婚約者が病や醜い容姿でも添い遂げる  信義を守る君子は幸いなり(1)

もし、結婚前に婚約者が身障者だったり、容姿が醜かったり、長く病気を患っていたりしていたら、皆さんはどうしますか?この問いに対して、多くの古人たちが敬服するべき答えを出しています。

唖になってしまった許嫁

宋の時代のこと、鄭叔通は幼いうちから、両親のすすめで夏家の娘との縁談を約束していました。鄭叔通は大人になり、科挙受験のために都に行き、合格しました。鄭叔通は試験にも合格し、結婚するつもりで帰省しました。しかし、家に帰ると、夏家の娘が病気でしゃべれなくなったことを知らされました。そこで、叔父は彼に他の娘を見つけようとしました。

ところが、鄭叔通は叔父の好意を断りました。「夏家の娘と結婚しなければ、彼女は一生結婚できないかもしれません。それに、相手が元気な時に婚約し、病気の時に見捨てるのは、君子ではありません」と言いました。

こうして、鄭家は通常の段取りで婚礼を行いました。結ばれた後、二人はとても睦まじく、暮らしました。その後、鄭叔通は宮廷の朝奉大夫(宋の文官)となり、唖の嫁との間に生まれた息子の一人も立派に成長し、科挙の試験に合格して出世しました。
 

亡くなった母親が決めていた醜い許嫁

宋の陝西省出身の蘇汝惠は、6歳のときに父親を亡くしました。母親は彼のために一つ婚約を決めました。その半年後、母親も亡くなりました。蘇汝惠は親友や家族に助けられながら成長していきました。

長い月日が過ぎ去り、蘇汝惠は成長し、母が決めた許嫁と結婚しようとしました。しかし、母親が決めた婚約者の容姿が醜く、片足に障害があることを聞きました。ところが、彼は気にもせず、母親が決めた婚約者と結婚しました。結婚後、二人はとても仲が良く、おしどり夫婦と評判でした。

ある日、蘇汝惠の友人が「君の奥様の顔はどうも醜いらしい。もう一人、下女を仕えさせたらどうだ」と冗談で言いました。しかし蘇汝惠は「これは、母上が生前に決めた縁談です。妻がつけているかんざしや耳飾りは、すべて母上の遺品で、もし私が妻を憎んだら、私は母上を忘れてしまったことになるのではないでしょうか。情から言うと、色欲に近く、罪から言うと、不孝に等しいのです。そんなことに私が耐えられるわけがありません」と答えました。それを聞いた友人は、冗談のような表情を捨て、粛然として彼に敬意を表しました。

母親を忘れず、妻も裏切らず蘇汝惠は、軍隊の中で出世し、やがて将校となったようです。

(翻訳・阮修筠)