現代人の修煉物語 末期肺がんからの生還

2007年12月12日 07時06分
 【大紀元日本12月12日】私の父は今年65歳で、数年前に退職した。退職する前は、ある町工場の管理者だった。1994年8月、父は息切れを感じ、歩く力もなくなり、体調が急に悪くなった。私は父を自分が住んでいる都市に連れてきて、大きな病院で検査をしてもらった。すると、肺がんと診断され、一週間後に手術をすると医師から言われた。

 手術予定日の2日前に、3カ所に出した病理組織の検査結果が返ってきた。結果はみな同じで、極めて悪性の「小細胞肺がん」だった。手術の担当医は、この検査結果を見ると、「手術をする必要はない。恐らくすでに全身に転移している。お父さんを連れて帰って、残りの時間を楽しく過ごさせてあげなさい」と言った。仕方なく、私は父を実家へ送り返した。

 その後、化学療法を施し(化学療法で父の髪の毛は全て抜けた)、さらに民間療法の薬や外国からの輸入薬など様々な治療法を行い、医薬費はあっという間に2万元を超えたが、父の病気は見る見るうちに悪くなり、翌年の夏には、もう食事も食べられず、ベッドから下りることも困難になった。

 1995年6月、私は法輪功の修煉を始め、1カ月後には、長年苦しんでいた重い慢性肝炎、慢性腎炎が全てすっかり良くなった。そこで、父にもこの修煉法を薦めようと考えたが、末期がんの患者に効果があるかどうか、確信がなかった。妻に相談した結果、一応この修煉法を父に紹介して、修煉するかどうか、本人に任せることにした。

 1995年7月、私は実家に電話した。その時実家にはまだ電話がなかったので、隣の家に電話して呼び出してもらった。電話に出たのは姉だった。姉は、父に法輪功を学ばせたいという話を聞くと、「あなたは心配のあまり、気が変になったんじゃないの?すでに葬式の準備をしてあげている人に、この気功、あの気功なんて言っている場合じゃないでしょう」と私を叱った。それから、おばさんが電話口に出て、「もうあれこれ言うのはよしましょう。残りの僅かの日を静かに過ごさせてあげましょう」と私に言った。

 私はおばさんに、「私はこの修煉法を父に紹介するだけで、修煉するかどうか、本人に決めてもらえば良いでしょう。もうここまで来たんだから、最後のチャンスを与えてあげてもいいんじゃないですか?」と話した。私の再三の要求に、やっと父を電話口まで連れて来てくれた。私は電話口で父に、法輪功の特徴と自分の修煉体験を手短かに紹介した後、修煉したいかどうかを父に聞いてみたところ、父は「修煉したい!修煉したい!わしは法輪功を修煉したい」と立て続けに何回も話した。回りの家族は、父に止めるよう説得したが、誰が何と言おうと、父はまったく聞き入れず、結局、翌日姉のご主人が父に付き添って私の家に来ることになった。

 翌日の午後1時ごろ、父と義理の兄が私の家にやってきた。見たところ、父の精神状態は思ったより元気だった。家に着くと、一休みすることもなくすぐにお昼ごはんを食べた。父は明るい表情で、ご飯とおかずをたくさん食べた。義理の兄は驚いた様子で、「本当に不思議だ!もうだめだと思っていた人が、あなたの電話を聴いて法輪功を学びたいと言ってから、すぐ別人のように変わった。元気も出たし、動くこともできるようになり、食事も食べられるようになった。今日は、300キロも移動したのに、疲れた様子がまったく見えない」と話した。

 そして、父は、「昨日お前の話を聞いて、わしは『法輪功を修煉したい』と話したら、すぐ体が楽になり、力も湧いてきた。今日は長い間車に乗ったのに、まったく疲れを感じなかったよ。この修煉法は、本当に素晴らしい」と話した。

 その後、父は法輪功の煉功方法を学んでから、法輪功の本と録画ビデオを持って故郷に帰った。

 それから2ヵ月後、私が再び帰省した時には、父はすでに畑仕事ができるようになっていた。1年余り消えていた笑い声が、再び我が家に戻っていた。死神の手から逃れて生き返った父の物語は、故郷の数十キロの範囲に伝わり、多くの人々がこれを機に法輪功を修煉し始めたという。

(文・和之/翻訳・文子)

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