで来るよう、私は彼女に伝えましたが、電話の向こうの彼女は、何か言いにくい事情があるようでした。それとなく聞いてみると、彼女は失業して医療保険も切れており、今はクレジットカードの借金に頼って生活しているというのです。まさに「雨漏りする家に、夜通し雨が降る」という状態でした。最も仕事が必要な今、彼女は腰を捻挫し、立つことさえ困難になり、外出することは更に難しく、職探しなど論外なのです。

 「あまり深く考えず、とにかく腰を治しましょう」と、私は彼女に言いました。

 数時間後、私の治療を受けた彼女は腰痛が軽減し、喜んで帰りました。すると数日後、彼女は籠いっぱいの玉子を持ってやってきたのです。「私が飼っているニワトリが産んだ新鮮な玉子です。私を治してくれたお礼です」

 玉子をテーブルの上に置いた私を見つめて、母は微笑みながら言いました。「私は、もうあなたの将来を心配したりはしないわ。あなたは、身を処することを学んだのだから」

 後記:私は本当に「身を処すること」を学んだのでしょうか。就職と生活のため、私は多くの先生について、いろいろな技能を学びました。過去数十年のうち、私は何度も行きづまるような境地に陥り、多くの苦しみを経験したのですが、人生の苦しみを如何にプラスの方向に向けるのか、身に付けた技能は私に教えてくれませんでした。今、法輪大法を修煉している私に、師父は身を処する道理を教えてくれました。生命はどこから来て、どこに行くのかを教えてくださいました。師父を思い出すたびに、私の心の底から一種の、言葉で表現できない神聖な気持ちが溢れてきます。それは、内心からの尊敬と感謝の気持ちです。生々世々を転生し、待った末にやっと生命の永遠の帰着点を探し当てたのだと私には分かっています。
 

(翻訳編集・陳櫻華)≪医山夜話≫ (58)より