THE EPOCH TIMES

7・20 十度目の夏に誓う

2008年07月23日 09時24分
 【大紀元日本7月23日】

 それは7・20から始まった

 どれほど多くの善良な人々が、残酷な暴力の犠牲となったことだろう。

 1999年7月20日。

 この日、江沢民という、何かの間違いで大国の主席となってしまった小心の愚者は、まるで幻覚に怯える麻薬中毒患者のように、狂気の指令を発した。

 「法輪功を3ヶ月で撲滅せよ」

 21世紀を迎えようとする人類の歴史に逆行して、中国だけが、火炙りの中世にもどった。

 それから9年の歳月が流れ、現在判明しているだけでも3200人にのぼる法輪功学習者が中国当局の手によって惨殺されているという。実数はもっと多いであろう。

 「臓器狩り」という、法輪功学習者の生体から臓器を奪い取って売買していた悪魔の所業も明らかになった。

 以来、法輪功学習者たちによる必死の闘いが始まった。

 彼らの名誉のために弁護する。本来、法輪功学習者はみな静かで温厚な修煉者であり、政治に関与することは一切なく、真善忍という理念に基づいて自己の道徳性を高め、社会に貢献しようとする誠に良き人々なのである。

 では、なぜ法輪功が迫害を受けるのか。

 総じて言えば、一切の信仰を認めない共産主義が依然として中国に存在するからである。

 さらに、もっと実際的な理由としては、法輪功の効果によって中国社会が清潔になってしまっては、腐敗のうえに乗っている中国共産党が困るからであろう。

 いずれにせよ、法輪功が反政府団体であるからでは決してない。

 迫害という理不尽があるからこそ法輪功は声を上げ、行動せねばならないのである。

 その彼らの懸命の努力に対して、私たち日本人が無関心でいるならば、それはまた別の意味での人権問題と言えるだろう。

 日本人による中国観の陥穽

 私たちは対岸の日本にいる。それゆえに、中国がよく見える場合も確かにある。

 しかし一方、迫害を受ける当事者の苦しみを実感できず、多分に観念的な、単純化された中国人観を展開して、批評はしても行動はせず、ただ冷淡視するだけの日本人も少なくないのである。

 その代表的なものは「漢民族悪質論」であろう。

 この傾向は、中国についてある程度知識のある日本人に特徴的に見られる。

 大紀元社説『九評共産党』は、中国共産党の悪魔的本質は「嘘と暴力」にあると看破した。

 その指摘はまさに正鵠を得ているのだが、先述した類の日本人は、このような中共の欺瞞性・暴力性を「それは漢民族が本質的にもつ負の面である」と、極端に平均化して見てしまう。

 そのため、中国共産党に対して責任追及するのではなく、「漢民族がもともと悪質だから中共が生まれたのだ」と、論理をまったく逆転させた結論づけをしてしまうのである。

 1989年6月4日。「中国の血の日曜日」と呼ばれた六四天安門事件が起こった。

 その翌朝、私は沈痛な思いで日本の大学の教室にいた。やって来た漢文を講ずる大学教授は、開口一番「あんなものは中国の歴史のなかにいくらでもある!」と言い放ち、前日の惨劇についてひとしきり持論を述べた。

 そのすべてが的外れとは思わなかったが、やはりその教師の思考なかで「中共=中国人」という図式が固定化されていることに私は違和感をもった。

 実際、やや古い漢文教師にはこのような人が多かったのである。

 確かに『史記』や『漢書』をはじめ中国の歴史書のなかには、すさまじい権謀術数や残虐な場面がきわめて多い。

 しかしながら、それらの古書をそのまま引用して、中国共産党の残虐性を「漢民族の必然」であるかのように対岸の日本人が断ずるのは、いささか短絡的ではあるまいか。

 漢民族の過去がどうあれ、8000万人もの無辜の民を犠牲にした元凶は、20世紀後半から現在に至るまでの中国共産党そのものであることを忘れてはならない。

 NPO法人 日本脱党支援センター設立の意義

 中国共産党からの決別を、自ら表明することを「脱党」という。

 私たち日本人には想像し難いことであるが、中国では、国家・行政・司法・国民などのすべてに優先して「党」が絶対的に存在するのである。

 従って、そこに生まれれば、子どもの時から「党」の管理を受けることを避けられない。

 中国では、少年時には「少年先鋒隊」、青年期には「共産主義青年団」、成人後は「中国共産党」というそれぞれの党組織があり、その中で、ある意味で「宗教的な」洗脳教育を受ける。

 そうして「製造」された模範的党員は、すでに人間ではなくなっている。

 言葉が過ぎているとは思わない。

 中国共産党を唯一絶対視するあまり他の思考を停止させて、自然を破壊し、神仏を冒涜し、生命を軽視する「模範的党員」はもはやロボットに近いものであるからだ。

 すなわち「脱党」とは、自らの勇気と精神力によって中共の鎖を断ち切り、ロボットから人間に生まれ変わることを指すのである。

 中国出身の法輪功学習者の多くが、おそらくは発狂寸前の苦しみを経験したうえで、自ら覚醒し、勇気をもって鎖を切った。

 中共と決別したからこそ、真実が見え、彼らは本当の自由を得た。

 そして今、法輪功の人々が必死になそうとしているのは、自らと同じように、同胞である中国人を一人でも多く「救済」することなのである。

 中共という泥舟は、まもなく沈む。

 しかし、もしも同胞が中共との鎖を断ち切れないままでいれば、泥舟とともに悪業の水底に引きずり込まれることになる。

 その泥舟から早く上げてやるのが「救済」なのだが、この「救済」とは無条件ではなく、「脱党」という本人の意志による「けじめ」がどうしても必要なのである。

 だからこそ「脱党」の意味はきわめて重い。

 この7月、東京都の認可を得て、NPO法人日本脱党支援センターが設立された。もちろん、実際行動としての「救済」を早急かつ大々的に進めるためにである。

 その呼びかけに応えて「脱党」した人々が、ついに4000万人を超えた。

 「脱党」の重要性の前においては、「中共が倒れてもあの中国人が変わるはずがない」などという「評論家」の空論は無視してよい。

 日本人の責任と使命

 私たち日本人は、いま何をなすべきか。

 法輪功を受容するかどうかは個人の自由の問題であろう。

 ただ、日本人自身が、日本のために判断を誤ることがないよう、法輪功に対して正しい認識をもつ必要はあるはずだ。

 法輪功が、中共が喧伝しているような「邪教」であるか否か、まずはご自身で確かめていただきたい。

 簡単なことである。街頭でチラシを配っている法輪功学習者と気軽に言葉を交わしてみればよい。

 そして、いま法輪功の人々がなぜこれほど懸命に努力しているのか、その訳をあなた自身が考えてほしいのである。

 彼らは、自分たちの目的のために活動などをしているのでは決してない。

 口ばかりで手も差し伸べない「評論家」には知る由もなかろうが、中国共産党という魔窟からまさしく命懸けで同胞を救おうとしているのは、彼ら法輪功の人々なのである。

 繰り返すが、中共はまもなく滅ぶ。そして、中共滅亡後には、深く傷つき、良心を狂わされた十数億の中国人が残される。破壊され、汚染され尽くした国土が放置される。

 そのような中国と中国人を、法輪功以外の誰が治療できるのか。

 だからこそ法輪功は、中共がこの60年間にやってきた悪事のすべてを浄化して、良心を狂わされた中国人を正しく「人間がえり」させるという史上最大の使命を担おうとしているのである。

 日中間にあるさまざまな問題もまた、中国人が中共の呪縛から完全に解放され、「愛国心」に狂う頭を冷やし、心優しいヒューマニズムを取り戻してこそ解決に向う糸口が見えてくる。それこそが、日本人から見た「膨張主義」ではない、新しい中国に他ならない。

 もちろんその時には、中国人が、チベット人やウイグル人に乱暴狼藉をはたらくこともなくなるはずである。

 いま法輪功がなそうとしていることは、決して情緒的な夢物語ではない。

 私たち日本人は、そのことを正しく認識し、法輪功の人々がおこなっている懸命の努力を正当に評価するべきではないか。

 これは私たち日本人の責任でもある。

 もしくは日本人が、日本と中国そして世界のためになすべき使命といってもよい。

(以 上)
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