THE EPOCH TIMES

「神韻芸術祭」を観賞した「中国最後の大右派」へのインタビュー

2008年01月26日 10時17分
【大紀元日本1月26日】「中国最後の大右派」と呼ばれ、少女時代から芸能活動をしてきた林希レイ(令+羽)氏は、この度四度も「神韻芸術祭」を観賞した。07年クリスマスの前夜、ニューヨークで「神韻芸術祭」を鑑賞した後、林氏は深い感銘を受け、未来に対する希望が蘇り、悲惨で痛ましい人生に新しい生命を注ぎ込まれ、以来良い影響を受け、日々高まり続けていると感じている。1週間後、林氏は明慧・荷雨記者の取材を受け、胸の内を率直に述べた(以下は録音に基づいて整理したものである)。

 
2007年12月24日、林希レイ氏は再度「神韻」を鑑賞した。

私の両親は30年代の「上海派」の京劇のファンで、父は良いのど(声)を持っていた。私は幼時、父の首につかまって梅蘭芳の劇をよく観ていた。母は「書香門第」(インテリ家系)の家に生まれ、音楽の教師、作家であった。私は小さいときからよい芸術の影響を受け、13歳から軍隊の文工団(芸能の演出団)に参加し、さまざまな楽器を演奏したり、歌ったり、脚本を作ったり、監督をして、何にでも精通し、多芸多才であった。中国では、私は無数の国内外の名優の公演を見たことがあり、また海外へ出てから、パリ、シドニー、ウィーンなどでも多くの国際的に一流の公演を見てきたが、「神韻芸術祭」には私はかつてないほど心を揺り動かされた。

 「神韻」はめったに見られない「天人合一」の「調和美」を完璧に表現

 私はずっと「神韻」にどういう魅力があって、何回も自分を鑑賞に駆り立てたのだろうかと考えた。そしてどうしてこのように深く私の魂を打つことができるのだろうか? 直感的に、それは天上と世間の素晴らしさのすべてを表しているからだと思った。

 荘厳、殊勝な天国の神界、立派で堂々とした清王朝の庭院から、正義と邪悪が競う現代中国まで、色とりどりの旗の舞う大唐の戦場、花がいっぱい咲き乱れる江南の水郷から、さらに西方のセレナーデの中の夢幻の故郷まで……。「神韻」のハイテクの3次元のアニメーション大型スクリーンが作りあげた風景と境地は、人々の視覚を完璧なまでに楽しませ、観客を素晴らしい時空の文化の旅へといざなった。

 「万の王が世に降りる」という演目の中、主佛(宇宙の支配者)は天馬の車を駆り、大窮から降りた。大きな翼を羽ばたかせて頭上をひゅうひゅうと音を立てながら通り過ぎた天馬が、まるで私の心の中に入ってきたかのように、主佛が世に降り、慈悲深く世人を救われることに希望いっぱいであった。「後羿、太陽を射る」の中、9羽の怪鳥が、次から次へと天空に飛びたち、炎熱の太陽に化し、万物はその強い日差しに焼き焦がされ、甚だしい苦境に陥った。臨場感溢れる交響曲の響きの下、大難が来て逃げ場のない末日の恐怖が一層如実に表現された。「嫦娥奔月」の中の広寒宮、あんなにもさわやかで、いかにもそれらしい……。これらの聞き慣れている神話がどのようにしてこんなにも完璧に表現できるのか、とても想像することはできない。

 以前は、私は「天人合一」に憧れ、「天人合一」を召喚したかったが、「天人合一」は私の夢の世界の中でますますあいまいになっていった。「神韻芸術祭」の中では、天山の下、こんもりとした森林、緑の芝生、卵色の長いスカートでしなやかに舞う純潔な少女、颯爽として誠実で親切な美少年、これら自身が素晴らしい西域の風情の絵ではないか。雪で真っ白な長白山、青々として幾重にも重なり合う耕地、まばらな独特の趣のある家屋、歌も踊りも上手な朝鮮族の男女が神の慈悲と人々にもたらす吉祥とよろこびを謳歌している……。「神韻」はめったに見られない「天人合一」の「調和美」を表現している。

 「神韻」は人間性の中の最も素晴らしいものを呼び覚ましている

 一人の二胡の演奏者、鑑賞者として、私は二胡の演奏家・戚暁春氏の「苦度」を最も推奨する。それはかつて一度も聞いたことがない、人の魂を貫き、感動させる二胡である。以前、私自身が演奏するのが最も好きだったのは阿炳の「二泉映月」と劉天華の「病中吟」であったが、戚暁春氏の「苦度」の中から「慈悲」という一つの語を感受した。それは言語で言い表せない、世の中を超越したもので、世間のすべての苦しみを解き放し、救おうとする洪大な慈悲と配慮なのである。戚暁春氏が演奏した「苦度」は古今の二胡の曲目を凌ぐ逸品である。

 また、観客に「天音」とも言える上品な音楽を提供する作曲、指揮、楽団、誠実な心で観客と交流する最も素晴らしい男女のテノールあるいはソプラノ、舞踊で真・善・美を伝えている純粋な若者たち、そしてあの高尚・上品で、ユーモアに富む優しい、とても息の合う司会のコンビ、…… このすべては、私に敬服、敬慕の念を抱かせるのである。

 「神韻」は東方と西方の伝統文化の精華を伝承し、さらに新しい真の人類の文化を創始している。「神韻」は人間性の中の最も素晴らしいものを呼び覚まし、昇華していくよう導いている。

 「神韻」は私の悲惨な人生に光を射した

 「神韻」に対して、私が最も深く感動したのは迷いの中で人生の真諦を探し求め、苦難の中で喘いでいる生命への慈悲なる導きである。関貴敏氏が歌う「私は誰」は煽情的なニュアンスが全然なく、実に穏やかで誠実なものである。 「天地が茫茫として、私は誰だろう、何回輪廻転生したのか分からない。苦難の中で迷い、どうにもならない、期待の心はこんなにも疲れるのだろうか……」。心の底からの訴えと交流は、中国共産党に半世紀近く迫害されて麻痺した私の心の扉を少しずつ開けてくれた。

 私は若い頃から中国共産党に「右派」のレッテルを貼られて、15年間の牢獄生活を強いられた。その後やむを得ず海外に亡命した。両親、息子、妹の娘……私の最愛の人はすべて中国共産党に迫害され亡くなった。私自身も九死に一生を得た。わずか18歳で最も心から愛した息子の惨死は、中国共産党によって法輪功に罪を着せることに利用された。私はその時道義感から息子の死が法輪功と関係がなく、中国共産党こそが息子を殺した黒幕だという厳正声明を発表し、中国共産党こそが最大の邪教だと指摘した。白髪の人が黒髪の人を送るのはこの世で最大の惨事であり、私の心をこの上ない苦痛と暗黒の闇に閉ざしてしまった。私は法輪功が中国共産党によりひどく迫害を受けていることを知っていたが、中国共産党の嘘に騙され、ずっと何となく真相を知るのを避けてきた。法輪功問題は私のタブーであった。

 とても長い間、私はずっと苦痛の中でしきりにもがいて、わずかな力でサタンのような中国共産党と抗争してきた。以前はキリスト教徒だったが、それでもどうしようもないと感じ、個人、社会の前途に対して望みがないと感じ、失意のどん底にあり、時には苦痛で生命を放棄しようかと考えたことさえもあり、でもそのままでは心に不満が残る……。「神韻」を見てからすべてが変わった。

 あれは何という芸術祭だろうか、天上、世の中の素晴らしさと光明をすべて現し、正義が最終的に邪悪に勝るという希望と未来をすべて如実に現し、人の生命の出所、落ち着く先と回帰の道をすべて明示した。それによって私は引き付けられるように何回も鑑賞し、心で見聞き、魂で感じ取るようにした。抑えられない涙が私の心の傷を癒し、心の中の恨みを洗い流し、生命の中で最も素晴らしい要素―慈悲と寛容で心を補ってくれた。「神韻」はもともと悲惨で痛ましい私の人生に光を照らし始めた。

 『神韻』は正義が必ず邪悪に打ち勝つ希望を現した

 迫害された経験から、私はより深刻に迫害されている法輪功学習者の苦しみを感じ取ることができる。しかし、法輪功学習者は中国共産党の8年にわたる残酷な迫害に耐え、ずっと信念をしっかりと守り、中国共産党に妥協せず、自身の苦難を乗り越えて、依然として世間の人に心配りと愛を与えている。彼らは自分たちの力で、このような高レベルの芸術祭を開催して、このような素晴らしい芸術の形式で世間の人に真相を伝え、良知を呼びかけ、望みと光明を広めている。この壮挙は決していかなる政治的、経済的利益からも達成することができないもので、「真・善・忍」への信仰の力こそが成し遂げられるのである。

 私は芸術祭の最も人の心を揺り動かす演目は「覚醒」だと思う。それは完璧に「正義が絶対に悪に打ち勝つ」という真理が現れているからである。その中から、私はだんだん多くの人々が目覚め、勇敢に立ち上がって正義を守り、「真・善・忍」の真理に追随しているのが見えた。 特に最後に「真・善・忍」の修行を積む舞台上とスクリーンの中の煉功者とが一つになって、全宇宙へと広がっていくシーンがあった。これは私の見た最も美しい一幕であり、明るい将来を現しており、また現実の反映でもある。思わず感激の涙がほとばしって、「真・善・忍」に満ちた社会こそが本当に調和のとれた社会であり、法輪功学習者の「真・善・忍」への堅持は人に新しい望みと生命力を与えると感じたのである。

 「神韻」は人に真相と真理の追求を啓発

 私の気持ちが芸術祭への陶酔と感動から冷静になってから、再度芸術祭のプログラムを見たとき、芸術祭の歌詞「真相は寛大な救いであり、真相は最後の望みと未来……」という言葉に強く共感した。

 以前キリスト教の排他性のため、当時友達が『転法輪』(法輪功の基本的なテキスト)を送ってくれた時、私は読むのを拒んだ。更に中国共産党の天地を覆い隠すほどの誹謗と中傷のため、かつて法輪功に対してマイナス面の見方を持ち、甚だしきに至っては真相不明な中で多くの間違った発言をした。しかし「神韻」は徹底的に私を変えて、私に自分の過ちを気づかせてくれた。この純粋な鏡に照らして、私は人間の歴史的制限と生命の制限を知り、知らなければ知ったふりをしてはならず、知らなければでたらめを言ってはならず、更に中国共産党のごろつき政権の誹謗、中傷を信用してはならないと思い知った。私の大学の専門は法律で、また一生中国共産党に誣告され罪に陥れられてきた。しかし、法輪功の問題において、私自身は中国共産党の嘘を軽々しく信じてしまい、間違った事をした。したがって、自分の残った人生で法輪功の真相を知り、世間の人々に私の知った真相を伝えたいと思った。今巨大な中国共産党からの脅しと、真相を知らない友達からの圧力に直面しているが、私は正々堂々と本当の話をし、良心の選択をすることを決心した。

 私はもともとよくけちをつける人間だが、「神韻」の純真、純善、純美に私は感動し、心から賛嘆した。神韻芸術団との協力でもって光栄とする世界のトップクラスの芸術団体、人種、職業、性別、年齢に関係なく観客からの惜しみない心からの賛美と推奨、中共政権のかつてない打撃の下での光り輝く成功……。このすべては私にこう深く意識させた、「神韻芸術祭」は決して人間の境地で成し遂げられるものではないことを。広範囲の人の心に対する芸術祭による浄化と善に向かわせる作用から、私は更に神の意志を見た。「神韻」は確かに天から来て、天国からの福音である。

 私は「神韻芸術祭」を通じて真相―法輪功の真相、法輪功の迫害された真相、人生の真相、生命の真相―を伝え、真相を探索し真理を求めることを啓発してくれた法輪功にとても感謝している。私には今一層真剣に法輪功のことを知ろうという奇妙な衝動がある。自分は「神韻芸術祭」の大きな受益者だと感じ、慈悲なる神が私の晩年に私に機会をくださり、この世の中で最も殊勝、最も素晴らしい芸術を鑑賞させ、私に真理を見つける機会を与えてくださったことに限りない感謝の意を表したいと思う。

 以前、キリスト教に入った時、洗礼を受けたことがあったが、あれは水による体への洗礼であった。「神韻芸術祭」がもたらしたのは魂への洗礼である。

 ○林希レイ(令+羽)、1935年生まれ、13歳で軍隊の文工団に入団、1953年中国人民大学法学部に入学、かつて「中国青年報」特派員を務めた。57年「反右派」の運動の中で、毛沢東自らの指示で、大学生の中で典型的な「大右派」のレッテルを貼られて迫害され、15年間投獄された。1997年中国共産党が右派への名誉を回復する際に、_deng_小平が明確に林希レイ、章伯鈞、羅隆基、安平と陳任炳の5人は名誉の回復ができないと指示した。林希レイは1983年、フランスに移住し、現在米国に居住。今のところ、5人の「大右派」の他の4人はすでに亡くなっており、林希レイは「右派の生きた化石」とも呼ばれている。

 ○神韻芸術祭…4大陸70都市220公演を超える世界トップレベルの芸術祭典。中国伝統文化の復興をテーマに、古典舞踊と最先端のデジタルスクリーンの美しい映像で世界中を感動の渦に巻き込んだ。日本公演は、2月12日の東京公演を皮切りに、名古屋・大阪で上演される。日本公演の詳細は、http://www.ntdtv.jp/gala/ か、または、各チケットコールセンター、東京(電話03-6380-6131)・名古屋(電話052-822-0280)・大阪(電話06-6967-2629)まで。

(記者・荷雨、翻訳/編集・金本)


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