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慰霊堂の御手洗に浮かぶ花(大紀元)

64年前の祈り、今も
3月10日東京大空襲犠牲者追悼

 【大紀元日本3月11日】3月10日、東京は午前中から晴れて、コートの要らない暖かさとなった。この日、両国国技館に隣接する東京都立横網町公園内にある東京都慰霊堂には、64年前の「3月10日東京大空襲」の犠牲者を追悼するため、多くの人が慰霊に訪れていた。

 昭和20年3月9日の深夜から翌10日未明にかけて、米軍のB29爆撃機約300機が、東京の下町一帯(現在の墨田区・江東区を主とする地域)へ大規模な空爆をおこなった。

 これは燃えやすい日本家屋に最大の被害を与えるため油脂性の焼夷弾を大量に使用したもので、この大空襲によって下町は火の海となり、民間人を主とする死者および行方不明者は10万人以上とも言われている。

 その深い悲しみは、64年を経た今も変わることはない。この日、菊の花を手にして、ここへ慰霊に訪れた人の多くは高齢者であった。その中には、当時の空襲によって、直接的に肉親を亡くした人も少なくないと思われる。

 慰霊堂に向かって焼香をしたあと、合掌して頭を下げたまま5分間、同じ姿勢で祈り続ける女性がいた。今どんなことを祈られましたか、と記者が聞くと、その女性は次のように答えた。

 「3月10日の空襲で亡くなった私の父や叔父たちのことを思っていました。私は、父の実子ではなく養女でしたので、育ててくれた父には本当に感謝しているのです。叔父の一家は全滅でした。私の身内では10人が亡くなっています。こんな悲惨なことは、二度とあってはならないと思います」

 穏やかな口調で当時を語る女性の目から、涙が一筋こぼれ落ちた。記者が取材をさせていただいたお礼を述べると、今年80歳になるというその女性は、記者よりも丁寧に「ありがとうございました」と深々と頭を下げ、ゆっくりと去っていった。

 この日、慰霊堂を訪れる人は後を絶たず、早咲きの彼岸桜が見頃の園内は、深い祈りの場となっていた。
菊の花が手向けられた慰霊堂前の献花台(大紀元)
空襲犠牲者の名前が内部に記録されたメモリアル(大紀元)
焼香のあと5分間じっと祈り続けた女性(大紀元)
東京都慰霊堂正面(大紀元)


(記者・鳥飼)


 (09/03/11 21:14)