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8月7日、豪メルボルンの中国領事館前で行われたウイグル人による平和的な抗議集会に参加したナイル・ガビトヴさん。中国共産党による18年間の不法禁固の体験を語った。(写真・李大衛/大紀元)

元ソ連人、新疆で18年間禁固 中国当局、「記録なし」

 【大紀元日本10月25日】オーストラリア在住の元ソ連人ナイル・ガビトヴ(Nail Gabitov)さん(男性、68歳)は、1950年代頃、通訳として中国の新疆自治区で勤めていた。その後、中ソ関係が破たん、1962年8月に、ガビトヴさんは、中ソ国境付近の住民がソ連に集団逃亡する事件を幇助(ほうじょ)した容疑で拘束され、裁判なしで刑務所に18年間禁固されていた。2007年、逮捕状も判決書も、釈放書もない18年間禁固の理由を中国の司法当局にただしたところ、最終的に「その記録はない」との回答を受けた。

 ガビトヴさんは先月、シドニーで設立された「共産主義被害者賠償委員会」に助けを求め、その詳細な経緯を明かした。

「容疑者」として18年間禁固

 ガビトヴさんは事件当時の情況を振り返って、次のように述べている。

 「1950年代後期と1960年代初期、中国共産党による全国『大躍進運動』のため、毎日わずかの配給しか得ることができず、多数が餓死した。新彊の住民は活きる糧を求め、隣国ソ連へ逃亡した。

 当時、中ソ国境に通うバスは一日1本しかなかったが、ソ連逃亡の際、バスは一日に2-3本増えた。中国共産党は人々のソ連逃亡を望んでいるかのようであり、ソ連も逃亡者を支障なく受け入れていた。両国政府にはそれぞれの意図があったようだ。とにかく、条件が整っていたため、多くの人はソ連へ逃亡した。

 逃亡者の多くは、伊犁、阿尓泰(アルタエ)地区に住む少数民族だった。その後、中国共産党は漢民族をこれらの地区に移住させ、現在この二都市は、漢民族の居住都市となった。

 中国共産党が黙認した「逃亡劇」に、なぜか私が逃亡幇助の容疑で拘束され、投獄された。一緒に逮捕された10人のうち、2人は追いつめられ、気が狂って亡くなった。他の2人は、獄中で病死している」

中国当局「記録はない」

 1980年に釈放されたガビトヴさんは、1987年にオーストラリアに移住した。2007年5月、中国改革開放後の司法制度に期待して、無実の民を18年間禁固した理由をただすために、再度中国を訪れた。

 ガビトヴさんは、伊犁からウルムチの間を何度も往復させられ、さらに伊犁から北京へ、北京からウルムチへ、ウルムチからまた伊犁へと、6か月の間、たらい回しにされた。そしてようやく、新疆伊犁公安局から以下の回答を受け取った。

 「専任担当者を任命しこの事件を調査し、関連先の書類を調べましたが、(禁固の)記録はありませんでした。当時この事件の担当者と管理者に問い合わせた結果、ナイル・ガビトヴ氏の件は、1962年8月7日に刑事拘留され、その後、この件は公安庁に移送・審理され処理されたと説明されています」

 2008年以後も、ガビトヴさんは中共政権中央の陳情局や中国外交部、中国全国人民代表大会の常務委員会、国務院、中国駐キャンベラ大使館に手紙を書いて事件の真相の説明を求めたが、何の返答もなかったという。

(大紀元記者・程瑶)


 (09/10/25 07:21)  





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