【大紀元日本11月2日】BBCの報道によると、数か月前、中国国家発展改革委員会気候変化司談判局局長・李高氏は、米ワシントンで開催された国際会議において、「中国の汚染ガス放出量の15%から25%は、世界各国から注文を受けた製品生産のためのものであり、わが国が負うべき責任ではない」と発言した。つまり、中国は途上国であり、生産ラインの最もボトムにあるため、中国で製造した製品を輸入する国も、生産過程で発生する二酸化炭素放出の責任を負担すべきであると主張だ。
李高局長の発言は事実上、ある秘密を漏らした。
現代社会の商品生産過程の中で、環境資源は木材、鉱石、綿花などの資源と同じく、原材料の一つであり、コストの中に計上されている。つまり商品の総合な価格の中に含まれている。例えば1トンの鋼材売価の上に、更に環境汚染価格を乗せることはありえない。鋼材メーカーは排気処理、廃水処理などの環境保護のために支払ったコストを、出荷される商品の価格にのせているはずだ。同様に中国製商品の輸出価格にも環境汚染のコストを乗せるべきだろう。そうでなければ、売買した後、さらに相手に環境汚染の代価を請求することは、常識ではありえないからだ。
しかし、李高局長の発言から、中国商品の価格には環境資源の略奪と破壊の代価が含まれていないことが分かった。つまり、中国経済の発展は環境汚染や資源破壊を無視した状況下で進んでおり、すなわち子孫後代の基本的生存環境を代償として行なっているということだ。
この問題に関して、私は今まで何回も言及したことがある。今回の中国当局の言い訳を通じて、中国当局の環境問題に対するこれまでの認識を振り返ってみよう。
80年代以前、中国政府は先進国で起きた環境保護運動を反政府運動とみなし、「国際階級闘争の現れ」、「資本主義の暗黒面の暴露」などとして宣伝してきた。宣伝の中には、先進国を風刺し、他人の「不幸」を喜ぶ表現が満ちていた。まるで、生態危機の問題は資本主義の特有問題であり、社会主義国家の中国には生態問題は存在しないかのようだ。このような愚昧な認識により、中国の生態保護は世界の水準から大きく遅れ、長期にわたり盲目状態にあったのである。
1972年、国連はストックホルムで、第1回人類環境会議を開催した。この会議に参加した中国代表は、「人類環境宣言」の表決も署名も拒否した。その理由としては、この「宣言」の中で、環境汚染の主要な根源は帝国主義、新旧植民主義、特に超大国の実行している略奪政策、侵略政策と戦争政策であることが言明されていないからであった。
当時、すでに深刻化し始めている自国の環境問題に関して、中国メディアは一言も触れず、この機に乗じて、日米など先進国の環境汚染を非難し、誇張して宣伝し、環境問題を資本主義の制度性危機に帰結した。
かつて、中国の新聞雑誌は、絶えず先進国を攻撃し、人類の環境問題において、悲観、絶望論を煽り、資本主義の死活問題として宣伝してきた。その言い訳では、環境問題は、生態危機の到来ではなく資本主義の政治、経済の危機の暴露であり、資源の枯渇問題ではなくレーニンの指摘した資本主義という反革命制度の社会エネルギーの枯渇だと位置づけ、さらに資産階級が環境問題の階級性の本質を隠ぺいしたことは、国際階級闘争に現れた一つの側面だと認識してきた。
今になって、これらの宣伝文句を振り替えって読んでみれば、まるで違う世界の話である。中国の環境破壊はすでに経済発展速度を超え、国民の基本的な生存基礎を揺るがしている。根本から言えば、中国の環境悪化の第一被害者は他でもなく中国人自身である。李高局長は、中国商品の輸入国が中国の環境汚染に責任を負うべきだと言うが、当然ながら、誰も中国の高投入、高汚染、民衆の命を顧みない生産方式のために代価を支払うはずはない。これはあくまで、中国当局が国民を騙す手段の一つにすぎないのだ。
(文・鄭義、翻訳・坂本)
(※)作者は、米国亡命中の中国人作家。1947年四川省生まれ。主な著書に『古井戸』、『中国の地の底で』(朝日新聞社)、『神樹』など。
(09/11/02 07:20)
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