皇后埠頭取壊し反対、抗議者ら一斉強制連行=香港

2007年08月04日 08時04分
 【大紀元日本8月4日】昨年11月に香港・新中環埠頭が使用開始されたことから、香港政府は、古い皇后埠頭(Queen’s Pier)および天星埠頭の取り壊しを決定した。これに反対する活動は、既に4月から始まっている。7月27日午後から、さらに無期限断食を行う地元抗議活動家を含み計3人の住民らが、皇后埠頭内で座り込み、抗議を行った。香港政府が抗議者らに与えた撤退期限である7月31日に、香港当局は300人の武装警察を出動させ、現場の抗議者らを強制連行した。情報筋によると、抗議者らが提訴した皇后埠頭取壊し中止の司法再審は、8月7日に高等裁判所にて行われるという。

 *香港政府、中共の言いなりに

 香港政府は、法的手続きが進行中にも係わらず、皇后埠頭現場の抗議者らに対し、強制的に追い払ったことで、何度も市民の強い非難を受けた。今回の強暴なやり方は、香港当局が中国共産党国家副主席・曽慶紅氏の強要下で、7月1点xun_ネ前に合法な書類を取得した500人余りの台湾法輪功学習者を、香港空港で強制送還した事件に次ぐ大型の暴力的行動であると非難された。

 香港当局は現場に貼り出した告示では、抗議者らが政府用地を占領したことに対し、現場を整頓する為という理由にしている。これに対し、独立メディア関係者が弁護士の言葉を引用した関連法例によると、警察は現場にある物件を取り除くことはできても、現場にいる人を追い払う権利はないとしている。その理由は、皇后埠頭は公共の場であることから、誰もが埠頭に入る権利があり、埠頭は工事現場と見なされても、支援者が埠頭内のエディンバーグ広場および駐車場に入ることができると報道した。警察が広い範囲にわたり人々の進入を封鎖したこのやり方には、問題があると指摘した。

 皇后埠頭は1925年に建築され、植民地時代には英政府高官および英女王を含む皇室の専用埠頭であった。歴任香港総督が就任する際には、必ず船で皇后埠頭から上陸し、エディンバーグ広場(Edinburgh Place)にて歓迎および閲兵式典を行った。実際、1997年香港返還儀式の時や、英チャールズ皇太子および最後の総督等英国高官らが撤退した際も、皇后埠頭から乗船して香港を離れたという歴史的価値のある古跡といわれる場所である。

 法曹界関係者は、埠頭の問題は現在司法による再審中であり、政府の今回の行為は極めて理不尽であると指摘した。実際、抗議する抗議者側の弁護士が現場に入ることも警察に断られたという。

 *警察が現場突入

 8月1日午前11時、大量の機動隊が皇后埠頭に突入した。埠頭を守ろうとする十数人の抗議者らは腕を組み、互いに離れないように自転車のチェーンで隣同士をしっかりと縛りつけて座り込み続け、時々歌で励ましあった。地政総署関係者は、3度にわたり拡声器で、期限が切れたことと撤退を呼びかけ、強制連行を執行することを示唆した。一方、機動隊は現場に到着してから埠頭周辺を封鎖し、多くの消防車も現場に出動し警戒した。

 抗議者らが強制連行された同日夜、香港土木建築開拓署および建築業者は現場に入り、囲い作業が行われた。一方、抗議活動家らは次の行動を計画することを示唆した。
皇后埠頭(大紀元)


時事評論家の黄毓民氏は声援のため現場に駆けつけた(大紀元)


警察が抗議者の強制連行を実行している時に、近くに中共高官と見られる人物が見物しており、香港側の総監督が彼らに対して状況報告している様子(大紀元)


皇后埠頭で最後に強制連行された抗議者・林輝さんはチェーンで自分を埠頭の柱に縛りつけた。警察は最後に林さんの首に掛かっているチェーンを切り取り、7~8人の警察が林さんを担ぎ出た(AFP)


100時間以上断食した抗議者・嶺南大学文化研究部学生の陳景輝さん(赤色の服)は警察に強制連行された(テレビ報道より)


100時間以上断食した抗議者・芸術関係者の陳婉児さん(白い服)は非常に衰弱しており、スローガンを叫んだ後、失神したため、救急車に担ぎこまれた(テレビ報道yり)


8月1日午前大量の警察が皇后埠頭に突入し、抗議者らを包囲した。抗議者らを一人ずつ強制連行した。抗議者らはスローガンを叫んだが、抵抗はしなかった。(大紀元)


大勢の市民は7月31日夜から8月1日朝方まで、埠頭で応援に駆けつけた(大紀元)


皇后埠頭に貼り付けられている抗議スローガン(大紀元)


埠頭を堅守する抗議者(大紀元)


8月1日午前大量の警察が皇后埠頭に突入し、抗議者らを包囲した。埠頭を守ろうとする十数人の抗議者は腕を組み、互いに離れないように自転車のチェーンで隣同士をしっかりと縛り付けて座り込み続け、時々歌で励ましあった(テレビ報道より)



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