【大紀元日本10月29日】25日午後、米カリフォルニア州サラトガ市のユダヤ教会「コングリゲイション・ベイス・デイビッド」で、日本の「シンドラー」と称えられた外交官・杉原千畝(すぎはら ちうね)を記念する集会が開かれ、教区内の大通りが「チウネ・スギハラ・ウェイ」と命名された。日本領事館領事、サラトガ市長、第二次世界大戦での迫害生存者の子孫など、数百人のユダヤ人後裔や政府関係者が参加した。
集会では、午後1時から、地元のボーイ・スカウトたちがヘブライ語で記念の歌を披露し、サラトガ市長、日本領事館領事などの記念演説に続き、杉原千畝に関するドキュメンタリーが上映された。
第二次世界大戦中、ドイツの迫害から逃れようとしてポーランドからリトアニアに逃亡してきたユダヤ人が、カウナスにあった在リトアニア日本領事館にビザの発給を求めた。当時、日本はドイツと同盟国の関係にあり、外務省から「ビザの発給は許可しない」との指示があったにもかかわらず、領事代理を務めていた杉原氏は、記録に残っているだけでも2139枚のビザを発給し、当時リトアニアにいたユダヤ人の3分の1に相当する6千人以上を救った。後にこのビザは「命のビザ」と呼ばれるようになった。
ドキュメンタリーの中で、ソ連政府と日本政府からの退去命令を受けた杉原氏が、リトアニアを出発する当日になっても、駅のホームで列車の出発寸前までビザ発行を続けたことが描写されている。杉原氏は日記に、「私は政府に服従しなかったかも知れません。しかし、こうしなければ、私は神様に服従しないことになります(I may have disobeyed my government but if I didn’t I would be disobeying God.)」と記した。杉原氏の義挙のおかげで数千人のユダヤ人がドイツ・ナチスの迫害から逃れることができ、生存者たちの後裔が自由と平和の生活を過ごすことができた。
ドキュメンタリーのエンディングに人々は熱い涙を流した。地元ユダヤ人コミュニティメンバーのアダムさんは、真のヒーローを記念することができてとても嬉しく思い、自分も杉原氏のように政府権力の圧力に屈することなく、自ら正しいことを選択し正しいことを行いたいと語った。
ナチスの迫害政策を逃れた生存者の後裔代表は、祖父母が杉原氏のビザで救われたと話し、杉原氏の行いは、一人の力でも多くのことが変えられる証になると語った。
(記者・梅青、翻訳編集・余靜)
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