THE EPOCH TIMES

【ショートストーリー】盲目の楽士

2008年02月12日 01時16分
 【大紀元日本2月12日】話は、隋朝の大業年間にまで遡る。

 その王位を先代の文帝から継いだ煬帝は、即位後に一転贅沢を好むようになり、詩歌を草する風流人であった一方で、残酷な刑罰をも復活させ、民の恨みの声も届かず、政局は混迷の道をたどろうとしていた。

 そんな時に、当時の都である長安の宮廷内に馬小国という若くて有能な楽士がいた。胡琴の類はもとより、特に箜篌(くご)の演奏に優れ、楽団の中でも「天下の馬の弾ずるや、飛ぶ雁も降りて、その音色を聴く…」ともてはやされた。

 馬は、若くして結婚していた。同じ楽団の楽師仲間であった趙偕老の娘・紅雀である。妻の紅雀は、その家柄もあってか、馬のもって生れた才能と生業には理解があった。そして、常々夫が、「自分には、何かが足りない…技術以外の何ものかが…」といって悩んでいるのを気にしていた。

 紅雀は、大業年間のある年に夫の小国に、旧暦の七月七日に一緒に孔子廟に詣でようと申し出た。その日が夫の誕生日だったので、馬一族の霊廟にも参る意味も兼ねて、諸精霊の導くところがあれば、と女の直感が働いたためであった。

 夫婦は、月の美しい亥の刻に廟を訪ねた。紅雀がふと天空を見やると、一閃の流れ星が見えた。「ほら、馬!流れ星よ…きっと何かいいことがあるはずよ」。夫婦が人気の無くなった夜更けの廟を念入りに参って、山門を出ようとすると背後から呼び止める声がした。

 郭陵と名乗る、廟の主である老人であった。

 郭 「…生死の分かつところ、これ如何!?」
 馬 「…生死の分かつところ、これ天命なり…」
 郭 「…天命、これ如何?」
 馬 「…これ人の性なり…」

 郭は、何か合点がいったのか、しばらく廟の中に消え入ると、何やらの一書を携えてきた。

 馬は、仰天した。「…こ、これは楽曲の編曲によって天地を収める…経世済民の書・・・楽経ではありませんか?」。馬は、この幻の書が自らに授けられたことに運命を感じた。

 郭は、「…ああ、大業の駿馬の疾走するや 子には寂しく午には激しく…その丹心の天をうつや、民を救わんと欲すれど、これ時を得ず…」といって闇夜に消え去った。

 馬は、紅雀と夫唱婦随で、楽経の習得に励んだ。すると、数カ月もして、不思議な現象が生じるようになった。馬が編曲した「辰巳の風」を胡琴で弾ずると、実際に東南の風が吹くようになったのだ。「う~ん、これはすごい。実際に地象が顕れるようになった。しかし、どうして天象が顕れないのか?」

 そんな折、長安の街中の風聞を聞いた皇帝が、馬を宮廷に呼びつけ、「辰巳の風」を楽奏するよう命じた。

 馬は、心機を落ち着けると、神経を指先に集中して箜篌の弦をつま弾き始めた。すると、噂通り辰巳の風が吹き始めたではないか。諸候の驚きをよそに、馬は「…これだけにとどまりませぬ。今度は、北方より雁を呼び寄せまする…」というなり、「冠水の雁」という楽曲を奏し始めた。すると、北の方角より雁が飛来して宮廷の中庭に降り、この音を聞きいったではないか。

 演奏が終わり、馬が恭しく諸侯に一礼すると、この演奏を苦々しく聞いていた皇帝をよそに、諸侯が次々と質問を浴びせた。馬は、「…もとより、孔子廟で楽経を授かり、その習得に努めましたところ、地の象が応えるようになりました…しかし、まだまだ足りません。天の象が見えるようになりまして初めて、楽士として成道したといえましょう」と言って宮廷を後にした。

 馬が「辰巳の風」の編曲を完成させてほどなく、楊玄感らが謀反の罪で逮捕され、九族が斬首された。同時に馬自身も疑いの目をもって宮廷に召された。王は、「怪しい妖術を使う一派に相違ない。才能ある宮廷の楽士だと認め、命だけは助ける…しかし…」と言って、公衆の面前で焼き鏝を使い、馬の両眼を焼いてしまった。王は、馬の視力が失われたのを見ると、「…既に、国内の楽経は幻惑の書として禁令とし、焚書の処分とする。関係者は皆斬首せよ!」と厳命した。

 馬は落胆した。既に、経文を手にすることもなく、見てもかなわない境遇になってしまったからだ。そんな夫をまた励ましたのは、妻の紅雀であった。「…何も落胆する必要はないわ…経文は、私の頭に全て暗誦されて既に入っていますから」と言った。馬は、再び天命を全うする決意を新たにする。

 それから数年後、馬家の周囲で、老百姓らから怪しい風聞が立つようになった。毎晩、亥の刻になると、辰巳の風が吹き始め、馬家自身が青白く光り、双竜が昇天するというのだ。

 政局が混迷化する一方の王室は、これまた妖術使いの連中が国内をかく乱しているに相違ないと、酒池肉林三昧の自らの政道を恥じることもなく、また再度人身御供をしてやろうと、盲目の馬を宮廷に招聘した。

 馬は、前回のことがあったのに、そのようなことは億尾にも出さず、何かを悟り覚悟したのか、実に堂々としていた。そして、王の望み通り、自らの新しく編曲した所を演奏し始めた。すると、ほどなくして、天に青と白の鳳が一対飛来し、巨大な龍神が宮廷内に飛んで来ると、諸侯らに捲きついて縛りあげ、その巨大な赤々とした口が王の面前に迫ったではないか。そして、演奏の中盤「激震来感」まで来ると、宮廷を大地震が襲い、その王族の肝胆を大いに冷やし、その寿命を縮めたようであった。

 泡を吹き呆然自失とした諸侯をよそに、馬は「…視力を失った御蔭で、経文の真意に迫ることができました。人工の暗闇の中で、私は天の気、地の精、人の神に触れることに成功しました。この曲は、その集大成です…この音色には天地の神々が呼応して国士は立ち上がり…三才が新しくなり、中央の非道は正道に還ります…既に、本王朝の寿命は潰えました…」というなり、静かに宮廷を後にした。

 馬の演奏後、宮廷の上空には、子の刻になると火の柱が三日三晩立ったという。この怪奇現象を案じた王は、既に身の危険を感じて都を離れていた馬夫婦に追手を出し、これを暗殺した。しかしその後、李密らの反乱によって王自らも都落ちし、江南の地で暗殺されるに及び、隋朝は潰えた。
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