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霍光は自分の休暇中に、政敵に罪に陥れられるとは考えもしなかった(ネット写真)

古代の政府職員も週休2日だった?

著者:淑萍

 【大紀元日本11月16日】

 今は5日間のワーキング・デイの後に土日が休みになっている。即ち、週休2日は既に現代社会の習慣や制度になっている。しかし、ご存知でしょうか、実は、週休2日は早くも中国古代に存在していたのだ。

 遡ってみると、漢の時代には既に休暇制度があった。中国では、昔の人は休暇を「休沐」(シュウ・ム)又は「休澣」(シュウ・ガン)や「休浴」(シュウ・ユィ)といい、即ち、休みを取って、ゆっくり風呂に入り休憩する意味である。

 しかし、何故、中国古代では休暇を「休浴」というのだろうか?実は、遥か昔は、髪の毛や体を洗ったりすることが、現代のように便利ではなかったのだ。その時代の人々は男女を問わず、長い髪を伸ばしており、手入れするのが非常に大変であることから、毎日洗うのは難しかった。それ故、人々は「3日に一度の洗髪、5日に一度の入浴」の習慣が出来上がったのだ。当時、政府機関に勤務する人々は、数日間働いたら、1日の休暇が与えられた。それは即ち、ゆっくり入浴し、洗髪をするためであることから、「休浴」と言われるようになったのだ。

 それでは、古代の休暇は週休1日だったのか、または週休2日だったのか?書物によると、漢の時代の政府は、5日間に1回の「休浴」をすると記載されていることから、5日間働いたら1日の休暇が与えられるのだ。

 しかし、全ての時代が同じとは限らないのだ。唐の時代になると、政府職員らの休暇は「旬休」(シュン・シュウ)または「旬假」(シュン・ジァ)と呼ばれ、王勃の『滕王閣序』の文章で、「十旬休假、勝友如雲」と記してある。即ち、10日を働いた後に1日の休みになると示している。これによると、唐の時代の政府職員らは漢の時代の政府職員らに比べて、倍働くことが要求されていたことが分かった。

 唐の時代の人々は骨身を惜しまずに働いた後に、貴重な休み時間を十分に利用するのだ。当時の人々は入浴や休息する他に沢山のこともしていた。『史記』では、漢の時代の政府職員らは、「5日ごとに入浴し、親や親族と団らんする」と記してある。即ち、職員らは休暇を利用して、家族や友人と会ったりし、体力があれば、1日観光をしたりすることもできる。昔の人々は休日に友人を誘い、山や海に出かけたりした記載も古書には多くある。

 さらに、孟浩然は、「共乗休浴暇、同酔菊花杯」(同じ日に休暇を取り、酒に酔いながら共に時を過ごす)と語った。ここから、平日に働いている人々は休暇が待ち遠しいのであり、働き続けた後の休暇で、友人らと楽しく飲み明かすことを楽しみにしていたのだ。

 休暇は確かに人々を心身共に解放させ気持ちよくさせることができる。休暇の後、仕事場に戻った時は、リフレッシュした後のエネルギッシュなものを感じる。

 余談だが、休暇中に誰かに背信行為をされたら、リフレッシュどころか、逆に落胆してとても嫌な気持ちになるのだ。『漢書・霍光伝』では、霍光(前漢の皇帝である昭帝を十数年間補佐した人望のある政治家)が休暇中に、政敵である上官桀が職位を狙い、霍光を陥れた。霍光はかつて上官桀の家族に対して、官位を与えることを何度も阻止したため、上官桀の不満が募り、霍光が留守中に、漢昭帝の霍光を罪に陥れ、霍光は一時政治危機に直面した。幸いに、漢昭帝が陰謀を打ち破り、霍光の無実が晴らされた。しかし、霍光は決して、短い休暇中に大きな事件があるとは思いにもしなかったのだ。

 中国古代の休暇制度は漢の時代から元の時代まで存在していたが、その後、徐々に廃止された。

(翻訳編集・豊山)


 (09/11/16 05:00)  





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