THE EPOCH TIMES

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(23)「伝染病の流行」

2008年03月27日 15時44分

 伝染病の流行

 しかし、この時期、全ての人にとって、さらに恐ろしい災難が降りかかろうとしていました。この頃になると、人々はすでに明らかな栄養失調になり、体力は衰弱しきっていました。加えて、着替えの服がなかったので、衣服にシラミが発生しました。そんなとき、恐ろしい伝染病が流行し始めたのです。

 私たちのあの大きな部屋でも幾家族かが伝染病に感染し、その中のある家などは、大人と子供が数日もしないうちに死んでしまいました。しかも、一人亡くなると後を追うようにしてバタバタと亡くなっていくので、本当に恐ろしく思いました。私は初めて、死神がこんなにもそばにいて、こんなにも恐ろしいものだということ、命はこんなにも脆いものだということ、そして人はこんなにも無力だということを、身をもって実感しました。

 母は、私たち子供にうつるのではないかと心配して、夜が明けると、私たちを起こして外に誘い出しました。私たちは毎朝、母に連れられて小川のほとりに行き、顔を洗い、歯をみがきました。晴れているときは、母が頭も体も洗ってくれ、時には素っ裸になって布を体に巻いて、草の上で服が乾くのを待ちました。

 私たち家族は、玄関に面したところで寝ていました。夜になると時折冷たい風が吹いて来ましたが、母は空気がいいと言っていました。連日、同じ部屋の人が何人も亡くなり、すし詰め状態からは解放されましたが、とても恐ろしい思いが続きました。

 初めは、自分の家の子供が死ぬと、大人たちはひどく悲しみ、その死体を南の小山に運んでいきました。そこでは、一人ひとりのために穴を掘り、埋葬し、お墓の土盛りに野山の花を添えていました。ある時、まだ幼い男の子の母親が亡くなりました。隣で暮らしていた大人の人がその子を抱きかかえ、野の花を持たせて、息を引き取った母親の上に供えさせていました。

 後になると、亡くなる人が日を追って増えたため、埋葬の穴を掘るすべもなく、穴を掘る大人さえも一人ひとりと死んでいきました。結局、死体は山間のあの大きな溝へ投げ捨てるようになりました。もう、自分の家族が死んでも泣くこともなくなり、人々の感覚は麻痺し、感情と知覚を失ってしまっていました。死神が降りてきて、伝染病で大人、子供の命を奪い、馬蓮河収容所では死体が山の如く積まれたのでした。

 その頃になると、開拓団の人々は、日本が戦争に負けたので、誰も自分たちをかまってくれなくなったと感じ始めていました。食べるものも着るものもなく、帰る家もなく、途方に暮れました。子供たちが腹ぺこでも、母親たちはただかわいそうに思うだけでどうすることもできず、病気になっても薬などなく、栄養の補給さえままなりませんでした。

人々は、生き抜くことにもはや絶望を感じていました

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