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【乾坤に生きる】「自然」へ帰った詩人・陶淵明 C

 【大紀元日本12月22日】 詩を語らずして、漢民族は語れない。

 屈原は憂国の激情をうたったのち、汨羅の水に身を投げて死んだ。王維はひとり幽篁のなかで瞑想し、李白は大酔して仙界に遊んだ。杜甫は老病と孤独のなかで、憂愁の情をただ自詩に託した。

 しかし中国の詩人は、その作風がどうであれ、現実の社会や政治の世界から乖離して存在することはありえない。

 陶淵明を「自然詩人」とか「隠者」とよぶのは、おそらく表面的な理解の結果でしかないだろう。三流貴族の出身である彼は、もちろん官人としてそれなりに昇進することを望んでいた。しかしその希望はかなわず、下級官吏の職を断続的に続けていたが、しだいに政治や官僚の世界に失望し、いつしか彼は田園に
陶淵明・『晩笑堂竹荘畫傳』より
帰ることを望むようになる。

 あるとき陶淵明が彭沢県の県令であったとき、上級である郡から査察官がくるので衣冠束帯のうえ跪拝して出迎えよ、と命じられる。聞けばその査察官とは同郷の若僧であるという。陶淵明の屈辱感は頂点に達し、「われ五斗米の為に膝を屈して郷里の小人に向かう能わず」として、県令の職をわずか八十日あまりで即辞して田園に帰った。

 ここで言う「五斗米」とは、五斗の米という実数ではなく、県令の安い俸給のことを指す、と通常は説明されている。

 一般に中国史における県令とは、官吏としては低級であるため正規の俸給は少ないが、その分、地元の有力者とのつながりがあり、実質的な見入りは相当あるといわれている。このとき陶淵明は、すでに出世への望みもなく、官界を離れて隠棲するつもりであったから、そのための蓄えのつもりで県令職に就いたらしい。

 陶淵明の実質的収入がどれほどであったか知る由もないが、彼が吐き捨てた「五斗米」云々の言葉は、ただ単に「安い俸給」や「自分への不当な待遇」への不満を指しているのでもなさそうである。

 では、何を指しているか。おそらく彼が最も嫌悪したのは、沈殿した汚泥のような俗吏の世界であろう。そこにはもはや尭・舜・禹を理想とする清廉な政治など一片もない。しかも長幼の序を重んじる儒教の秩序も捨てて、「郷里の小人」に膝を屈しなければならないとは。

 「竹林の七賢」ほどの迫力はないが、陶淵明はここで、目の前の理不尽に対して明確な拒否の態度を示すとともに、その汚泥のなかにいたそれまでの彼自身とも決別した。(続)

(07/12/22 08:31)



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