【神伝文化】 謹厳実直の下臣は、国の宝

2007/12/09 00:36
 【大紀元日本12月9日】下臣は君主の過失を正し諫めるのを己の任とし、主君は虚心にそれを受け入れて心から過ちを正す、これが正常な君臣の関係だ。后魏の大臣・古弼(こひつ)と太武帝が正にその一例だ。古弼は謹厳実直こそが忠を尽くし責任を全うすることだと考え、太武帝は彼を国の宝だと珍重した。

 古弼は后魏時代の郡令だ。小さいときから正直温厚で慎み深く、剛直であったことから、明の元帝は「筆」という名を贈った。筆のようにまっすぐで才能があるということだ。ゆえに人々は、彼を「筆公」と尊称した。後に、補佐の才能があることから、「弼」(補佐の意)と改名した。

 太武帝の即位後、古弼は功績により侍中、吏部尚書などの職を歴任した。ある時、王室の狩場が大きすぎて民衆の田畑を占有しているから、これを民衆に返還すべきだという上書があった。

 古弼は内参してこれを皇帝に上奏しようとしたが、皇帝は劉樹を相手に碁打ちに興じて、彼の諌言を聞こうともしなかった。

 古弼は、近辺に座ってじっと待っていたが、話す機会さえなかったので、ついにやおら立ち上がると、劉樹を責め立てて、「皇帝が政治を顧みないのは、おまえのせいだ!」と叱責した。

 皇帝は色を失い、碁石を手放すと、「あなたの言うことを聞かないのは、私の過失だ。劉樹には罪はない。放してやりなさい」と言った。

 古弼が上奏の事情を話すと、皇帝は、彼がかくも正直なのに驚き、彼の上奏にすべて同意して、田畑を民衆に還すことにした。

 古弼は、「臣下として君主の面前で粗暴な振舞いをしたからには、無罪であるはずがありません」と述べ、帽子を脱ぎ素足で法廷に行って、自ら罪を請うた。

 皇帝は彼に会見すると、「靴を履き、帽子を被りなさい。私は、臣下の職務は謹厳実直で忠誠を尽くし、仕事は公正であるべきだと聞いている。これは、神が君主に与えた果報だ。ならば、あなたに何の罪があると言うのか?これからも、国家に有利で、一般民衆のためになることは、どんなに唐突であっても、思うとおりにすればいい。遠慮することはない」と言った。

 太武帝は、あるとき河西地区で猟をすることにし、獲物を追い込む騎馬兵に肥えた丈夫な馬を与えるよう命じたが、古弼は逆に痩せた弱い馬を彼らに与えた。太武帝は、これに大層怒り、京城に帰ったらまず真っ先に古弼を殺すと言った。

 配下の役人はみな殺されるのかと恐れたが、古弼は彼らにこう言った。「猟の件は小さい罪だ。もし辺境で外敵の侵害に遭ったとしたら、それこそ大罪だ。だからこそ、もしものことに備えて、肥えた丈夫な馬を全て軍隊に当てたのだ。国家にとって役に立ちさえすれば、自分は死刑に処されても甘んじて受ける。これは、自分ひとりで責任を取る」。

 皇帝はこれを聞くと讃嘆し、「こんな臣下は国家の宝だ!」と、古弼に多くの褒賞を賜った。

 またあるとき、皇帝は山の北側で猟をして、多くのヘラジカを倒したので、それを運ぶために、百姓から牛車を50台調達してくるよう命じた。

 しばらくして皇帝は、お付きの者に、「筆公は決して牛車をよこしはしないはずだ。お前たちは馬で運んだほうが速いだろう」と言った。

 数百里戻ったところで、果たして古弼の上奏が届き、こう書いてあった。「今秋の秋は穀物がよく育ち、麻や豆がよくできましたが、猪や鹿が喰い荒らし、鳥が啄み、風雨の被害もあるので、急いで収穫しなければなりません。どうぞ、百姓たちが穀物の運搬ができるよう、お慈悲をかけてやってください」。

 これを見た皇帝は周りの者に、「私が言った通りであろう。筆公は本当に、国家を思う下臣だ」と言った。

(翻訳・太源)

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