【大紀元日本10月28日】
今考えてみれば、あの時のことが、私の人生に大きく影響している。大学受験に失敗して間もない頃のことだ。すっかり落ち込んでいる私を励ますため、兄は私を散歩に誘ってくれた。畑を通りかかったところ、一人の農民が草刈をしていた。草は非情にも鋭い鋤で刈られ、束になって畑の隅に捨てられていた。
それを見て、「今の自分はこの畑に生えている雑草と同じではないか」と考えた。人に見捨てられ、何の価値も無い、ちっぽけな存在だ。
雑草に見入っている私に、兄がふと話かけてきた。「この草を、可哀そうだと思っているのかい?」 私は頷いた。
兄は、ゆっくりと話した。「雑草であっても、人間であっても収まるべき場所がある。ちがう場所にいたら、この捨てられた雑草と同じ運命になってしまうだろう。もしこの草が堤防にあれば、岸を固める役割を果たし、砂漠にあれば、草を見つけた生き物に、水源が近いことを知らせることができる。草原にあれば、緑の中に溶け込むし、動物の餌にもなるだろう。雑草でありながら、場所がふさわしければ宝になるんだよ」
この話を聞いて、私は自分の状況を見つめ直してみた。これから歩んでいく自分の人生を、もっと有意義にしなければならない。自分の一番輝ける場所が、きっと見つかるという希望が湧いてきたのだった。
(翻訳編集・中田理奈)
(09/10/28 05:00)
|