THE EPOCH TIMES

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(15) 「苦難の逃避行」

2008年02月10日 09時33分

 苦難の逃避行

 父たちが行った後、学校では授業がなくなり、子供たちは外へ出ないようにと言われました。開拓団本部の若い男の人たちはみな前線に送り込まれ、残ったのは、団長と年配の男の人たち、それに女・子供だけでした。

 ここ数日、団長は一軒一軒回り、何か聞いてはノートに書き取っていました。そして、いつでも命令があればすぐに出発できるよう準備しておくよう、伝えました。ある日の夜、飛行機が開拓団本部の上空を飛んで行くのが見え、照明弾も見かけました。

 母は、私と弟たちの服に「お守り」を縫い付けてくれました。それは、日本を発つ前に祖母が神社でもらってきたものです。母は、大切な物を全部リュックに入れ、私たちにはわざわざ、紐付きの柔らかいゴム底の靴と、簡単な荷物と着替えの服、それに、途中の食べ物も用意してくれました。荷物は開拓団のトラックが運んでくれることになっていました。母はさらに、水筒二つと夜道を照らす懐中電灯も用意しました。

 しかし、母はもう妊娠六ヶ月なので、そんなにたくさんの荷物を持ち、幼い弟たちの面倒を見るのは、本当に大変でした。そこで私は、母と相談して、荷物を分けることにしました。私が小さなかばんを一つ背負い、一番上の弟の「一」の手を引き、水筒を一つ背負うことにしました。母のほうは、一番下の弟「力」を背負い、二番目の弟「輝」の手を引き、さらに、大切なリュックを手に持たなければなりませんでした。

 私たちがちょうど相談しているとき、誰かが訪ねてきて、今晩命令があるかもしれないので、いつでも集合して出発できるよう準備しておくことと伝えました。母は私たちに、集合のときには起こすから、今のうちにちゃんと服を着てから寝ておくようにと言いました。

 家は子供が多く、弟たちは服を着るのに時間がかかるので、あらかじめ服を着てから寝るようにと言ったのです。ただ、母は寝るわけにもいかず、まだ忘れ物がないかどうか調べていました。そして、荷物が重すぎると思い、いくつか取り出しました。母は本当に大変だったので、私は手伝おうと思いましたが、どうしても睡魔には勝てず、いつの間にか寝てしまいました。

突然、誰かがドアの外で小声で

関連キーワード
LINE NEWSに『中国の今を伝える 大紀元時報』を登録する方法
^